【260】 慰安婦・従軍慰安婦・sex slave(性奴隷) 2013.07.24


 橋下維新の会代表の従軍慰安婦発言以来、歴史認識で軋轢を生じている韓国や中国のみならず、国内の女性団体、そしてキリスト教的建前主義の米国からも、さまざまな批判が寄せられている。
 その批判の是非についてはのちほど考えることとして、先ずは「慰安婦・従軍慰安婦・sex slave(性奴隷)」という言葉の持つ意味を振り返ってみることにしよう。


【慰安婦】
「デジタル大辞泉」は、「かつて、主に戦地で将兵の性の相手をさせられた女性」。
「ウィキペディア百科」は、「慰安婦(いあんふ、Comfort Women)とは、日中戦争、太平洋戦争、朝鮮戦争、ベトナム戦争及び韓米軍事合同訓練並びにアメリカ軍、連合国軍及び国連軍の駐留時などに、当時の戦地、訓練地、駐留アメリカ軍基地周辺の基地村などに設置された慰安所と呼ばれた施設で日本軍、韓国軍、アメリカ軍及び国連軍の軍人・軍属に対して、売春業を行っていたまたは行っている女性の総称」と記している。
「朝日新聞のキーワード」によると、「戦時中、朝鮮半島や中国、フィリピンなどの女性が日本軍の占領地などにつくられた慰安所に連れて行かれ、兵士らに性的暴力を受けた。日本は93年の官房長官談話で軍の関与を認め「おわびと反省」を表明。民間からの募金を元にアジア女性基金が「償い金」を元慰安婦に支給したが、韓国などでは「日本政府が補償すべきだ」と批判が出た。( 2006-02-26 朝日新聞 朝刊 総合 ) 」となる。

● 一般に春をひさぐ女性といえば、対価を得て売春を行う「娼妓・売春婦」のことで、戦地で軍隊を相手にするものを特に「慰安婦」と呼ぶ。
 韓国からは「日本軍は、戦時中、朝鮮半島各地から、妙齢の女性を強制連行し、その総数は20万人に及ぶ」として、日本に謝罪と保証を求めているが、これまでに日本の国や軍が強制的に婦女子を徴用・拉致して売春を強要したという事実はないことが、多くの日本人研究者や朝鮮人記者たちによって証明されている。
 日本軍の慰安婦狩りの論拠とされる、吉田清治の「私は戦時中、済州島などの朝鮮各地で、若い朝鮮人女性を軍令で捕獲・拉致し、強制連行した」という証言は、朝日新聞・しんぶん赤旗などが繰り返し報道し、日本の戦争犯罪として大きくクローズアップされてきている。吉田清治自身も、韓国に赴くなどして、講演と謝罪を繰り返している。
 しかし、この吉田証言に対して、1989年8月14日に済州島の現地新聞「済州新聞」の許栄善記者は、済州島城山浦の85歳の女性の「250余の家しかないこの村で15人も徴用したとすれば大事件であるが、当時はそんな事実はなかった」という証言を紹介し、吉田の著作には「裏付けの証言がない」として、吉田のいう済州島での「慰安婦狩り」は事実無根であり、その主張は虚偽であると報じた。また、済州島の郷土史家金奉玉も、「何年かの間追跡調査した結果、事実でないことを確認した。この本は日本人の悪徳ぶりを示そうとする軽薄な商魂の産物と思われる」と、数年間の追跡調査で吉田証言が事実ではないことが判明したと批判している。
 日本でも、元千葉大学・日本大学教授で歴史学者の秦 郁彦や、東京基督教大学教授で現代朝鮮問題研究者の西岡 力などによって、吉田証言の虚偽・捏造は証明され、大東亜戦争下において国や軍によって藤好が強制的に売春婦にされるという事実はなかったと結論されている。

 兵士の月給が10円程度であった時代に、民間業者は売春希望者を300円で募集している。大将の年俸が800円に対し、年間3000円を稼ぐ娼妓も居たほどで、応募者は多かったから、日本軍は強制連行をする必要もなかったのである。


「従軍慰安婦」
「ウィキペディア百科」は、「千田夏光の原作による、1974年の日本の映画である」とだけ記されていて、(慰安婦については「慰安婦」をご覧ください)とある。
「goo辞書」は、単に「慰安婦を見よ」だけだ。

