【209】 東北関東東岸大震災 復興計画        2011.06.06

  
 大震災の復興が、遅々として進まない。被災地では、今日の食べるものや明日の生活費に困っている状況だというのに、無能な首相・政府・与党のもと、復興にかかわる1本の法律も成立していないていたらくだ。
 1923年(大正12年)9月1日、首都東京に壊滅的な被害をもたらした関東大地震の復興計画は政府主導で行われた。第2次山本内閣の内務大臣に就任した後藤新平は、震災の2日後には「帝都復興院」設立計画を立て、自ら総裁を兼務して人材を集めている。


 後藤は一人で東京復興の基本方針


  1. 遷都すべからず
  2. 復興費は30億円を(現在の金額で175兆円)要すべし
  3. 欧米最新の都市計画を採用して、我国に相応しい新都を造営せざるべからず
  4. 新都市計画実施の為めには、地主に対し断固たる態度を取らざるべからず

を練り上げる。そして、ただちに内務官僚に復興計画の細目について策定を指示、あわせて復興組織づくりを進めた。


 復興費30億円とは、現在の貨幣に換算して約175兆円に上る。財源の裏づけがあっての話ではないが、どうせ削られるのだからと打ち出した、大風呂敷とあだ名された後藤の真骨頂といったところだ。
 「地主に対し断固たる態度を取らざるべからず」というのだから、復興特例法といった立法処置をして、私有地としての権利を認めないとしたわけである。私有財産権の侵害としてのちに糾弾されたが、復興以上の再建をするためには、断固たる都市再生計画が必要であった。もちろん道路や災害防止のための公園煮する土地などを収用し、整備を行った後は土地代を支払ったり代替地を用意したりしたのだが、都内に大きな土地を保有していた伊東巳代治(枢密院顧問)などの頑強な抵抗にあい、予算は6億円足らずに縮小されてしまった。
 それでも、現在の東京の幹線道路は、この時に整備されたものがほぼそのまま使用されているし、東京市中の川に架かっていた橋も大部分が甚大な壊れていたので、大地震にも耐える恒久的な橋が計画され、隅田川に今なお震災復興橋梁として架かる橋は下流から順に、相生、永代、清洲、両国、蔵前、厩、駒形、吾妻、言問の9つあって、震災で壊れなかった新大橋を加え、隅田川十橋と称されている。9つの橋のうち、両国、厩、吾妻の3橋は東京市が担当、残りの6つの橋は復興院(のち内務省復興局)が担当した。
 その橋の建設にも、帝都の門たる第一橋梁の永代橋はアーチ橋とし、第二橋梁の清洲橋はライン川にかかるケルンの吊橋をモデルとするやわらかさを感じさせる案を採用するなど、都市景観に配慮した計画を立てている。
 学校を耐震性に優れた鉄筋コンクリート造りにし、大正期に水洗トイレの設備までもつけている。公立小学校と公園を併設する手法により、戦前・戦後を通じて、首都圏内や各地方都市で災害に対応した町づくりの一環としての防災用の緑地・公園が設けられていった。
 1923年(大正12年)12月27日に発生した虎ノ門事件の影響で、第2時山本内閣は総辞職したため、後藤の復興計画は道半ばで他者に引き継がれることになったが、大東亜戦争の終戦後、昭和天皇が「後藤の都市づくりが完成していれば、戦災被害はもう少し和らげられたことだろう」と述べられたことは特筆に価する。


 この例から見ても、復興計画は敏速でなくてはならないし、ひとつの組織全権限と全責任を持ってことにあたらなくてはならないものである。
 しかるに、現政権(菅内閣)は、震災後3ヶ月になろうとしている今も、ナントカ対策会議などという組織ばかりを20個ほども乱立させるばかりで、復興の青写真を示そうとしない。復興計画は、東北地方だけの復興を図るものでなく、併せて日本全体の将来像を示すものでなくてはならないのに…。
 電力供給はどうするのか、今のままならば電力の無い状況下で東北・関東の工業生産はどうするのか、企業の生産拠点を西日本に移すべく国家としての計画はあるのか。
 東北の農業を大規模化するため、農地法や農協法を改正して、利益が上がる産業に育てていくことを実行しなければならない。東北は日本の漁業基地だが、小型船で生産性が低かった漁業を大型化への援助をし、漁港の整備を急ぐべきだろう。
 津波の被災地の復興は、津波が届かない場所に新しい町を創ることを図ることだ。何千億円もの費用をかけた大防波堤も、必ず再来する想定外の自然の猛威の前には無力であることを思い知らされた。今度はその費用を使って、再び同じ被害をこうむらない高台に新しい街づくりを図ることだ。


 復興は、どのように進めるのか。どれぐらいの時間がかかり、人々の将来の暮らしはどうなるのか。首相は、国政を預かるものとして、自らの言葉で語らなければならない。人々に安心を与え、一致団結して国難に当たることを促さなければならない。
 しかし、菅首相の曖昧さは救いがたい。場当たり的なことを言っては、思いつきの対処をしている。しかも、多くの国民は、菅首相が出てくるとテレビのチャンネルを変えてしまうというのだから、もはや国民の信頼を繋ぎとめることができない状況で、どうしようもない。
 現政権に、復興の舵取りをする能力は無い。国民が信用しようとせず、その言葉を聞こうとしないのだから、資格も無いということだ。
 大連立よりも、政界再編成だろうと思う。大連立では、今の既成の政治家が舵取りすることになって、今まで通りの手かせ足かせの中で斬新な復興案は期待できない。
 ここは、枠組みを変えて、新しいリーダーのもと、新しい考え方で思い切った日本復興計画を示すことが肝要であろう。


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