【179】元「あのねのね」の原田伸郎 立件か、びわこ放送も捜索    2009.06.02
     −目に余る警察・検察の暴走 と 麻生政権の体質


 元「あのねのね」のメンバーでタレントの原田伸郎が、許可を受けずにテレビ番組で猟銃を持ったとして、滋賀県警が銃刀法違反(所持)の疑いで、近く原田を書類送検する方針を固めたという(産経)。原田は2日、滋賀県警木之本署に出向き、任意の事情聴取を受けた。
 聴取後、原田は報道陣の取材に応じ、「いろいろな方にご心配をおかけして申し訳ない」と謝罪し、猟銃を持ったことについては、「私も含め、誰も法律違反との認識がなかった」とコメントしている。(読売)


 県公安委員会から猟銃所持の許可を受けていないままに、番組の中で地元猟友会の会員から猟銃を手渡され、約6秒間、手に持っていたとしての書類送検、事情聴取、立件検討である。法律の条文を盾にした警察の暴走であろう。公序良俗を犯す恐れもない、今回の原田伸郎の行為については、「法律に抵触していますから、今後は注意してください」というぐらいが、世の中の常識というものではないのか。
 法には、成文法と慣習(法)がある。成文法>慣習(法)の優先順位は当然としても、民法第92条(任意規定と異なる慣習)には、「法令中の公の秩序に関しない規定と異なる慣習がある場合において、法律行為の当事者がその慣習による意思を有しているものと認められるときは、その慣習に従う」。また、法の適用に関する通則法第3条(法律と同一の効力を有する慣習)=旧「法例第2条」には、「公の秩序又は善良の風俗に反しない慣習は、法令の規定により認められたもの又は法令に規定されていない事項に関するものに限り、法律と同一の効力を有する」とある。
 テレビ番組の中で許可を受けずに猟銃を受け取り、「結構、重いものですね」と言ったりしていた今回の原田伸郎の行為は、その違法性を認識していなかった者の、慣習的な行為である。成文法と慣習(法)に照らして云々の問題ではないが、『法律行為の当事者がその慣習による意思を有しているものと認められるときは、その慣習に従う』といった点についての配慮があってしかるべきであろう。


 平たく言えば、こんなことで、警察が立件するぞと騒いで、テレビ局への立ち入り検査や関係者への事情聴取を行ったりするのは、やりすぎ…警察権力の濫用だということである。「注意してください」が妥当で、せいぜい「叱りおく」といった程度の問題である。


 この警察の暴走は、麻生政権の体質と関連があるのではないか…といえば、勘ぐりすぎか。小沢民主党元代表の秘書の逮捕、草なぎ剛の逮捕と家宅捜査…など、一見、暴走とも指摘された彼らの動きは、漆間巌元警察庁長官を官邸の事務方トップの官房副長官に据えて、警察・検察の動きにお墨付きを与えた、麻生政権の体質が生んだ警察国家化ではないのか。
 文芸評論家の山崎行太郎は、そのブログの中で『 …、今回の「小沢民主党党首秘書逮捕事件」を企画立案し、麻生首相の了解の下に、東京地検特捜部を動かし、密かに指揮したのは「漆間巌」である… 』と書いている。『…、麻生首相が、歴史に名を残すとすれば、…、どのようなダーティな政治家でさえも、さすがにその一線だけは踏み越えなかったところの、いわゆる「国策捜査による政敵潰し」という「悪の政治学」に手を汚した政治家としてだろう。能力も人望もない卑小な政治家が国家のトップに立つと、いつでもこういうことになるということを、われわれ国民は知るべきである…』とも。


 先日の党首討論では、鳩山由紀夫民主党代表が、
『おかしな話ですよ。漆間官房副長官がおっしゃいましたよね。「自民党には捜査は及ばない」。及んでないんですよね。同じことをして、一方では秘書が逮捕・起訴され、他方ではなんにもおとがめなし。こんなバカなことが行われている。これが検察官僚のやることなのかと。我々はここで官僚国家に対して、しっかりとした歯止めをかけなければならない。そう真剣に思っているわけであります。
 …、小沢代行の説明責任について申し上げれば、私が幹事長時代に、第三者の方々に集まっていただいて、第三者委員会というものを作りました。そこに、もう既に小沢代行を呼んで、2時間ほどヒアリングしました。そこで、説明責任の部分がほとんど理解されたようでありますから、いずれ近いうちに報告書が出ますので、それをどうぞご覧になってください。
 もっと大事なことは、小沢代行の説明責任の話ばかりで、検察も第三者委員会に来るのを逃げましたし、メディアの方も逃げましたよ。誰も来ないですよ。おかしいんですよ。こういう一方的な国のあり方というものに対して、だから私たちは、上から目線の政府に対して、国民の目線に立った政治というものを今こそ作り上げていかなきゃならない。そう思っています』と述べている。


 それにしても、最近の警察・検察の暴走は空恐ろしいものを感じる。日本最大の権力機関が、政権を守ることと引き替えに、確たる国家ビジョンも政権担当能力もなく、警察検察を使うことによってその延命を図ろうとする政権の擁護を受け、ある恣意を持って動き始めたら、この国は「いつか来た道」を辿ることになるのではないか。
 そんな恐れを抱かせる政権であることも、極めて残念といわねばなるまい。


 これも、長期政権が生んだ、ひとつの社会の澱(おり…沈殿物、とごりかす)なのだろう。この国の大掃除をかけた選挙が、この夏…始まる。  



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