【273】 堂々と靖国参拝を −中韓の非難はイチャモン−

 今年の終戦記念日に安倍首相は靖国参拝を見送った。首脳会談の実現に向けての中韓に対する配慮なのだろうが、今さら繰り返すまでもなく、中韓の反対は政治的カードとしてのいわば「イチャモン」である。
 イチャモンに正当な理由は必要ない。とってつけたような文言を並べて「反対」を叫ぶ。歴代首相としても、これまで吉田 茂は4回、岸 信介は2回、池田勇人は5回、佐藤栄作は11回、田中角栄は5回など、数多くの首相が公的形式で参拝している。公式参拝と私的参拝の区別が論じられるようになったのは三木武夫からで、公私を分けねばならない客観的情勢は何もなく、自分から言い出したものである。昭和53年のA級戦犯14名を合祀した当時も、中国・韓国からは何の抗議も無かった。
 「靖国問題」が政治問題として始まったのは、昭和60年、朝日新聞が中曽根首相の靖国参拝に対し「中国が厳しい視線で凝視している」と書いたのが発端である。これに人民日報が反応し、互いに相手国を持ち出す形で反対運動を開始。そして中国外務省スポークスマンが「アジア各国人民の感情を傷ける」と、初めて公式に反対の意思表示をしたのが経緯だ。
 これを見ても、朝日が火をつけ、中韓が炎を上げ、日本国内の反日勢力と反日教育を繰り返していた中韓の政治勢力が、右往左往するその後の日本の内閣を見て、有効なカードであると活用しだしたことは一目瞭然だろう。腰の座らぬ日本の政治家たちを揺さぶるための、いわば「言い掛かり」である。

 『言い掛かり』とは「口実を作って、難癖をつけること。また、その事柄」(大辞泉)。そして、『いちゃもん』は「無理やり理由をつけて文句を言うこと」。その類語に、取るに足りない欠点を見つけてあれこれと悪く言う意の『難癖』、金品を出させる目的で、ゆすり、おどしをする場合に用いる『因縁(いんねん)』などがあるが、いずれも中韓の抗議にぴったりではないか。
 ちなみに靖国参拝は、大東亜戦争戦争を否定し軍国日本を改造するためにGHQが発した幾多の禁止令のどこにも「参拝反対あるいは禁止」とする文言はない。当時から世界には、「靖国参拝」を戦争を称賛する行為などという認識は全くなかったのだ。

 「言い掛かり」といえば、「大阪夏・冬の陣」の発端となった『国家安康』の銘文は、誰もが知っている「いちゃもん」だろう。
 秀吉が創建し,1596年の大地震で崩壊した京都方広寺を豊臣・徳川が共同で再建したところ、秀頼が担当した梵鐘(ぼんしょう)の鐘銘(しょうめい)に「国家安康」の文字があったのを、「家康」を分断胴切りにして撞木(しゅもく)で打つものと難くせをつけた家康は,これを機会に秀頼に徳川への臣従を迫った。秀頼はこれを拒否し,大坂夏・冬の陣が起き,豊臣氏は滅んだのである。

 「言い掛かり」とは、理由は何でもよいのである。しっかり反論して論破しなければ、言い掛かりは繰り返えされる。その問題が解決されれば、また別の事柄を材料にして「いちゃもん」が止むことはない。金品もゆすることができれば、願ったり叶ったりであろう。
 「言い掛かり、いちゃもん、難癖、因縁、ゆすりたかり、…」などといったことは、何にでも材料を見つけて言い出すことができるのだから、際限はない。人の土地を自分のものだと言い出す始末なのだから。

 断固譲らぬ気構えを示し、正面から反論して論破すること。相手が、これは言っても効果がないと諦めるまで、相手以上に強い意志を持ち執拗に対抗することである。「大人の対応」など、通用する相手ではないことを知るべきだ。
 片や、圧倒的な武力を以ってチベットやウイグルに侵略・制圧する国であり、一方は歴史的事実も確定できないまま日本は20万人もの自国の女性を性奴隷にしたと世界に告げ歩く国である。大人の対応をしている間に、尖閣は中共の海になり、世界の人びとの多くは日本人は残虐で卑しい国だと誤認識することだろう。
 安倍首相には堂々と靖国に参拝して欲しい。価値観を共にする国々には理解を求め、反対する国々には反対理由に対する反論をしっかりと示していくことだ。もはや、「靖国参拝」を忌避する理由は何もない。

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