【161】 福田総理大臣 辞任  −自民党政権の終焉の象徴−   2008.09.01
    

 このところ、テレビの音を消して画面だけを流している。テレビのない生活は時間が有効に使えると、誰かが本に書いていたのを思い出したからだ。それで、時間を有効に使えているかというと、実感はない。その分、本が読めるということも、他の何かができるということも、特にない。強いて言えば、少し集中できるかな(?)というぐらいだ。
 どうしても見たい番組は録画することにしたら、どうしても見たい番組なんて、ないことが解った。


 もの言わぬテレビの画面をふと見ると、「ニュース速報 終り」のテロップが流れている。『何のニュースだったのだろう。大雨か…』と思っていたら、放映中の番組を中断して、首相官邸からの中継に画面が切り替わり、ここで『ン、福田辞任か』とピンきた。この時間に官邸からの緊急記者会見となれば、福田首相自身の問題についての話しかない。
 9時30分、会見場に表われた福田首相は、やや口ごもりながら辞任の弁を語り始めた。「国会運営、政権担当を、よりスムーズにやってもらえる人に託すのがよいと思った」と語る言葉の端に、民主党に揺さぶられた11ヶ月への無念さが滲んでいた。


 昨年9月、安倍前首相の突然の辞任を受け、参院選大敗のあとの政権を「背水の陣内閣」と名づけて担当した福田首相は、ねじれ国会の現実を前に予想以上の苦戦を強いられた。加えて、年金問題、インド洋上給油、道路特定財源など、以前からくすぶり続けていた懸案にも足を引っ張られる形で、支持率は下がる一方…。
 3月には揮発油(ガソリン)の暫定税率、4月には後期高齢者医療制度問題などが続き、支持率は20%近くに低迷していた。洞爺湖サミットを契機として、福田交代のシナリオが取りざたされていたが、首相自身も政権担当を代わってほしいという気持ちが、どこかに芽生えていたのだろう。
 それでも自らを鼓舞し、7月、政権の命運を賭けて内閣改造を断行したが、期待したほどに支持率は回復せず、むしろ福田内閣に対する国民の期待の希薄さを改めて思い知らされる結果となって、内閣を継続していくことに嫌気が差したというところだ。周りの自民党の面々も、福田首相を見限る雰囲気をあらわにし、この内閣を支えようという体制はもろくも崩れた。臨時国会を乗りきることの難しさを感じていた福田首相は、国会が始まる前のこの時期に辞任することを選んだという運びだろう。
 しかし、内閣改造から2ヶ月、1週間前に11兆円の景気対策を掲げて、さあこれからというこの時期の辞任は、いかにも無責任といわざるを得ない。総理としての職責を考えれば、日本の経済や国民生活を考えなければならないこの時期(福田辞任会見の中の言葉)、手がけたことの道筋をつけるところまでは、自らの手でやらねばならなければ、周囲の理解は得られまい。11兆円の財源を明示し、景気浮揚策を軌道に乗せれば、3選確実の民主党小沢代表に一矢を報いて、次の選挙での政権交代の芽を摘むこともできたかもしれないのである。


 ただ、この福田首相の辞任を自民党政権の崩壊と捕らえれば、今のこの時期の辞任というのも理解できよう。大型景気浮揚策、大幅減税…と手を打っても、日本経済の劇的な復活は望めない。日本社会の構造を変革しない限り、日本に活力はよみがえらず、日本が再生する可能性はない。そのためには、自民党政権の終焉が条件なのである。
 「なぜ今…」と自民党関係者からは驚きの声ばかりが聞こえてくる。確かに、8月29日に経済対策閣僚会議を開いて11兆7000億円の「安心実現のための緊急総合対策」を決定し、臨時国会には補正予算案を上程する運びとなっている今、なぜ…という驚きは無理もないところだろう。しかし、自民党関係者であるから…政権にいるから…、彼らは気づかないのである。崖っぷちの、自分たちが立たされている政治的立場を今一度振り返ってみれば、強風の中で断崖絶壁に立たされていた福田総理の心境に気づくのではないか。
 最早や死に体の自民党政権、どこを見回しても活路はなく、開会が決まっている臨時国会は苦渋の運営を迫られ、11兆という金額は掲げても経済浮揚の策はなく、不気味な社会の閉塞感はぬぐう術もない。何十年にもわたって自民党政権が積み重ねてきた日本社会の歪みが、今、露呈されたということなのだ。彼らが構築してきた、利益誘導型・利権構造型の談合社会は、否定される時を迎えるに至ったのである。
 ひとつの時代の終焉を象徴する辞任と捉えれば、福田首相の心情も、立場も、そしてその進退も明確に理解することができる。


 さて、新しい日本の幕を開けるのは誰か…。誰でもない、国民の他には誰もいないのだが…と言っては、情緒的過ぎるか。


  「日本は、今」 トップページへ