【171】 田母神俊雄航空幕僚長(強制?)退職          2008.11.03


 現職の航空自衛隊のトップが、「日中戦争は侵略戦争ではない。真珠湾攻撃はアメリカが仕掛けた罠にはまった」といった意味の懸賞論文を書き、更迭された。今日、3日に誕生日を迎えて、定年退職だとか。
 
田母神俊雄航空幕僚長が書いた論文の内容は、今や多くの部分で検証されている昭和史の事実で、戦後史観こそが見直されなければならないときを迎えている。歴史の検証もせずに周辺諸国の抗議をかわすためにとにかく謝ることを繰り返してきた宮沢・村山・河野談話などは、わが国の戦後の日々にぬぐうことのできない暗い影を落としている。今も、政治的、社会的、思想的立場から、「日本は侵略国家だった」と叫ぶ知識人・学者などは多い。
 ただ、現職の航空幕僚長が政府見解と異なる意見を公表したというところが、何んとも悩ましい。会社がテレビを売れと言っているのに、地域本部長がコンピュータで行けと公言したようなものである。政府としても更迭はいたし方のないところで、田母神航空幕僚長としては現職のうちは会社の方針もあることだから、意見の公表は思いとどまるべきであった…というのが僕の結論だがどうだろう。
 

 ただ、この更迭を報じる報道の全てが、「こんな人が自衛隊のトップに居るなんて」という論調であるのは気に入らない。今や、東京裁判の誤謬は世界が認めるところなのだから、日本の歴史観も新しい見直しや検証をしっかりと行っていくときを迎えている。「大東亜戦争は侵略戦争ではなかった」と堂々と言える環境を確立することが、国家・政府の責務であろう。
 中共・韓国や国内の一部勢力からの激しい反発は避けられないだろうが、しかしそれでも、歴史の真実を追究していく姿勢をもつことは、現代の日本を生きるものとして忘れてはならないことだろう。波風を立てないことが大切なのではなく、自分たちの祖父や父は侵略者で、日本は犯罪国家だったという烙印を取り除き、真実の歴史を知り正しい史観を確立して民族の誇りを取り戻すことこそが、今の日本に生きるものの責務なのである。
 大東亜戦争に敗れてGHQの統治を受け、言いたいことも言えない時代には、受け入れなければならなかった理不尽もあったことだろう。周辺国家から浴びせられる忘恩の罵声も、じっと耐えて平和条約の締結にこぎつけなければならない時代の要請もあったのだろう。
 これら先人の努力は労(ねぎら)うところ大としなければならないけれど、便宜的な、その場しのぎの諂(へつら)いは認められない。ただ相手の機嫌をとるだけの村山談話や、事実関係も確認しないまま謝罪すればよいという河野談話などが、その後の日本政府を縛り、わが国の外交をいかにゆがめてきたことか。謝り土下座するのは簡単だが、いったん頭を下げたことによって既成事実化したことを覆すことの困難さはいかばかりか。日本は今日もなおその呪縛に縛られ、日本人の心の中には言い知れぬ罪悪感が潜んでいることを思えば、彼らの罪深さは万死を以っても拭いきれるものではない。


 歴史学者の秦 郁彦氏は田母神航空幕僚長の論文を「一方的な見方ばかりをつなぎ合わせた、自分勝手な解釈のもの」と決め付け、信憑性を疑う例として年代が1年違っているという瑣末な事例を挙げていた。しかし、あの時代、日本の朝鮮半島〜中国大陸への進出は地政的な必然であり、日本が日清戦争・日露戦争に勝利しなかったら、朝鮮半島は独立を果たしていなかったろうし、当時すでにロシアの支配地であった満州は「江東64屯の悲劇」に見られるように、ロシア領に組み入れられていたことだろう。
 宗主国の清による搾取・統治に安住し、民政もなかった李氏朝鮮に独立を促し社会整備を推進してきたのは、日本の指導援助があってのことである。満州を経て朝鮮に進出していたロシアの勢力を駆逐し、朝鮮を独立させたのも日本であったが、ついに朝鮮は独力にて独立国家を経営することはできなかった。
 これらは、中国・韓国から見れば、日本の内政干渉・侵略であると主張するところであろうが、秦氏はその主張を入れて、多くの史家の指摘する、当時の中韓には当事者能力がなかったとする主張を、一方からしか見ていないと指摘するのだろうか。


 また、中国大陸を戦場として戦った日本軍を侵略者だと非難するならば、当時の欧米列強は全て侵略者であり、アジアの各地に植民地を広げていった英仏蘭独西米などは、等しく非難されなければならない。ひとり日本ばかりを「侵略国家」と非難するのは、それこそ一方しか見ていない主張である。ましてや、インカ帝国を滅ぼしたスペイン(西班牙)や、先住民であるアメリカインディアンを壊滅させたアメリカ、アボリジニの生存権を奪ったオーストラリア政府(イギリス)…などは、ジェノサイド(民族浄化)を図った極悪人としてナチスドイツと同じように断罪されなければならないのではないのか。
 帝国主義全盛のあの時代、海外派兵は歴史の必然であった。日本の戦国時代に、織田信長の浅井・朝倉攻めを非難する史家はいない。日本の中国出兵は、それと同じ論理である。それだけの国力があり、派兵先があれば、派兵することが国家の論理であり、いやいや他国の領土は侵すべからず…などと言っているのは、時代の見えない判断である。
 ましてや、清朝の最大版図内にあったというだけで、独立国家であったチベットを武力で併合し、新疆ウイグル地区を領土に納め、ベトナムへ武力侵攻した中共が、日本を「侵略国家」と非難するなど、本末転倒した話である。
 (日本に対する侵略国家という非難は、政治的圧力として有効であるから繰り返されるのであって、中共・韓国と日本国内の一部勢力との作為的な合唱であるに過ぎないのだが、「何も言わないのは認めた証拠」というのが国際ルールであり、既成事実としてひとり歩きしてしまうから、面倒でも一つ一つ反論しておかなければならない。)


 田母神航空幕僚長の論文は、日本の新しい史観の中ですでに繰り返して主張されている内容であり、その正当性は多くの史家の支持するところである。むしろ、戦後63年を経た現在、日本政府こそ、東京裁判史観の見直しを行うべきだろう。
 日本としての歴史を確立し、民族の誇りを語り継ぎ、子どもたちに教えるときが、到来しているのである。そして、この機会を逃せば、大東亜戦争の語り部が高齢、他界し、居なくなってしまうことを懸念をするべきであろう。

 
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