【193】 朝鮮併合100年 反省とお詫びの首相談話      2010.08.08
    − 菅 直人も、亡国総理大臣であったのか −


 菅内閣は、韓国併合100年にあたり、1995年のアジア諸国に対する植民地支配に関する村山談話を踏襲し、「韓国への植民地支配について、痛切な反省と心からのお詫びを表明する」との閣議決定を行い、首相談話として発表した。
 この内閣も、歴史を学ばず、国際政治の現実を知らず、ただ謝れば相手は許すと考えている幼稚な集団であったのか。
 

 簡単に、朝鮮併合に至る道筋を振り返っておこう。


 『 朝鮮半島は、紀元前108年、漢の武帝によって衛氏朝鮮が滅ぼされて、漢の支配下に入った。約400年後の313年、高句麗が楽浪郡支庁を攻め、漢の支配を中国本土へ追い返しているが、三韓(1〜2C)、三国(3〜4C)、統一新羅(8〜9C)などの時代を経て、10世紀以降に朝鮮を統一した高麗は、「962年 北宋に朝貢」、「1126年 金に臣礼」、「1259年 元に服属(文永・弘安の役では元軍の先鋒として日本に来襲)」、「1369年 明に朝貢」と、ほとんどの期間、中国の王朝に臣属してきた。
 その後、1392年、高麗の武将李成桂太祖(女真族ともいわれる)が恭譲王を廃して、自ら高麗王に即位して成立した李氏朝鮮は、翌1393年に明から権知朝鮮国事(朝鮮王代理、実質的な朝鮮王の意味)に封ぜられ、国号を朝鮮国と改めた。
 太宗の治世の1401年には、明から正式に朝鮮国王として冊封を受けた。だから、1592・97年に豊臣秀吉の出兵を受けたときは(文禄・慶長の役)、明軍の支援をあおいでいる。
 1637年 満州に興った清に服属し、以後、1895(明治28)年、アジアの安定のために朝鮮の独立を求めた日清戦争に日本が勝利するまで、清を宗主国と仰いで属国としての道を歩むこととなる。
 日清戦争で日本が勝利したことにより、日本と清国との間で結ばれた下関条約は、朝鮮に清王朝を中心とした冊封体制からの離脱と独立をもたらし、朝鮮は500年に及ぶ中国王朝の支配から、名実共に独立することになったのである。これにより朝鮮は1897年に国号を大韓帝国(だいかんていこく)、君主の号を皇帝と改めた。


 こうして独立を達成した韓国であったが、長年に渡り自国の経営に携わってこなかったこの国に自主独立の気力は無く、この後も清・ロシア・日本への依存を繰り返し、その迷走振りは新たな東アジアの火種となった。
 清に起こった義和団事件が満州を席捲したのに対して、ロシアは1900年7月から露満国境を越えて軍隊を送り、10月にはほぼ全満洲を制圧した。満州での露軍の行動は横暴を極め、「江東六十四屯虐殺事件(黒竜江東岸の満洲人村落64カ村を襲撃して民間人6000人を虐殺)」をはじめとする惨劇を繰り返している。この満洲占拠が、のちの日露戦争への原因のひとつとなるのだが、ここでは朝鮮問題に話を絞ることにして先を急ぐ。
 ロシアの勢力拡大を警戒するイギリスは日英同盟の締結を日本に提案し,1902(明治35)年1月、同盟が締結された。
 1903(明治36)年7月、ロシアは竜岩浦(鴨緑江河口)を軍事占領し、韓国を圧迫して竜岩浦租借条約を締結させ、ロシア軍を駐留させる。
 1904(明治37)年1月、日露関係が逼迫していく中で、すでに韓国政府に政治や軍事の顧問を送り込んでいたロシアは、韓国政府に「厳正中立」を宣言させる。日露が開戦したとき、日本軍の朝鮮半島進軍を封じておくための処置であった。
 (このころ、韓国政府はロシアの実質支配を受けていたのであって、日露戦争にもし日本が勝利していなかったら、朝鮮はロシアの衛星国のひとつとして、『コリアンスタン』となっていたことだろう。この点は、歴史のイフだから、()つきで記しておくことにする。)
 2月、日本が対露開戦の当初に旅順港・仁川沖などで勝利するや、韓国は親日に一変し、「日韓議定書」締結の運びとなって、韓国は日本の保護下に入ることになった。
 日本の保護下に入ることについて、ルーズベルト米大統領は「韓国は自分を守ることはできないから仕方がない」と書いているし、ランズダウン英外相は「韓国はひとりで立ち行く能力なきがゆえに、日本の管理と保護の下に入らねばならない」と書いている。米国の外交史家タイラー・ゼンネットは「長い間、海上に遺棄され、航海に脅威を与える舟のような韓国が、今、港に引き入れられ、しっかり固定された」と記述しているが、このように世界の認識は、韓国の日本による保護は東亜政局の安定にとってやむを得ぬ結論であると見ていたのである。

