【204】 大相撲の八百長           2011.02.18


 八百長問題を明らかにすると相撲協会は究明委員会までつくって取り組んでいるが、はたしてマナジリを決して糾弾すべき問題たろうか。
 野見宿禰以来1300年の歴史を持つ相撲は、紆余曲折を繰り返しながらも、相撲ファンに愛されながら歴史を重ねてきている。目の肥えた相撲愛好者たちは、八百長なんて見破ることはたやすいだろうけれど、その人たちに支えられた相撲の人気はいっこうに衰えを見せない。すなわち、相撲を見ている人は、負け越して陥落する大関よりも、角番をしのぐ力士の姿に安堵しているのである。
 江戸時代には諸藩諸侯のお抱えとして生き、明治期には元勲・国士を、昭和のはじめには政商や軍部将官を桟敷きに並べて、その存続を図ってきたのが相撲である。現在、国技館のいい桝席は、ほとんど大企業によって年間買われている。そこにも相撲界の知恵がある。時の権力を見極めてその懐に入り、文部省やマスコミなどとも折り合いをつけて、時代を潜り抜けてきたのだ。相撲協会という組織も、個々の力士たちも…。
 地方巡業などでは、取り組みしているときにはもう次の巡業先への汽車のキップが買ってあって、下手にケガでもしようものならば汽車に乗れないじゃないかと叱られてしまう。だから、決まり手は押し出しや寄り切りが圧倒的で、転んだり土俵下へ転落するような決まり手は見られないという。見るほうも、納得のことである。
 現在、十両以上の力士は62人(うち幕内36人)、幕下634人。力士のほか、日本相撲協会に属する人たちは、年寄、行司、床山、呼出、世話人、若者頭などがいて、合わせると約1000名になるという。これらの人々が、相撲社会という特殊な世帯で、肩を寄せ合って生きてきたのだ。
 千秋楽で7勝7敗の十両力士に敗けてやるというのはごく当たり前の発想で、十両力士は給料100万円、幕下は無給なのだから、相手の力士がもしその一番で負け越して幕下へ落ちれば、家族が困窮するほど境遇がちがってくる。それが、明日はわが身かもしれない。
 見るほうも、7勝7敗が勝つのを見て一安心…。魁皇や千代大海が、コロコロと大関陥落では、見ているほうもつらい(苦笑)。


 相撲は、「和をもって尊しと為す」日本に生まれたものである。言わぬが花よ人生は…という浪花節日本が育ててきた興行である。談合社会の日本に咲いた仇だ花なのだ。
 八百長撲滅なんて言ってないで、八百長を楽しめばいいんじゃないか。騙されるのを喜んでいるのが、正しい相撲の見方だ。「さっきの相撲は、見事な八百長だったねぇ」「相撲史に残る、手に汗握る名(八百長)勝負だった」といった具合に…。


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