【163】 日弁連、司法試験合格者定員増に待った!        2008.09.11
    − 弁護士の 正体見たり 自己弁護 −


 今日、法務省の司法試験委員会は、法科大学院(2004年発足)の修了者を対象とした、3回目の新司法試験の合格者を発表した。合格者数は2065人(男性1501人、女性564人)。合格率は33%で初めて3割台に落ち込み、委員会が今年の目安とした2300〜2500人を下回った。(毎日新聞)
 それでも、2001年6月の司法制度審議会の最終報告を基に、政府は2002年に3000人増員の方針を閣議決定して法科大学院を開設し、合格者数は06年に1558人、07年には2099人と、かつての500人に比べて急増してきている。


 裁判期間の長さ、弁護士費用の高さ、裁判所の行政寄りのスタンス、ひとりで何十件もの案件を抱える裁判官や弁護士など、国民に十分な法的解決を供給していないと批判されてきた法曹界が、2009年5月にスタートする裁判員制度などをにらみながら、広範な司法制度改革の実施に踏み切り、司法制度改革審議会を設置したのが1999年であった。
 2000年11月、弁護士増員(3千人計画案)への対応を迫られた日弁連は、臨時総会で8時間以上の大激論の末に、賛成7437人、反対3425人で推進する決議を採択し、弁護士の数を毎年3000人増やすことを政府に提言している。
 これらを受けて2004年、全国に法科大学院が設置され、修了した者の50%程度が司法試験に合格することを目標とした。実際には30%程度が合格しているが、それでも3000人には届かず、今年の合格者は2000人を少し越えた程度…。でも、旧制度では年間500人であったものが2000人に増えたのである。


 しかし、法科大学院の標準修業年限(3年)を経た卒業生が巣立った2007年10月12日、中国地方弁護士会連合会はブロック大会で「司法試験合格者を適正水準まで削減するように求める議題」を賛成多数で採択している。その理由として、3000人の根拠が不明、弁護士の就職が厳しい状況にある、弁護士の質が低下する、過当競争で弁護士が営利獲得に走る…などを挙げている。続いて、中部弁護士会連合会も10月19日に同趣旨の決議を採択、仙台、干葉県両弁護士会は「弁護士増員問題対策本部」の設置を決めた。
 司法改革を主導しているはずの鳩山前法相からは、「受験勉強に偏らない法曹教育」「司法を身近に」といった改革の理念とは相いれない発言が続いた。的外れな発言を頻発する鳩山邦夫だが、ある法務省幹部は「司法制度改革審議会が開かれた当時の熱気も経緯も知らないから、言いたくても言ってはいけない『本音』を口にできたのだろう」と冷ややかな感想を述べている。


 こうした情勢のもと、今年(2008年)2月8日、全国に約2万5千人いる弁護士の団体「日本弁護士連合会」の会長選投票が行われ、東京弁護士会所属の高山俊吉氏(67)を破って、大阪弁護士会元会長の宮崎 誠氏(63)が選任された(任期は4月1日から2年間)。
 この選挙の焦点は、司法試験合格者を2010年までに年間3000人にするという政府計画と、09年春から始まる裁判員制度への対応だった。増員反対の高山氏に対して改革推進派の宮崎氏という構図で、宮崎氏が当選したことは、前執行部が進めてきた定員増・裁判員制度実現へ、会員の賛成が得られたということになりそうなのだが、選挙戦の途中に政府計画案の見直しが発表されたり、宮崎氏も改革見直しを口にするなどして、改革推進があいまいになってしまった。
 こうしたいきさつを経て宮崎新会長は決まったのだが、弁護士会の役員人事など実はどうでもいいことで、ここで問題にしたいのは、司法試験の年間合格者定員増に対して、日本弁護士連合会(日弁連)が待ったをかけたことだ。
 宮崎新会長の会長選最中の変節振りからも推測はされたものの、その就任の弁で、「『法曹人口が急拡大するなかで、弁護士のニーズは拡大していない』という会員の不満が表れたことは謙虚に受け止めたい」とコメントし、「日弁連」の司法改革への取り組みは危ういものになってしまったのである。
 さらに今年7月18日、3000人合格の政府目標について「日弁連」は行動を起こし、「法曹人口の急激な増大は司法制度の健全な発展をゆがめる」として、合格者増加のペースを落とすよう求める緊急提言をまとめた。理由は、司法修習生の終了試験(考試)で大量の不合格者が出ていること、弁護士事務所への就職が困難になっていて先輩弁護士から指導を受ける機会が少ないこと、よって法律家の質が低下する恐れがあること…などを繰り返している。
 検察官のバッチの「秋霜烈日」に対して、弁護士バッチ(正しくは弁護士記章と言う)は、表面を十六弁のひまわりの花とし、その中心部に秤一台を配している。ひまわりは正義と自由を、秤は公正と平等を意味しており、弁護士は自由と正義、公正と平等を追い求めることを表しているといわれるが、果たして自らの弁護士記章に照らして我が行いは恥じるところはないだろうか。


