【207】 復興に向けて      2011.05.21
  
− 民主党内閣には、政権担当能力がない −


 「菅さん、あなたの存在こそが、日本の不安材料だ」という声が、あちらこちらから聞こえてくる。政権交代以来、民主党政権は、最大の政治課題であった景気回復や雇用問題に好転材料を見出すことができないばかりか、高らかに掲げた公約も何一つ実現できず、外交は日米間の信頼関係を大きく揺るがせたと思いきや、中国には小沢大訪問団やごり押しの近習平副主席の天皇陛下会談、そして尖閣土下座外交を繰り返す始末であった。自民党政権時代に根ざす問題も多いのだろうが、しかし、かけた国民の期待は大きかっただけに、鳩山・菅内閣の目も当てられない迷走振りには、失望を通り越してあきれ果てている。
 加えて3月11日の東北関東東岸大震災は、日本の存亡を問うような激震であった。震災の発生から2ヶ月を経た今、その復興に対する政治の努力はあまりにも稚拙であり、いまだに被災者のほとんどが、近隣の指定避難所やまた他府県の避難先に仮居住していて、先行きの見えない日々を送っている。
 さらに、初動態勢の失敗から、人災だとまで言われている「福島第一原発」の対応のまずさは、日本の原子力政策を根底から覆してしまったばかりでなく、東北地方の広い範囲を無人の荒野と化そうとしている。


 関東大震災の直後には「腐敗堕落した人間社会に対する天の戒め」という意味で用いられた「天譴論(てんけんろん)」が広く唱えられた。災害とは天が人に下した譴責であり、人々の贅沢や自由放縦な生き方に反省を促すのだと解釈されて、石原慎太郎は日本国民は反省しろと言ったと槍玉に挙げられ謝罪することになった。
 しかし、中国古典におけるもともとは儒教主義に基づく思想で、災害は「王道に背いた為政者に対する天の警告」というのが原義である。阪神大震災が村山政権のときであり、今回の東北関東大震災が菅政権のときであるというのが、何やら象徴的だが、この「天譴論」の説く意味はさらに、「天子の不徳によって人民が苦しむのだから、天子は以後、善政を敷くことによって天の意思に応えなければならない。それがその後の災害を予防できる唯一の道である」という人民救済の論理に繋がっていく。天の戒めを畏れて受け止め、為政者は徳を以って政治に当たり、人民はこころをひとつに合わせて復興に励まなければならないというのである。


 大震災以後の対応をみても、菅内閣の施策はお粗末に過ぎる。激震・津波に見舞われた東北東岸地域では、1ヶ月を過ぎてもまだ避難所生活者は万余を超え、その復興にはほとんど手がつけられていなかった。
 福島原発事故への取り組みは、4月10日、避難対象地区に入った日本文化チャンネルの調査隊の報告によると、「家族や家を失った人が、同じ被害を受けたほかの人のために黙々と片づけを手伝い、遺体捜索に手を貸している。ここに政府がかかわった気配は毛ほどもなく、言い知れぬ怒りと喪失感を覚えた。」「福島第一原発正門前では警備員が近づいてきて「引き返してください」と声をかけてきた。この警備の甘さ…、武装したテロ集団に占拠され、『要求を呑まなければ原発を爆破し汚染を日本全国に広げるぞ』と脅迫されたらどうするのか」と書いている。これが、復興を指揮しなければならない政府の、あるべき姿か!
 福島原発事故への対応は、遺憾ながら「菅政権を信用するな!」に尽きる。東電は3月13日には、福島第一原発の炉心の損傷度合いが1号炉70%、2号炉30%、3号炉25%であることを発表した。このことは炉内の放射性物質が、圧力容器→格納容器からは損口を通じて環境中に放出された可能性を示唆している。ところが、政府・原子力安全保安院は、なぜか『損傷は3%程度』と発表し続けていた。
 原発の安全は、経産省の外局に位置する「保安院」の管轄である。もともと原発の安全管理については、これをチェックする独立機関として「原子力委員会」と「原子力安全委員会」があるが、経産省はこれら2つの委員会から提言・管理の実権を奪い保安院の管轄としたが、当事者としての責任感の無さは目を覆うばかりである。
 例えば、昨年10月「原子力安全基盤機構」が、福島原発の2・3号機について、電源が全て失われる状態が3時間半続くと圧力容器が破損し、炉心の燃料棒も解ける。更に6時間50分後には、格納容器も高圧に耐え切れずに破損し、溶け出した放射能物質が外部へ漏れ出すという研究報告を出しているけれども、保安院は電源確保のための指導も対策も行ってはいない。責任は寺坂信昭保安院長、海江田万里経産大臣にあるのだが、対応振りを見ているとその自覚があるのかどうかはなはだ疑問だ。
 また、1979年のスマイリー島原発事故以来、多額の予算を投入して開発してきた、原発事故が起きたときに環境に放出される放射性物質の移動・分布の状況をリアルタイムに予測する「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)」は、事故発生後20分程度で結果を処理する能力を持っている。政府(気象庁)は、IAEAに対してはその予測結果を逐次報告し、それを受けて外国人の多くは80Km以上の遠隔地や国外へ避難したのだが、枝野官房長官が「20〜30キロ圏内の地元市町村に住民の自主避難の促進をお願い」を出したのは、実に原発事故から10日以上が過ぎた、3月23日になってからである。
 そして、原発事故が起こった直後にはアメリカ・フランスからの支援の申し出を断り、事故後2ヶ月近くもたってから、「実は炉心融溶(メルトダウン)していました」などと発表する愚かさである。今、やっと立ち上げた復興会議の五百旗頭真(いおきべまこと)議長は、「具体的な議論はこれからやります。諸賢の英知をまとめていくのが私の役割」と、まるで臨場感のない他人事のような所見を述べている始末だ。(五百旗頭は元防衛大学学長で、田母神論文問題では田母神空爆長の引責辞任を主張した人物である)。
 菅首相は、復興策を検討・諮問するために、20余の復興関係会議を作っている。それでいて救援物資も義捐金も医療も行政サービスも被災地には届いていないし、ガレキの後片付けすらもできていない的外れな対応を見ても、また、震災後の統一地方選で突きつけられた厳しい評価から判断しても、民主党と菅政権は国民に信頼されていないし、当事者能力を保持してはいなくて、このままこの政権を抱えていくことは、日本の将来に対して大きな不幸であると断じざるを得ない。


