【5】「 弟 子 」 (中島 敦全集3 ちくま文庫)  (10.7)


 乱暴ものの「子路」は、似非(えせ)賢者の孔子をやり込めてくれようとその家に押しかけ、諭されて門人となり、以来、幼児が母親を慕うがごとく無垢の敬愛を以って孔子に仕えた。
 『弟子の中で子路ほど孔子に叱られた者はない。子路ほど孔子に反問する者もない。また子路ほど全身的に孔子に寄り掛かっている者もないのである。どしどし問い返すのは、心から納得できないものを表面(うわべ)だけ諾うことのことの出来ぬ性分だからだ』というように、子路は一本気で純真である。
 孔子の弟子となって30年、子路50歳にして師の指示により「衛」の国に仕えた。衛に生じた内乱に巻き込まれて、子路は死ぬ。
 『子路の屍がししびしお(塩漬け、ここでは塩漬けの刑)にされたと聞くや、(孔子は)家中の塩漬け類を悉く捨てさせ、爾後、ししびしおは一切食膳には上さなかったということである』と結ぶ。

 以前に「論語 子路」を読んでいたとき、『中国古典に生きる人々を描いて、中島 敦の右に出るものはいない』と記した文に出会った。以来、気になっていて、ちょうど本屋をのぞいたところ「中島 敦全集」があって、その中に子路を描いた「弟子」が収録されていたので買い求めてきた。
 中島 敦の家系は漢学者の系列であって、凛とした漢語の文章に格調があるのはそこに由来するのだろう。1941年「風と光と夢」が芥川賞候補に推され、翌42年、南洋庁を辞して作家生活に入ろうとしたところ、喘息で入院、12月4日永眠。享年34才の惜しまれる早世であった。





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