 すなわち、大東亜戦争当時には「従軍慰安婦」という言葉はなく、ということは、「従軍慰安婦」は存在しなかったということである。
 「従軍慰安婦」という呼称は、元毎日新聞社の記者でフリー記者となった千田夏光(せんだかこう)が、1973年、初の著作『従軍慰安婦』で用いたのが始まりとされている。
 千田はその著書の中に、1970年8月14日にソウル新聞が掲載した、「1943年から1945年まで、挺身隊に動員された韓・日の2つの国の女性は全部でおよそ20万人。そのうち韓国女性は5〜7万人と推算されている」という記事を(故意にかどうかはわからないが)誤読し、挺身隊を慰安婦と書き換えて記述している。
 以後、千田夏光は慰安婦を題材にした記事や書物を多数著すことになるが、実在の軍人や軍医にインタビュして書いたとしているもののほとんどは、故意に事実を誇大化したり、捏造している。その捏造をもとにして、1991年、朝日新聞では「従軍慰安婦」について「女子挺身隊の名で戦場に連行された」と報道しているように、また昨今の韓国を初め国際社会の対日批判が「従軍慰安婦」という言葉とその数字を使ったりしているように、今日に及ぶ影響は大であると言わねばならない。


sex slave(性奴隷)」
「ウィキペディア百科」は、「性的奴隷(せいてきどれい)は、英語の sex slave の訳であり、現代欧米においては広汎に使われる表現である。
 具体的関係の中でより従属的立場の者が、より支配的立場の者により意思に反して継続的に性的行為を強要される状況(その多くは退去(移動)の自由・性的自由を完全に奪われる)での、その人・関係・状態を指して、性的奴隷と呼ばれる。
 性的奴隷は、古代から19世紀までの階級的奴隷制の一形態・一側面にも存在したが、近代においては20世紀前半の国際連盟において、娼婦の多くが前借り借金で縛られている不自由さや人身売買の状況を問題視する視点から、強制労働などとともに「奴隷」の表現が当てられた。
 日本では、一般的に奴隷という表現はなされておらず、○○奴隷とは扇情的比喩用法であった。最近、慰安婦問題によって外国の表現が移入されてきている段階である」と書いている。

● 大東亜戦争当時に日本軍の宿営地に働いていた「慰安婦」を、韓国をはじめ西欧の国々においても、「sex slave(性奴隷)」と呼ぶのだという声が聞こえている。しかし、日本では欧米と違い、江戸時代以降は階級としての奴隷は存在しなかったというのが歴史的事実である。
 前借金や借金によって自由を束縛され、売春婦として働くことを強いられる状況を、奴隷と呼ぶのは無理があろう。その人たちのほとんどは、それぞれが余儀ない事情があるとはしても、自らの事情や親たちの意思によって苦界に入り、封建時代の強制的拘束はあるとしても、日常の自由は認められていたのである。
 これに対して、日本において慰安婦支援に積極的な、中央大学教授の吉見義明は、「たとえ本人が、自由意志でその道を選んだようにみえるときでも、実は植民地支配、貧困、失業など何らかの強制の結果なのだ」として、日本軍の関与があったという立場にある。その時代の背景とか個人の事情とかを省みずに、例えば借金によって縛られ労働させられるものは全て国家の責任における強制があるというわけだ。他の一切の条件を省みずに…というところに、彼の論拠の幼稚さがある。それならば、国家はそれに対してなんらの責任を負うことはなく、賠償の義務もない。

 奴隷制度は有史以来あまねく存在したが、西欧では「神はモーセに対して『ミディアン人に対してイスラエルの人々(ユダヤ人)の復讐をせよ。 … 男はすべて殺せ。また男と寝て、男を知った女もすべて殺せ。ただし、男と寝ず、男を知らない娘たちはすべて、お前たちのため生かしておけ』(旧約聖書、民数記)と命じ、人びとはその通りにして道を開き、国を造ってきた。奴隷は、戦利品・売買するもの(家畜・道具)であって、人としての認識はないという文化を受け継いでいる。欧米人の「性奴隷」という言葉に抱く意識は、奴隷は人として扱わない残酷さがあるのだ。
 アメリカ独立宣言を書いたトーマス・ジェファーソンのセックス・スレィブにサリー・ヘミングスがいる。18世紀当初、アフリカから米大陸に運ばれたひとりの黒人女奴隷がいて、彼女は白人の買い主に犯されて混血の女の子を産んだ。その女の子は英国人船長ヘミングスに買われて、黒人の血が4分の1になったベティを産む。ベティはバージニア州の農場主ジョン・ウエィルズが買って、8分の1の黒人混血女児サリー・ヘミングスを産ませた。のちにアメリカ大統領にもなったトーマス・ジェファーソンは、妻のお付き奴隷として屋敷に来たこのサリーに手をつけ、何人かの子どもを産ませている。
 アフリカから連れてこられた曾祖母から4代、彼女たちは自分の意思を省みられることなく白人のご主人様たちのセックス処理物として扱われてきた。ミディアンの処女たち以来、西欧社会に連綿と続く、こういう女の人たちを、(クリントン前国務長官がそう呼ぶように指示したと韓国紙が伝えた)「性奴隷」と呼ぶのである。いわゆる「職業娼婦」とはわけが違う。