 1910(明治43)年8月、「韓国併合条約」が締結され、第一次日韓議定書が結ばれて以来6年6ヶ月の間、日本の保護下にあった韓国は、正式に日本に併合されることになった。』


 以上が、日本が韓国併合に至る、簡単な歴史的経緯である。10世紀以降、ずっと中国王朝に臣礼してきた朝鮮は、日清戦争に日本が勝ったことによって、やっと中国王朝の支配から離れて、「独立国」となったのである。
 しかし、その後も独立独歩で国を建てていくことができなかった(長年、属国であった習慣から、独立国としての国家経営とはどういうものかを知らなかった)朝鮮は、政府や軍にロシアの介入を許していく。もし、日露戦争に日本が勝たなかったら、朝鮮はソ連邦の中のいち共和国コリアンスタンとなっていたであろうことは、先に指摘したとおりである。
 独り立ちできず、清の勢力に頼ったり、ロシアの力を引き入れたりする朝鮮は、東アジアの火種であった。例えば朝鮮がロシアの支配を受ければ、日本の国防はたいへんに緊張したものとなる。朝鮮という国を維持するためにも、日本は朝鮮の併合を決意したのである。


 さて、日本は併合した韓国を植民地として支配し、搾取したのだろうか。いや、当時の韓国は搾取するほどの何ものも持ってはいなかったというのがホントのところで、日本は保護下にある韓国に対して、持ち出しで、国の形を整え、インフラを整備し、産業を興して、人々の生活を安定・向上させていったのである。
 例えば、濫鋳(らんちゅう)を繰り返して世界最悪と言われていた韓国通貨を、元大蔵省主税局長の目賀田種太郎を派遣し、良貨・良い偽造貨・悪い偽造貨・悪すぎる偽造貨の4つに分類できるとさえ言われていた朝鮮通貨を、非常な決意と苦心で健全化させている。また、当時、釜山から京城までしか開通していなかった鉄道を、鴨緑江を挟んで中国丹東市と向かい合う国境の街である新義州まで延長敷設してもいる。
 併合前の1880年ごろには藁葺き屋根の平屋建てが連なるソウルの南大門通りが、1935年ごろには近代ビルが立ち並び市電が走る街に整備されている。黄文雄氏(台湾人)の「日韓併合の真実」にもあるように、併合前の朝鮮とその後の朝鮮を比較してみれば、日本が朝鮮の近代化に果たしてきた役割は、大きな称賛をもって評価されるものだろう。
 ただ、歴史は、見方や立場によって、その評価を大きく変えることも事実である。初代朝鮮総督の伊藤博文は日本では明治の元勲であり、朝鮮では植民地支配の元凶である。(朝鮮は日本内地と同等の法律が適用され、人々の権利も守られる併合であって、現地人の人権も無く、法律も適用されないような植民地ではないのだが、日本の政治家も『植民地支配』と表現しているものがいるのは、不勉強すぎる。)その伊藤博文をハルビン駅で暗殺した大韓帝国の民族運動家安重根は韓国ではヒーローであり、日本ではテロリストである。
 韓国で行ってきた日本のさまざまな施策は、韓国の近代化に大きな役割を果たしたことは事実だろうし、清の属国でありロシアの実質支配を受けていた韓国は、日本の併合を経ずして独立は実現しなかったことも事実である。戦後の国づくりも、OECD加盟以来の経済成長も、日本の援助・協力があったからこそである。
 民族の誇りの問題だから、韓国民が日本への依存を認めたくない気持ちも理解できるが、上に記した歴史認識の違いを前庭としたとしても、韓国の今日の隆盛に日本の果たした役割が大きいことは、世界が認める事実なのである。
 韓国にこの事実を突きつけて感謝を言わせろなどと言うつもりはない。ただ、日本の政治家たちは謝罪を繰り返す必要がないことを、歴史の事実を学習することから認識せよというのである。
 ハングル文字を普及させたのも日本…、創氏改正は強制したものではない…、大量の日本への移住は強制でなく、朝鮮半島では生活苦にあえいで自主的に渡日した人たちが大部分だった…、慰安婦は職業的専従者がほとんどで組織的な強制連行は無かった…なども、近年、数多くの証拠と共に検証されている歴史の事実であるが、これを言い出すとまた歴史認識の違いを延々と論じなければならないので、ここでは、韓国は日本に依存して近代化した国家であることは世界が認めていることを確認しておくに留める。


