【210】 信頼崩壊の社会 責任体制を整えよ 2011.06.13
− 日本では、政府も、一流企業も、学会・学者も信用できなくなってしまった −
斑目原子力安全委員長が、テレビで「福島原発事故は防ぐことができた。そういう意味では人災だ」と自らや原子力安全委員会の責任を認める発言をしていた。「情報が原子力安全委員会には、ほとんど入ってこなかった」との苦言も呈している。東電や原子力安全保安院の手元で止まっていたと言いたいのだろう。
この事態を招いたことに原子力安全委員会の責任は免れないが、たしかに原子力行政の一番の責任者は
経産省と保安院だ。原子力推進の経産省の中に安全管理を司る「保安院」があるのも、馴れ合いであることを満天下に公表しているようなものだが、彼らは責任の全てを東電に押し付けて、自らの責任については一言も触れていない。勉強不足の(あるいは政府とつるんでいる?)マスコミもその追求を怠っている。
また、この原発事故を見てみると、
学界・学者という人たちの欺瞞に満ちた発言はどうだ。
事故に際していち早くアメリカやフランスが自国民を避難させたのに対して、日本では「直ちに健康に影響がない」という政府発表をメディアも繰り返し、専門家も「100ミリシーベルトまでは大丈夫」と発言している。
テレビに出演して原発事故の解説をする東大教授に、
東電から5億円の研究費が渡されていたことも報道されている。その結果が歯切れの悪い迎合発言ならば、学者はその良心を金で売っていると言われても仕方なかろう。事故後、放射能被爆の年間の許容量は従来の1ミリシーベルトから20ミリシーベルトに引き上げられ、更に100ミリシーベルトまで容認した政府発表にも、(涙の抗議で政務官を辞任した東大教授もいたけれど)、学会のお墨付きは与えられているはずである。食料の許容汚染値も随時引き上げられているが、国民の命を担保にして学問的地位の保全を図っているのならば、魂を悪魔に売ったとしか言いようがない。
原発関係者は、
一種の「ムラ社会」を形成している。政治には原子力利権があり、関連企業は「原発はダメ」と言ったらメシの食い上げだ。メディアの多くもこれに組み込まれていて、大本営発表ばかりを伝えて、ホントのことを取材して書こうとはしない。
「想定外」と言われたら、「そうですか」と引っ込む
国民も悪い。現象や事故をきちんと検証して、責任の所在をはっきりさせることが大切だろう。刑事罰をも含めた、責任の取り方を定める必要もある。そうでなくては、対策はいい加減でおろそかなものになり、また同じ大災害が繰り返されることになる。
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