◆ 小泉純一郎は 日本のゴルバチョフになれるか          2004.11.3【政治92】


 小泉改革とは、日本人の意識改革を含めた、日本という国家の体制改革である。戦後、60年に亘って続いてきた自民党独裁体制を打破し、社会の隅々にまで溜まった長年のゴミやホコリを一掃して、正義や平等があまねく行われる世の中を創るための改革である。
 護送船団方式・統一規格大量生産・東京一極集中・東大至上主義…などなど、戦後の日本を支えた意識と体制は制度疲労を起こし、澱みの底では政官財の癒着や社会保険庁をはじめ警察・検察に代表される官僚の腐敗、大企業トップの相次ぐ不祥事などを続出させ、もはや正常に機能しているとは言えない。
 小泉改革は、こうした過去と決別する改革でなくてはならない。小泉純一郎が「自民党をぶっ潰す」と叫んだのは、彼が明確な目的を持っていたかどうかは別としても、今の日本の社会を改革するためには自民党独裁体制を打破し、政官財の仕組みを変えねばならないことを、意識のどこかに持っていたことの表われであろう。
 日本を世界に通じる国に変えるためには、避けては通れない改革であることを、今では国民の誰もが知っている。今、この改革に失敗して旧体制勢力の支配を続ければ、わが国は創造的な社会を構築することができずに、人材は育たず、自己責任意識の欠如した政治や経済は国際的な評価と競争力を失っていくことだろう。米国主義を掲げ世界に君臨するアメリカ、拡大を続ける欧州共同機構とアジアに覇権を唱えようとする中国など、これら世界の国々に伍していくために、何としても成功させなければならない改革である。


 小泉改革を、ゴルバチョフ旧ソビエト連邦大統領のペレストロイカに重ねることができる。ゴルバチョフは、国や党への反抗はいうまでもなく、批判さえも許されなかったKGB全盛のソ連において、共産党の一党独裁では国家を保持することができないと、社会体制の根幹からの改革を断行したのである。彼の改革は、彼自身の失脚につながったけれども、後を受けたエリツィン自身の考えは別物にして、国民の意識や社会の流れは一気に改革開放へと向かったのである。
 小泉改革が、小泉純一郎ひとりの手で完結を迎えるものとは思わない。3年後の任期切れのあとには、自民党内に後継者が育ち、民主党が独り立ちの政党に成長しているるならば政権交代という現実を含めて、政権は他人の手に渡っている公算が大きい。
 しかし、後戻りできない新日本創造という改革路線を確立していけは、小泉純一郎の偉業は完成するわけであり、新生日本を築いた総理大臣として、その名を歴史に留めることだろう。日本人の私たちにとって、戦後の世界を二分したソ連の改革を進めたペレストロイカに並ぶ意味を持つ、小泉改革の真意と真価を、私たちはしっかりと見守っていかねばならない。


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