【200】 新春提言  2011 日本の課題    2011.01.01


 明けましておめでとうございます。
 今年もよろしくお願いいたします。



 新しい年が明けました。現今の日本については多くの問題点が指摘されていますが、新しい年を迎えて、今年1年間の日々をどう歩んでいくべきかを考えてみたいと思います。
 2010年には、小惑星探査機「はやぶさ」の帰還や鈴木・根岸両博士のノーベル賞受賞など明るいニュースもありましたが、総体的には「沈没する日本」という言葉に象徴されるように、揺れ動く政権、進まない政治改革、低迷する経済、地に堕ちた検察、消えた高齢者、いじめ・児童虐待…など、暗い事件が続きました。いずれも、日本にとって病根とも言うべき深刻な問題ですが、それらの『根本はひとつ』と言うことができるのではないでしょうか。


尖閣事件は、中国の東シナ海侵攻の第一歩
 中でも最大の事件は「尖閣問題」だと思いますので、この話題を皮切りに話を進めることにしましょう。
 躍進する経済を背景に、中華覇権主義を明確にして、近隣諸国への進出を明確にした中国は、南シナ海を制圧したのに続いて、いよいよ東シナ海にその矛先を向け始めました。今回の尖閣事件のように、漁船が他国の領海内でその国の取締り船に体当たりするなどといったことは、普通は考えられないことで、発砲を受け撃沈されても仕方のないところです。日本漁船が中国の領海内で同様のことをすれば、間違いなく銃撃・拿捕されるでしょう。
 中国漁船は、日本の監視船は撃たない(国際法に基づいた行動をすることはない)ことを知っていますし、さらにこの中国漁船は、多くの方も指摘されていることですが、日本の
対応を見透かしたうえで東シナ海を実効支配しようとする、中国政府の戦略のもとで出漁してきているのであろと考えられます。
 中国は、基本的に国際秩序に基づく国家間の関係を保持しようとする概念はなく、軍事的有利を確立すれば、力を以って相手を制圧しようと考えている国なのです。チベットや新疆ウイグルへの侵攻は言うに及ばず、最近では南シナ海のベトナムやフィリピンの領海で、不法操業する中国漁船を取り締まろうとするその国の巡視艇を、軍艦を改造した漁業監視船を派遣して威嚇し、追い払う始末です。
 2010年6月、インドネシアは自国の排他的経済水域で無断操業していた中国漁船1隻を拿捕しました。中国は直ちに2隻の漁業監視船を現場に派遣し、「返さなければ撃つぞ」とインドネシア警備艇に機銃を向けたのです。中国の監視船は4500トン近くある軍艦のペンキを塗り替えたものですから、通常400〜500トンぐらいの警備艇では歯が立ちません。インドネシア側は、中国漁船を解放せざるを得なかったのです。
 ここ20年以上、日本から莫大なODAを受け取りながら、毎年2桁の伸びを見せる軍事予算を計上してきた中国の軍事力は、15年前に比べるとまさに20倍以上となっていて、もはや東南アジアの国々では太刀打ちできない強大なものです。15年前の中国軍は200機の戦闘機を保有していたといっても飛べるのはせいぜい5機程度のもので、自衛隊関係者も「5分もあれば片がつきます」と言っていました。それが現在では「3時間ほどの戦闘になります。勝てるとは断言できません」と言い、「あと5年もすれば、戦力は向こうのほうが上になります」と言っています。
 相手を圧倒するとなれば、国際法も慣習も更には倫理も無視して、力で無理を押し通そうとするのが中国の政策です。国内の鎮圧や南シナ海の事例に、中国共産党独裁国家の恐ろしさを思い知るべきです。今でも、中国こそがこの世の中心で、周囲はすべて蛮族だという中華的帝国秩序の論理でもって、中国の政策は進んできています。1979年、ベトナムへ軍事侵攻したとき、ケ小平はこれを『懲罰のため』と称しました。
 今回の尖閣事件でも、中国は「尖閣は中国の領土だから、事件の全ての責任は日本にあり、謝罪と賠償を要求する」と、温家宝首相が国連の場で公言しています。国際法も秩序も慣行も尊重しない中国の論理…、まさに行動こそが事実をつくるという、無法の積み重ねによる既成事実化…、それを東シナ海で日本を相手に実行したのが、この尖閣事件だったのです。


