【01】 逆説の日本史 封印された「倭」の謎
    (井沢元彦 小学館)                   2011.06.05再読


  井沢元彦著「逆説の日本史@ 封印された「倭」の謎」は、1993年に単行本が出版されているが、2001年に買い求めて読んでいる。その本は、今も章くんの本棚に鎮座している。
 井沢元彦が独自の歴史観で、日本史を読み解こうとする企画で、週刊ポストの連載を単行本にまとめて出版したものだ。井沢は日本史について、それなりの一家言を持っている。資料万能主義、権威主義の学会歴史観に対して、怨霊、言霊、宗教を加えない歴史の解釈は間違っているとして、日本史を見直すのだという。
 その後も連載は続いていて、単行本も第2巻以下17巻「江戸成熟編 - アイヌ民族と幕府崩壊の謎 」まで刊行されている。もちろんこれらは全巻が章くんの本棚に並んでいるが、実は先日、ある巻を開いてみたら、内容の何箇所が「ン、こんなことって描いてあったっけ」と驚いた。各巻とも結構面白く読んだつもりだったのだが、多くを読み流していて、頭に入ってない部分が多い。そこで、改めて今度は文庫本で読み直して、読書感想文も記してみようと思った次第である。


 1〜17巻までの単行本を読むと、「井沢元彦の論理の展開は、『勝手な断定が多い。都合の良い資料は取り上げ、都合の悪いものは知らんふり。論理矛盾をきたしている箇所も多々ある。わからないのは宗教的に考えればそんなものといった暴論』」など、ちょっと無理かなと思うところも多い。
 これを「日本史」として読むといろいろな疑問点があるけれども、小説家が書くセミ・フィクションとして読むならば、結構楽しめるのだろうと思っている


 『 日本教、それは「和の精神」である。魏志倭人伝にある「倭(わ)」は、古代日本人が自分たちの住環境(環濠集落)を表現した「ワ」すなわち「輪」・「環」であり、のちに輪の世界の中の中心思想である「話し合い至上主義」を以って「和」と書き表したものである。
 日本では、法律や民主主義・基本的人権といった社会的規範に優先して「話し合い」の結論が優先される。絶対神との契約をもととする西欧社会はもとより、仏教・儒教のアジアにも、「そうは言っても、法律で決まっているから」という話し合いの結果に左右されない決まりがあるのだが、日本は仲間内のみんなで決めたことは、これを乱すことが悪なのである。
 「和」を何よりも尊重するのはなぜかというと、「霊」を信じた古人は「たたり」を恐れた。言い伝えによると、古代の出雲大社は32丈(96m)もあったというが、この日本一の大きさの建物に祭られているのは「オオクニヌシの命」である。アマテラスの要求に国を譲った(国譲りの神話)とされるオオクニヌシを、かくも大きな神殿に祭ったということは、国の支配をめぐって壮絶な戦いがあったのだろう。その結果、殺されたオオクニヌシを大和朝廷は大神殿を建てて、「この世はアマテラスが治める。汝はあの世を治めよ」と鎮魂したのだろう。
 日本の今に通じる日本教=話し合い至上主義は、オオクニヌシを祭る出雲大社にそのルーツを見ることが出来る。


 「邪馬台」は中国語で発音すると「ヤマダイ・ヤマダ・ヤマド」などと聞こえ、「大きな和」すなわち「大和(ヤマト)」なのではないか。また、卑弥呼は「日御子」または「日巫女」で「アマテラス」と同一人物ではないか。「天の岩戸神話」は248年に起こった皆既日食を伝える神話で、岩戸隠れ神話はクナ国との戦いに敗れた責任を問われ、卑弥呼が殺害されたことを伝えるものではないか。
 魏志倭人伝には卑弥呼が死去した後、男王が立ったが治まらず、壹與(ゐよ)が女王になってようやく治まったとある。


 天皇家は、初代の神武天皇から第9代開化天皇までの神話王朝、第10代崇神天皇から14代仲哀天皇きでの崇神王朝、第15代の神功・応神天皇から25代武烈天皇の応神王朝、そして第26代以降の継体王朝に区分することが出来る。
 応神王朝までの古大和王権(邪馬台国)は北九州にあったのではないか。神武東征神話が物語る通り、北九州にあった勢力が東征し大和地方の勢力を平定したのであろう。
 奈良時代に弓削の道鏡事件が起こるが、このとき称徳女帝は和気清麻呂を北九州(大分県)の宇佐八幡宮に遣わし神託を聞かせている。天皇家のことは天皇家の氏神さまに聞けと、北九州へお伺いを立てたのだ。これこそ、古代天皇家が北九州から起こったことの証であろう。』



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