 「軍隊が慰安婦を必要としたのは、日本に限ったことではない」とは、言うまでもなく正しい。第二次世界大戦においては、ドイツに攻め込んだソ連兵の略奪・強姦・殺戮の物凄さは語り継がれる通り、ベルリンの女性は4歳の女児から老婆までほとんどがソ連兵によりレイプされ、連合軍に届けられたものでも10万件を越えた。また暴行による自殺者は6000人を数えた。(「カラーで見る第二次大戦・勝利と絶望」1999年12月10日、NHK教育放送など) なお、米軍によるレイプの被害者は14000人(ドイツ人女性 11040人)とされる。 日ソ停戦条約に違反して満州に攻め込んだソ連兵は満蒙開拓団などの日本人婦女子を強姦・殺戮している。
 アメリカの日本占領軍下では、日本上陸後の1ヶ月間に神奈川県下だけで2900件の強姦事件が発生し、それを受けて神奈川県では女学校を閉鎖して強姦の防御に努めた。GHQの要請によって、日本政府は東京銀座に「特殊慰安施設協会」と称する慰安施設を設置したが、その後も強姦・乱暴は続き、7年の占領期間中、本土だけでも2536件の殺人と少なくとも30000件以上の強姦事件が発生したと記録されている。占領軍兵士と日本人女性との間の混血児をGIベビーといい、1953年の厚生省調査によると国内で4972人が確認された。パール・バック財団の調査によると少なくとも2〜3万人にのぼるといわれ、ほかにも沢田美喜のように20万人とする説もある。
   
 ベトナムには「ライダイハン」と呼ばれる、韓国兵士とベトナム女性との混血児がいる。3万人ともいわれる子どもたちの多くは、韓国兵がベトナム女性を陵辱・強姦して産まれた子どもであって、韓国兵の帰還後にベトナムに残された子どもたちは、残虐を極めた韓国兵の子として激しい迫害にあった。
 ベトナム戦争に出征した韓国兵の残虐さは、今もベトナムに語り伝えられていて、韓国軍は30万人を超すベトナム人を虐殺したと言われる。ベトナムでは村ごとに『「ダイハン(韓国兵)」の残虐行為を忘れまい』と碑を建てて、記憶を風化させまいと誓い合っているという。
 韓国軍の残虐さは、それについて書かれたもの読んでいると胸が悪くなるような凄いものだが、韓国のハンギョレ新聞社が発行する週刊誌『ハンギョレ21』の記事から、一部を抜粋してみよう。
 『(韓国軍は)大部分が女性や老人、子供たちである住民を一か所に集め、機関銃を乱射。子供の頭を割ったり首をはね、脚を切ったりして火に放り込む。女性を強姦してから殺害。妊産婦の腹を、胎児が破れ出るまで軍靴で踏み潰す。トンネルに追い詰めた村人を毒ガスで殺した。』とある。
 文化の違いなのだろうが、日本人にはとてもできない残虐さである。日本の戦争責任を追及してきた韓国の人々にとって、自国軍も虐殺をしていたのだという告発は、苦いものであったに違いない。これらの報道に対し、韓国国内では激しい反撃が起きた。ベトナム戦に従軍した退役軍人ら2000人余りがハンギョレ新聞社に乱入し備品を破壊し社内を荒らした。彼らは米軍が用いた枯葉剤の後遺症に苦しむ「大韓民国枯葉剤後遺症戦友会」のメンバーで、国のために闘った戦友を冒涜されたと激しく抗議したのだ。しかし、その彼らが、日本人の靖国神社参拝に激しく抗議するのは、一方的で身勝手な考え方だと言うべきだろう。
 戦闘終了後の治安維持期に入って、ようやく韓国軍は表向きに兵士の行動を律したが、その後も猛虎師団・青龍師団・白馬師団などの兵士が村の娘を強姦して軍法会議にかけられる事件が頻発した。そして、ライダイハンが表面化した後も、韓国政府による積極的な援護策は取られていない。
 ちなみに、アメリカ軍兵士とベトナム人女性との間にも多くの二世(アメラジアンと呼ぶ)が産まれた。一説には1万5千人ないし2万人と言われる。

