【日本は今、216】 「脱原発」は間違い!       2011.08.20


 福島原発事故にショックを受けている国民の気持ちを見透かしたかのように、支持率回復を狙った菅首相の「脱原発」発言が飛び出した。
 この時期、やっぱり原発は恐ろしい、だから自然エネルギーに転換すべきだというのだろうが、果たしてそうか。これから何十年もかけて原発を廃炉にし、その間新しいエネルギーを生み出していくことに、日本は耐えられるだろうか。
 研究費や設備に投資をし、高コストの発電を続けていくことに、国民は高い電気料金を払っていく覚悟が出来るかもしれない。しかし、日本の経済は耐えていけるだろうか。ただでさえも低迷する不況にあえぎ、無策の政治に翻弄されて、存続さえも危うい日本企業が、高い電気代の負担を要求されるエネルギーの変換に応じられるとは思えない。日本を捨てて外国へ出ていくことを余儀なく選択する企業も多いことだろうし、その体力すらなく、廃業に追い込まれる企業も出てくることだろう。菅首相の「脱原発」発言があった翌日の閣僚懇談会では、閣僚から強い異論が呈され、首相は「私個人の考え」と釈明するお粗末さであったことが、この事情を如実に物語っている。
 また、ソフトバンクの孫社長は、「全国の休耕田にソーラーパネルを設置すればよい」と言っているが、田畑はパネルなどよりももっと貴重な国家的財産である。食料自給率40%の日本が、農業政策の根幹を見直す議論をせずに、休耕田を潰せなどという議論をしていることが浅はかであろう。


 「脱原発」は、間違いである。大事なことは、日本の技術力をもって、二度と事故の起こらない安全な、国民にも地域の住民にも安心してもらい、世界に対してその技術を提供(輸出)していけるような原発を完成することだ。
 そのためには、福島原発の事故原因を徹底的に究明することが肝要であるが、この事故は、素人が考えても人災であって、まず、貞観地震による14〜15メートルの津波の記録を無視して建てられていることが間違いだ。交流電源が喪失しても大丈夫だという、原子力安全保安院の指針も許されない大ミスだった。そして、事故の処理よりも原発の再稼動を優先させた東電の対応も根本的な失態で、爆発・放射能漏れを食い止めることを最優先して処理に当たっていれば、今日のような惨事は招いていない。
 すなわち、東京電力・経済産業省・保安院は癒着し、学界までもが東電からの研究費によって「原子力ムラ」を形成していて、原子力行政が安全に対して真摯な取り組みをしてこなかったことが指摘される。電力会社は、地域独占という体制によって、莫大な利益を保証されている。それによって、政界・経済界・学界に、隠然たる力を保持している。この体質を変えねば、今回の事故に対する本当の反省はなされず、原発の安全は確保されない。
 かつて国鉄は毎年2兆円の赤字を垂れ流して国費を食いつぶしていたが、分割民営されてからは7000億円の税金を納めるようになった。日本航空は再生会社になっても、飛行機は飛んでいる。東電を潰しても、電気はストップしない。
 福島原発の事故は東電の官僚体質がもたらした人災なのだから、東電は破産させて新会社を作り、全国の電力会社も発送電分離を進めるべきである。どこの電力会社からも全国の地域に電気を送れるようにして、電力会社にも競争原理を導入し、国民は安い会社から電気を買うようにするべきだ。企業の自家発電を、危機管理の面からも大いに推奨すべきだろう。コストのかかる経営をしていても電力料金を上げればよいというような体制を、一刻も早く改めなければならない。


 繰り返すが、「脱原発」は、間違いである。やらなければならないことは、日本は技術力を結集して、地震にも津波にも、二度と事故の起こらない原発を完成することだ。そして、真の原子力安全体制を確立し、世界にその技術を提供すること…、言い換えれば、世界の原子炉を安全な日本製にすることを考えるべきである。



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