 次に、歴史は、第2次世界大戦前の世界は帝国主義全盛の時代であって、資源と市場を求めて列強はアジアやアフリカや中南米へ進出したことも教えている。(日本は韓国を植民地とはしていないが)植民地支配は、当時、列強においては当然の行為であったのだ。
 それでも、搾取して迷惑をかけたことは謝るべきだ…と主張するのなら、それは国際政治の現実を知らない、口当たりの良い甘言を弄して、人々を惑わすものでしかない。そんなことを言うのならば、勢力拡大のために権謀術策を駆使した者たちはみんな謝らなくてはならない。アレキサンダー大王も、ユリウス・カエサル(シーザー)も、秦の始皇帝も、元のチンギスハーンも、武田信玄・上杉謙信・織田信長・豊臣秀吉・徳川家康も、そして、その子孫たちも…。しかし、時代は戦国の世だったのである。
 帝国主義を背景に植民地支配を広げていった国のどこが、被植民地に謝罪しているだろうか。植民地支配すらしていない日本が、なぜ謝らなくてはならないのか。それよりも、宗主国として、今なお指導力を残している国も多い。それこそが、国際政治のあるべき姿というものである。
 
 
 今回の菅内閣の談話は、旧社会党の残滓(ざんし)である仙石由人官房長官と、政治的理念のないままにタダ耳障りの良い言葉を並べる鳩山由紀夫前総理の発案によって作成されたというから、この内容となったのもむべなるかなというところだが、1993年の何の根拠もなく慰安婦問題を謝罪した河野談話、1995年のアジア諸国に対する植民地に関する村山談話…などと同じく、とにかく迷惑をこうむった人が居るのだから謝っておこうというのは、政治家として最も避けなければならない姿勢である。
 なぜならば、謝罪するということは、日本は近隣諸国とその住民に対して迷惑をかけた犯罪国家であると公言していることであり、日本国民は(青少年は特に)自国を卑下して、将来に誇りを持つことができないことになる。
 誇りを持てない国に対して、愛国心を持てというのも無理なことだろう。日本国民は世界に誇る足跡を残してきていて、優秀かつ勤勉であり、驚異の繁栄を築いてきた…と言ったとしても、虚しいだけである。
 いわれのない謝罪はしてはならない。言うのはタダ…ではない。ましてや、一国の総理大臣たるものが謝罪談話を発するというのは、将来にわたって重大な影響を及ぼすことを肝に銘じるべきである。

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