【178】 民主党新代表に鳩山由紀夫            2009.05.16


 民主党の小沢一郎代表の辞任に伴う代表選で、今日、鳩山由紀夫幹事長が岡田克也副代表を下して新代表に選出された。
 投票数は220票(岩国衆院議員欠席)、鳩山由紀夫124票、岡田克也95票、無効1票であった。


 今の民主党が鳩山由紀夫を選んだことは、安定した選択と言うべきであろう。


 鳩山は1998年、新党さきがけを離党した菅直人らとともに、民主党を結成した際には70億ともいわれる巨額の資金を用意し、以来、党内最大派閥を率いて(「鳩山グループ」(政権交代を実現する会))いる。いわば民主党は鳩山の党と言うべきだが、彼は幹事長代理を経て1999年9月から2002年12月まで党代表を務めたものの、統一補選での惨敗とその後の人事、また自由党との統一会派騒動をめぐっての党内混乱の責任を取る形で代表を辞任した。
 2005年9月、前原誠司が菅直人を2票差で破って党代表となったとき、その幹事長を務めたが、2006年に前原が偽メール事件で代表を辞したのに伴い辞任した。そのあとに成立した小沢一郎のもとでまた幹事長に就任、その後は一貫して小沢体制を支え続けてきている。
 政権交代を果たそうとしている現在の民主党の代表は、鳩山由紀夫こそが相応しいといえよう。二大政党による政治体制を悲願として戦い続けてきた小沢一郎が、自民党長期政権を倒して、民主党の総理大臣になることも、新生日本を築くためのひとつの象徴的な姿であったが、その志を果たせぬままに辞任を余儀なくされた今は、小沢体制を支え、ともに政権交代を目指してきた鳩山由紀夫がそのあとを継ぐことこそ、最も望ましい姿であろう。また、鳩山は民主党の象徴でもあるのだし…。
 

 代表就任に際して、鳩山は「愛のある政治」を掲げた。政治を司るものとして、基本的に忘れてはならない視点は、陽の当たらない人たちに対する配慮である。民主党の政策は、結党当初、新自由主義的な経済路線を大幅に掲げていたが、小沢民主党となった近年では、小泉政権以降自民党が明確に掲げるようになった新自由主義・新保守主義的政策への対抗から「生活が第一」をスローガンとし、所得格差・地域間格差の解消などを前面に出すようになった。
 党是から見ても、社会民主主義的といわれることは、民主党にとっても鳩山新代表にも本意ではないのかもしれないが、社会の隅に光を当てることこそが政治の役割である。近年盛んに言われる「自己責任」とか「市場原理」とかは、政治の力を必要としない部分において適用される考え方であって、生まれながらにして不平等な人間社会にあって、努力の及ばないところに生じる不具合については、政治がそれを是正する責任を負わなくてはならない。庶民の生活や、老人医療・介護の実態、中小零細企業の現実…などを知らない政治家など、存在理由もない。昨今の状況を見ていると、国民生活の現状を政治は何ら理解していないことを痛感させられるのである。


 自民党サイドは「岡田よりも、鳩山のほうが戦いやすい」というコメントを流し続けている。本音はそうではなかろう。政治的熟成度に欠ける岡田ならば、自民党も官僚たちも、赤子の手をひねるごとく御しやすいと考えていたことだろうが、民主党の結党以来11年、政権奪取に執念を燃やし、民主党の歩みと常に歩調をひとつにしてきた鳩山由紀夫は、もはや優柔不断なボンボン政治家ではない。政治の裏も表も知り尽くした、利権政治の改革に意欲を燃やす、次期政権党の代表である。
 それだけに、「リベラルは愛であり、この愛は友愛である」(祖父鳩山一郎が好んだ言葉)というスローガンばかりで政治はできない局面にも、直面することだろう。自民党が、100年に1度と言う経済危機に際して、24兆円もの補正予算を組みながら、何ら実効的な政策も打ち出すことができず、政権担当能力の喪失を露呈している現在、鳩山由紀夫の双肩にかかる責任は重い。民主党が生んだ初代内閣総理大臣として、日本の新しい姿を提示して欲しいと期待している。


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