 アメリカの総人口が2006年に3億人を突破(世界第3位)しているが、弁護士数は約100万人。弁護士1人当たりの国民は300人である。同じく日本は総人口1億3000万人で、弁護士数は2万5千人だから、弁護士1人当たりの国民は5200人となり、アメリカのレベルに至るにはまだ17倍の弁護士が必要である。
 もちろん訴訟社会のアメリカとは国情も違うから、同じ割合の弁護士数を揃えろとは言わないけれど、現在のように地方自治体の主催する相談会にはホンの2〜3時間で50000円の報酬を受け取り、庶民レベルでは弁護士費用が賄い切れないから裁判に掛けることもできないといった高みに自らを置いて、弁護士の数を増やすなと言うのは、世の中の納得を得られる話ではない。遅々として進まない裁判や、司法が身近なものにならないことも含めて、司法が高嶺の花であるのは、みんな法曹関係者の絶対数が少ないからである。だから3000人は到達点ではなく、増やすことはあっても減らす必要はない数字だ。
 加えて、やりたい放題の弁護士活動がまかり通っていることも、弁護士が稀少な存在だからだろう。弁護士は法律に照らして社会の正義を守る存在か…、とんでもない、自らの依頼人の利益を守る…、すなわち自らの利益を守る存在でしかない。
 社会正義に照らして、法律をもとに判断して、相手方が正しい場合であっても、知らないがゆえに相手が主張しなければ、相手の利益になるようなことを言うことはない。甲乙の仲介に立つ場合でも、どちらの側に立てば自らの利益になるのか…、更に言えば、甲乙のどちらに軍配を上げれば自分にとって稼ぎになるのか…、それが弁護士の判断基準なのである。
 それが弁護士の正義だ…という主張を否定する気もない。しかし、それならば、「弁護士の質が落ちる」ことを理由として、増員に反対するとは言語道断ではないか。社会的正義を判断せずに、自らの利益を判断基準にしているものに、質が落ちると言う資格はあるまい。
 今年の合格者2065人は、十分に自分の利益ぐらいは守る知恵を持っている。司法の手続きなどは修習の方法を工夫することで補うことが容易な、枝葉末節の問題である。可能性のある有為な人たちをひきつけ、それらを育て上げて将来に役立てていくことこそ、今の司法改革に求められている根本的な問題だろう。過疎地にも弁護士を送る日本司法支援センターの創設など、社会の隅々に法律の光を当て、官僚や地方政治家、悪徳業者の横行を許さないという、法治国家の大儀を実現することを基盤としての議論を進めるべきである。
 先にアメリカとの比較を示したが、アジアの周辺国でも、韓国では04年度に司法試験合格者が1000人になり、人口比ではすでに日本を抜いている。中国では06年の司法試験合格者は3万7千人という数字だ。法曹者を増やして社会の正義や秩序を守っていこうというのは、近代国家としての営みの必然なのである。


 今回の新司法試験は、初めて法科大学院全74校から受験者があり、総数は6261人。合格者の最高年齢は59歳、平均年齢は29歳であった。出身法科大学院別の合格者数は、東京大が200人でトップ。中央大196人、慶応大165人、早稲田大130人、京都大100人と続く。合格率のトップは一橋大(61.4%)…、現役弁護士と比べても、決してレベルを心配する必要はないだろう。


 来年の裁判員制度の施行を控え、いまだ、司法センター設立の目途はたたず、地方の弁護士不足などは解消されていない。


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