アメリカは日本を守ってくれるか
 中国が、今回ここまで踏み込んできたのは、民主党政権のもたつきで日米関係がギグシャクしたことに対する、試し打ちの意味もあるでしょう。アメリカはそれでも、クリントン長官が「尖閣は日米安保の範囲内」と談話を発しましたが、さて、尖閣列島に中国人民解放軍が上陸して、さぁこれを排除しなければならないとなったとき、アメリカは本当に軍隊を派遣してくれるでしょうか。
 さらに、尖閣を占拠され沖縄にもその手が及ぼうかとなったとき、在日米軍をはじめとするアメリカ太平洋艦隊が出動の構えを見せたのに対して、中国が「派遣部隊には核攻撃も辞さない。同時に中国が保有しているアメリカ国債を全て売却する」とブラフをかけたら、アメリカは自国民の血を流し、国の経済や国民生活を低下させてまで、日本を守ろうとする決断をするでしょうか。
 今、アメリカの国家財政は、イラク・アフガン戦争での支出やリーマンショックの後遺症、アメリカ企業の競争力の低下などで、膨れ上がる借金にあえいでいます。しかも2011年からはベビーブーム世代が引退し始め、2016年以降の財政赤字と経常赤字はどんどん膨らむと予測されています。これからアメリカの国防予算は大幅に削減されていくでしょう。米軍の東アジアからの撤退は、在韓・在フィリピン米軍などですでに始まっています。
 パクス・アメリカーナと謳われた、世界の秩序を保持するアメリカの威信は、今後、確実に低下するでしょう。そのアメリカが、日本の有事に、将来にわたって日米安保を発動させるでしょうか。極めて難しいことは、誰が考えても明白です。本気で武力衝突も辞さない覚悟で中国が侵攻してきたら、日米安保は機能しないと思います。
 

自分の国は、自分で守れ
 では、日本はどうあるべきか。自分の国は、自分で守る力をつけることです。現代では、先進国同士の全面的な対決戦争は起こらないでしょう。しかし、相手を見透かして、局地的な侵攻を行うことは十分に考えられます。特にこの尖閣列島は危ない地域で、台湾侵攻と同じように、中国人民解放軍の出動は必ずあると考えられます。
 台湾や尖閣を今のままにしておいては、中国は対アメリカ戦略が描けないからです。中国にとって、沖縄列島から台湾・フィリピン・インドネシアに連なるラインが第一列島線として、国防上の最重要ラインです。すなわち、東シナ海・南シナ海を領海にしてしまわないことには、中国の安全保障は成立しないのです。そこにアメリカの空母が自由に出入りしていたり、台湾からミサイルを撃たれたら、北京・上海など沿海部の重要大都市は極めて危険です。また、7年後には空母を保有すると発表している中国海軍が、太平洋に出るためにも、台湾・尖閣・沖縄は極めて重要な位置にあるのです。
 中国からすれば、日本は太平洋への出口にある岩礁みたいなもので、邪魔なことこの上ない存在です。反対に日本から言えば、近隣に中国・ロシア・北朝鮮という、国民や国際社会のチェックが働かない、何でもありの全体主義国家が存在していることを忘れてはなりません。
 その日本が、今やらなくてはならないことは、自国を自分の力で守ることができる軍事力を保持することです。先述しましたが、現代では、先進国同士が戦争することは決してありません。そんなことをしたら、、自国も痛烈な損害を覚悟しなければならないからです。だから、日本が軍事力を持てば侵略戦争を始めるのではないかと国際社会が心配するなどという議論はナンセンスです。むしろ、「やってみろ。やり返すぞ」という構えをつくっておくことが抑止力なのであって、今のように「日本は決して反撃しない」と公表していることこそ危険なのです。
 まずは、自衛隊を増強すること。そして、中国が7年後に空母を3隻保有すると言っていますから、日本は4隻持つということでいいでしょう。空母を持つからには、当然、積載する航空機やミサイル、護衛の艦艇も必要です。
 そして、かねてから提言しているように、原子力潜水艦を10隻建造して、世界の海に潜らせることです。核弾頭を装備したミサイルを積んで遊弋させます。これで、日本に手を出せる国はなくなります。核開発は国際的な圧力が免れませんが、当面はNATOが行っている「アメリカの核を借りる」という形でまかなえばいいのではないでしょうか。もちろん借りていては、将来的にもアメリカのご意向に逆らえませんから、独自開発の努力を怠ってはなりません。


自主憲法の制定を
 もうひとつ大切なことは、戦力を整備しても、「日本は撃ちません」と言っていては何の意味もない…、抑止力にはならない…ということです。すなわち、憲法の改正を急がねばなりません。もはや、
 『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した』という前文のまやかしも、第9条の

 『 1。日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と
    武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄
    する。
   2。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は    これを認めない。 』 
という絵空事も、本気で信じている人はほとんどいないでしょう。
 それでも、憲法改正は大事(おおごと)です。次の総選挙には、「憲法改正」を掲げる政党が現れてもよいと思うのですがいかがでしょうか。


日本の諸問題の根本はひとつ
 憲法の改正は、日本の諸問題の根本をなす問題です。この項の冒頭に「日本にとって病根とも言うべき、政治の迷走・経済の低迷・消えた高齢者・いじめ・児童虐待などの深刻な問題において、『根本はひとつ』と言うことができるのではないでしょうか。」と書きました。
 「消えた高齢者」や「いじめ・児童虐待」などは、人間の絆(きずな)が
ほころびてしまった出来事です。人間としての尊厳も誇りも捨て去り、他に対する思いやりを喪失し、地域や仲間といての連帯もなく、ただ金銭的価値観のみに生きる浅ましさは、戦後日本が歩んできた日々を振り返ってみれば納得できなくもない現象です。
 日本は第二次世界大戦に敗れたのち、戦勝国の論理で裁かれ、近隣諸国を侵略して暴虐を働き、世界の自由と平和を破壊した、犯罪国家とされました。その後に続いた占領政策下においては、日本人の意識改革が進められ、「武士道・忠孝・矜持・恥の文化」などといった日本人的美徳は、全て否定されてきました。
 
