◆ 政権が遠のく民主党                   5/10  【政治83】


  −身内を守らず、足を引っ張る人間や組織に、人々の信頼は集まらない−


 民主党の菅直人代表が、10日夕の両院議員懇談会で、国民年金保険料未納問題の責任を取って代表辞任を表明した。ここ2〜3日、辞任を求める声はテレビの画面や新聞紙面を踊り、国民受けを狙うマスコミの辞めろコールの合唱の中で、民主党内部からも「このままでは参議院選が戦えない」とか、「福田辞任にしてやられた」とかの代表辞任を求める声が相次いで噴出したのには、『民主党、またか』の失望感だけが残った。
 年金を10ヶ月間納入していなかったといった程度のことが、何で代表辞任につながるのか。民主党は、どうして自らの代表を守ろうとしないのだろうか。
 かつて私は、鳩山前代表を引きずり落とした民主党の体質を、【52】この民主党に明日はない(12.3)【53】管代表選出は、時代の歯車の逆回し(12.12)の中で、『この党の、身内を守り立てて一枚板になるということができない、足を引っぱりあうドン底体質を見せられた今、国民はこの党の将来にどんな夢を描けるというのだろうか』と書いたが、今また、国民は民主党に政権を託する気持ちには到底なるまい。民主党の支持率は低下することだろうけれど、それは菅代表への批判よりも、身内を守らずに足を引っ張る人間や組織としての民主党に対する失望であることを知るべきだろう。
 福田辞任は、後ろ指を差されることを嫌う、彼の病的な片意地がなさしめた、突発的な判断であって、潔いとか英断といった類のものでなく、むしろイラクに自衛隊が駐留し、北朝鮮との交渉が具体化しようとしているこの時期に、いずれも中心的な役割を望んで果たしてきた立場のものとして、その判断は正しかったのかどうかの疑問が残る。福田辞任は、むしろ無責任なのではないか。民主党は、なぜ堂々の論陣を張って、たかが年金未納を理由にした、官房長官の突然の辞任を問題にしないのか不可解である。カウンターパンチに右往左往して情緒に流され、大局を見失っているというべきだろう。
 菅代表のバルカン的な攻撃姿勢は、確かに党首としての大きさに欠け、いつも相手のエラーに暗いつくだけという、国政を担当する政治家としての安定感がないことは、これも前述のサイトに書いたとおりである。天に唾するというか、その政治姿勢がわが身を傷つけることとなり、しかも代表という立場にいたがために致命傷となってしまった。その辞任は自業自得の面もあるが、しかし、以前に「鳩山では選挙に勝てない」と言って菅直人を選び、今度また「このままでは選挙に勝てない」と言って内部から自分たちの代表を引きずり落とそうとする今の民主党に、国民は政権を託することはないだろう。
 テレビ・新聞のマスコミにも、いつものことながらあきれ果てる。今回の「菅、辞めろ」コールは、話題づくりに走るマスコミ主導で行われた。福田康夫の突発的な辞任を受けて、それまで辞めろの声もなかったところに、突然「菅代表はどうなんだ」と叫び始め、情緒的な大衆をして辞任ムードを一気に作り上げてしまった。大衆迎合の感情的なニュースの取り扱いに、薄ら寒いものを覚えるのは杞憂だろうか。

 新しい民主党の代表選びについては、今は誰がなってもどうとでもしてくれというところだが、順当なところでは小沢一郎しかいない。
 菅 直人は辞任するに当たって、「責任はすべて自分ひとりにあり、先の三党合意も自分の主張である」と全責任を自分の一新に集中させて辞めるべきであった。岡田・野田・前野・前原など、三党合意に尽力した若手の面々を巻き込んで責任を分散させたことはいかにも情けなく、彼らの進退を問題にせねばならなくしたことは、民主党の近い将来に対して大きな痛手であろう。
 私は、小沢一郎には大きな期待を持っている。日本を託することのできる第一の政治家だと考えているが、昨年に合併した自由党の党首であった彼が、今、民主党の党首となることは、他に人がいないとしても挙党一致の同意を得ることはできず、時期的にも人心面でも無理がある。固辞し続けて、断りきれずにという形で受けることになるのだろうが、彼自身のためにもここは火中の栗を拾うことなく、できればワンポイントリリーフを置いたのちに党員の総意を受けて登場すべきであろうと思う。


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