【205】 東日本東岸大地震              2011.03.12


 11日午後2時46分、三陸沖を震源とする巨大地震があった。震度は、国内観測史上最大のM8.8とされ、東北地方の太平洋沿岸を巨大な津波が襲った。陸前高田市や大船渡市、新湊市などでは、町が消え去るほどの壊滅的な打撃を受けている。
 (13日に、震度はマグニチュード9.0に訂正された。この震度は、M9.5 チリ大地震(1980.05.22)、M9.3 スマトラ・アンダマン地震(2004.12.26)、M9.2 アラスカ地震(聖金曜日地震、1964.03.28)、M9.1 アリューシャン地震(1957.03.09)、M9.0 カムチャツカ地震(1952.11.04)と続く大地震ランキングで、20世紀以降の歴代5位に並ぶすざまじさである。)
 想定範囲内の堤防では、100年に一度の災害は防げないということか。自然の猛威の前には、人間の力はあまりに小さい…と言ってしまえばそれまでであって、それをも含めて最小限の被害に食い止める手立てを施しておくことが、想定の範囲というのではないのか。
 震度7という激震を受けて「福島第一原子力発電所」が爆発した。今のところ、何による爆発なのか判明していないが、この事故をみても、日本の国力・民力が低下していることを実感させられている。(13日、水素爆発と発表された。)
 日本は事故があっても、放射能漏れを起こすような事態は絶対に招かないという信頼があったのではなかったか。原発を管理しているものは、「大地震だ。原発を守れ。」と、必要不可欠な措置を遺漏なく講じ、原発に対する信頼を根本的に覆す放射能漏れという事態には絶対に至らせないという、関係者の意識と尽力があった。
 原発事故は食い止めねばならないという意思も、食い止めるためには何をしなければならないかという技術力も、大きく低下しているといわねばならないのではないか。
 戦後教育を受けてきたものたちの哀れさが垣間見られる。意思も、判断力も、実行力も低下した日本がここにある。国力も民力も退化した日本を、ここに見たような気がする。
 原子力発電所の建設を輸出しようという官民一体の取り組みがなされているが、この現状を見ては、世界の国々も信頼を寄せることはできまい。


 総額何10円もの大被害であろう。被災された人々の今後に対しても再生への配慮・援助が必要だろうし、日本経済の生産力・製造力は低下し、株価の低迷など、日本の今後に与える影響は大きい。
 これを、新しい国づくりへの礎と位置づけて、日本の構造や人々の意識、教育の体制などを変えていくスタートにしていかねばならないのだろうと思う。


 (まぁ、民主党政権・菅内閣では望むべくもないか。)


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