 菅首相は突然に浜岡原発の停止を要請するとの談話を発表したが、果たして日本がこの先、原発なくしてやっていけるだろうか。
 原発の恐怖体験のあとだから人々の感情論は理解するとしても、使い放題に使ってきた電力の上に築かれた社会を大きく後退させることは現実問題として不可能であろうし、選択肢としても適当とは思えない。大震災後の産業の復興にも、都市機能の再生にも、そのための人々の活動にも、基本的に電力は重要である。
 市民活動家菅直人の、代替の電力供給の提示も、日本の将来像に言及することもない、唐突な浜岡原発停止要請によって、この夏、全国的に電力供給量が不足する心配が大である。わが国ほどの工業生産量を持ち、(改善の余地はあるというものの)消費生活が膨れ上がっている国で、北欧や後進国のような自然発電体制をとることは難しい。太陽光や風力による発電は、将来においても10%が限度であろう。
 また、火力発電に大きくシフトするのならば、石油・石炭を燃料とするのだから、輸入依存体質はますます加速するし、地球温暖化に対するCO2の削減など夢のまた夢である。原発なくして、国際公約が実現すると思っているのだろうか。
 安定的に原料が確保でき、安価に生産できる原発は、日本の将来にとって避けて通ることのできないエネルギーである。これからの原発は、立地を無人島に移すとか、建設・運営を全面的な国の責任の下で行うこと、安全管理体制を千年に一度の大災害のときも千に一つの事故を起こさないように百万分の一の確率を考えての安全策を示すことが必要であろう。
 さらに、東日本と西日本とでHZ(ヘルツ)が異なるという不具合も修正して、日本全国に電力が自由に供給できる体制を整えなくてはならない。そのうえで、電力会社のあり方も、地域独占形態をなくして自由に競争させ、好きなところから電気を買える形にするべきだ。地域独占が、驕りや動脈硬化的な甘えた体質を生むことに留意するべきだろう。


 日本は、この大災害を契機として、新しい国家の建設を図っていくことを考えなければならないと思う。
 贅沢に慣れた消費者である国民の意識の低さと無責任さも、大いに反省しなければならないところである。その生き方を問い直すところから国民意識を変革していくことを、教育や文化を見つめなおすことから始めていかなくてはならない。
 そして、国家観や歴史観のない…、責任感も先見性もない…、この菅政権に、日本の明日を委ねることを一日も早く辞めさせねばならない。この大惨事のときに首相を代えろという議論は控えよう…という主張もあり、ローマのことわざに「川を渡る最中に馬を代えるな」とも言うが、川を渡れない駄馬だということが解ったら、代えずにいたら駄馬もろともに流されて溺死する。
 阪神大震災のとき、村山内閣は危機管理が出来なかった。今回の大震災に、菅内閣は当事者能力の欠如を露呈している。事業仕分け大臣の蓮舫は自衛官の増員要求を切り捨て、自衛隊を「暴力装置」と呼んだ仙石由人元官房長官が官邸に戻り、自衛隊を憲法違反として救援活動を妨害した辻本清美が首相補佐官である。この政府の誤りは、結局のところ、理論ばかりを振り回して現実の世の中を見ようとしなかった旧社会党に、その要因があるといえるのだろう。


 今こそ、新たな国づくりのために、明確な将来像を示しえる新しい指導者のもとで、人々がしっかりと心を合わせて復興への槌音を響かせねばならない。そのための政治の責任は重い。


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