昭和21・22年に勅令形式で公布・施行された「公職追放令」は、日本の各界から有力者・指導層20万人を追放しました。その結果、教育機関やマスコミ、言論など、特に啓蒙を担う業界で、いわゆる「左派」勢力や共産主義のシンパが大幅に伸長する遠因となり、公職追放を推進したアメリカにとっても、大きな誤算が生じることになりました。(この項、ウィキペディア百科より抜粋)。
 京都大学名誉教授で数々の名エッセーを著している田中美知太郎も「当時は反左翼的な言動をすれば学会での地位もさることながら、身の危険さえ感じた」と書いていますが、戦後日本の悲劇は、こうしてもたらされた教育・マスコミ・言論・思想界の偏向に因を発するところが大なのです。
 戦前の日本の伝統的なもの全てを否定する教育は、日本人の心から「誇り」を奪い取り、「自虐史観」を植えつける結果となりました。戦後の日本人には拠るべき祖国はなく、戦後の焼け野原から奇跡の経済的復興を成し遂げた人々の心には、国家を誇り、この国を守るという「愛国心」がよみがえることはなかったのです。
 ここにこそ、今日の日本が抱える問題の根源があります。考えてみてください、国を愛することができない人が、地域を…、隣人を…愛するでしょうか。人間社会の素晴らしさを知らず、拠るべきところを持たないものが、家を…家族を…ホントに愛することができるでしょうか。
 国を愛せないものは、詰まるところ自分しか愛せないのです。国という公(おおやけ)を忘れた教育は、自分しか愛せない利己主義しか育てない。国を守ることを語らずに、同胞・友人を守ろうとする意識は育たない。戦後繰り返されてきた優しいだけの人権教育は、自分の権利しか考えない恐るべき個人を育ててしまいました。
 まだ戦前の日本の姿を見てきた人たちがいた時代は、日本国民は戦災の焦土から立ち上り、世界が驚く復興を遂げることができました。ところが、戦後に生まれ、戦後教育の中で育ってきた、いわゆる団塊の世代以降が担う日本は、物質的にも精神的にも、先人たちが築いた遺産を食い潰し、その後は坂道を転がるごとく堕落の一途をたどっています。
 かつてフランスのドゴール大統領が、アメリカを当てにせずに自国で核を持ち、自主防衛を決意したとき、フランス国内からも「アメリカが守ってくれるというのに、なぜ任せないのか。コストも安く済むのに」という批判がありました。それに対してドゴールは、
 『自主防衛しない国、自国の運命を他国の政治屋さんに任せてしまう国に対して、国民は忠誠心を失う。また、もうひとつ、自国の安全保障を他国任せにすると国民が責任感を失い、刹那的な大衆になってしまう』
と反論しました。ドゴールの指摘は、今の日本の状況を正しく予言していたと思いませんか。


2011年、日本は…
 今、日本は第一に、国家と国民の誇りを取り戻し、自主憲法を制定して、自力で国を守ることができる国にならなくてはなりません。そのためにも、第二次世界大戦と東京裁判を再検証し、自虐史観の誤謬性を明らかにすることが必要でしょう。
 第二には、政治改革・公務員改革を進め、国民の納得と賛同を得る努力をしたうえで、消費税増税を行うことです。国の予算が、税収よりも借金の比率のほうが多いなんて、誰もこの国に安心して住もうとは思いませんし、そんな政治を信用しろといっても無理な話です。増収分は社会保障制度に使用する目的税であることを明示して。国民の安心を磐石のものとし、次に大胆に経済基盤の整備・復興に取り組むべきです。財界も、奥田前経団連会長のように、首相の靖国参拝に反対して中国のご機嫌を取るような性根の座らないことではいけません。米倉現会長も、「船長の解放は英断」なんて世迷いごとを言っていてどうするのですか。中国が日本の行動に異議を唱えて取引きしないのなら、他に商売相手を見つける努力をすることこそ、日本の国に拠っている企業の取るべき道です。中国は、ここまで見てきたように、付き合う相手として信頼が置けません。
 第三に、政治家の覚悟を問いたいと思います。政治は、国家と国民のために命を懸けて行うものです。昨今の政権のように、党利党略とわが身の保身ばかりを考えて、不見識と迷走を繰り返していては、国民や国際社会の信用も得ることはできません。全身全霊を以って、日本を背負う政治家としての覚悟を示してほしいと思います。
 現在の内閣に、それを期待するという意味ではありません。国民が、そんな政治家の姿を厳しく求めていくことによって、近い将来の日本に意思と覚悟を持った政治家が誕生してくるのだと思います。そう考えてみれば国民の意思と覚悟こそ、何よりも求められる要諦なのでしょう。


 尖閣問題で明らかになった、日本の脆弱さ…。それは、日本人の意思と覚悟を問う、歴史の節目であったのです。
 2011年を日本人再生の年とするように、この1年の日々を積み重ねて生きたいと思います。
 

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