 最後に、そのアメリカ軍の場合、日本占領下の状況は上に記した通りだが、遅れてきたアジア進出を取り戻そうとフィリピンをスペインと戦って(米西戦争)奪取したときには、「独立させてやる」と言ってフィリピンに進出し、40万人を殺すという殺戮と強姦をほしいままにして、植民地にした。その結果、フィリピンにはアメリカ兵との混血児が25万人もいる。もちろん、上に記したベトナム、そしてカンボジア、韓国、また日本にもごまんといる。

 書き記していくことに辟易する「軍隊とsex」の問題だが、大東亜戦争時に日本は東南アジアに300万人の将兵が出征した。戦争下のことだから皆無ということは勿論ないが、現地に残す戦争遺児の少なさは特筆すべきで、日本人の謹厳・篤実という人間的な資質も大きいのだろうが、日本軍は略奪・暴行を働かない、軍律の厳しい軍隊であった。


 マックス・ウエーバーは第2次世界大戦の後始末について、「勝者は同義的にも物質的にも最大限の利益を得ようとし、また、敗者にも罪の懺悔を利用して有利な情勢を得ようとするものがいる」と喝破しているが、騒ぎをネタに利益を得ようとしているとしか思えない潰れかけの党の女性党首、沈みかけのその党から脱出して大阪弁で「天皇はん、打倒」なんて叫んでいる浪速のおばちゃんのような日本の政治活動家や、誤報を垂れ流して責任を取らないモーニング・サン・ニューズペーパーなどのメディア、論理破綻しているのを知りながら協力金をもらうために慰安婦支援を言い続ける大学教授・学者・ジャーナリスト。まさに、罪の懺悔を利用して、甘い汁を吸おうとする連中だ。
 西岡 力、池田信夫たちが提唱するように、外務省から独立させた「慰安婦問題調査委員会」をつくり、関係者を召喚して真実を検証するべきである。


 大東亜戦争後の国際社会は、戦勝国が築いた秩序で形成されている。日本は悪者であったから懲らしめたという彼らにしてみれば、「慰安婦問題」でも日本は悪者でなくてはならない。性奴隷を利用して、兵士の慰安を図った倫理にもとる国民であるから、原爆を投下し、無差別爆撃を敢行して、二度と立ち上がれないほどにやっつけたのだ…ということにしなくてはならない。
 それが、「慰安婦は日本だけじゃない」「当時は合法だった」「韓国やアメリカは、日本の比ではない悪行をしている」…などと言い、「東京裁判はインチキだ」と言い出したら、自分たちの正当性は足元から崩れてしまう。
 しかし、それでも、日本は毅然と「わが国は間違ったことをしていない」と言わなくてはならない。そのためには、国際世論を味方につけるための多大な活動が必要だろう。中国は大東亜戦争以前からそれを行ってきているのだし、昨今の韓国のロビー活動は目覚しいものがある。パク・クネが米議会で日本非難の演説を行いえたことが、韓国関係者のアメリカ議会への食い込みを物語る。
 日本も日本版NSC(国家安全保障会議)を発足させたのだから、しっかり予算をつけ、人材を配置育成して、まずはアメリカ世論を日本に同調させることだ。


●まとめ 韓国が告発し、米国社会からも非難の声が上がっている「慰安婦問題」は、このまま「日本軍は韓国の婦女子20万人を強制徴用・拉致し、戦地の兵士の慰みものにした」という捏造を放置して世界に広がれば、「日本は不名誉な犯罪国家である」という評価が定着してしまう。
 日本を貶めて自国の相対的評価を高めるとともに、日本に謝罪させて外交上の優位を保つこと、そして賠償金を得ることというのが韓国の目的なのだろうが、日本にとっては「恥知らずな犯罪国家」というレッテルを貼られ、将来にわたって不名誉な負の遺産を背負っていかねばならないことになる。
 「国を滅ぼすには、戦火で制圧する必要はない。民族の名誉を汚し、喪失させるだけでよい」「国民は経済的損失は許しても、名誉の侵害だけは断じて許さない」(マックス・ウェーバー)という。国家の名誉、民族の矜持は、国家存続の大切な要件である。
 日本が「慰安婦問題」に口をつぐみ、謝罪したままの状態を放置すれば、たとえ今後の努力によって発展し経済大国ともてはやされても、他国の人びとは日本をどこかで犯罪国家とさげずむことだろうし、何よりも日本の子どもたちが、拉致・強姦・殺戮を繰り返したおぞましい日本と言われるその祖国に誇りを持てるはずがない。
 今、韓国が仕掛ける「慰安婦問題」に立ち向かうことは、日本の将来、子どもたちの明日を守る戦いなのである。


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