スターリングラードは、モスクワから南に300kmほどの位置にあるボルガ河畔の街、現在はスターリン批判のなかで、1961年にボルゴグラードと改名されている。 ドイツ側から見れば、本来スターリングラード攻略は、戦略的価値の乏しい戦闘のはずであった。しかし、膠着する対ソ戦を打開するために、ヒトラーはこの共産主義の国の独裁者の名前を冠した都市を制圧して、戦いに弾みをつけたかったのである。
この本から受けるスターリングラード戦の印象は、まさに殲滅戦そのものである。路地と路地を挟み、家屋の上下階で繰り広げられる死闘の数々。爆撃と砲火にさらされ続ける廃墟の都市で、空腹感とシラミにたかられ、劣悪な環境で戦う兵士たち。ラッテン・クリーク(鼠たちの戦争)とドイツ軍の将校に言わしめた戦闘は、包囲され補給を断たれた兵士たちにとって物心両面での負担を強いていき、計り知れない死と窮乏感が全軍を覆っていく。
スターリンは、後にソ連の首相になるフルシチョフを防衛の司令として派遣し、現地指揮官に「スターリングラードを守り抜くか、それとも死ぬか」と誓わせて、徹底抗戦を貫く意志を示す。そのソ連軍では、自らの命を省みず銃火の下で負傷兵を助け続けた10代の看護兵の少女たちがいる一方で、そうした助けられた命がボルガ河畔で、消耗品のように見捨てられていく。本来は、ソ連軍の保護下にあってしかるべきはずのスターリングラード市民を 戦闘の邪魔になる非合法分子として機関銃で射殺するNKVD(スターリン大粛清の執行機関として知られる内務人民委員部)。 … いつの戦いでも、悲惨なのは一般市民。特に市街地が両軍の戦闘の中心地となり、無差別の殺戮が続くこの戦いでの一般市民は、にわか兵士に仕立てられ、二人に一つの銃しか与えられずに突撃を命じられる悲惨さである。
−30℃の極寒の中、20万のドイツ軍がスターリングラードで完全に孤立したまま冬を迎え、多くの兵士が栄養失調や凍傷で命を落としていった。翌1943年2月、ヒトラーの「最後の一兵まで陣地を死守すべし」という命令に反して、ついにドイツ軍は降伏。ドイツ兵9万1千人が捕虜となった。スターリングラードの陥落によりドイツ軍の戦線は大きく後退し、これを機に独ソ戦は完全に攻守ところを変えていくのである。』
レニングラードの戦いの中で、伝説のスパイナーとしてドイツ軍の将兵を震えあがらせた、映画「レニングラード」の主人公ヴァシリ・ザイツェフは実在の人物である。ロシアの田舎で羊飼いをしていた彼は、毛皮を傷つけないために、羊たちの目を射抜く射撃の技を祖父に鍛えられてきた。地獄の消耗戦を戦う兵士の心を奮い立たせるために、彼はソ連軍の英雄に祭り上げられていく。
戦後60年以上たった今でも、彼は国家的ヒーローであり、現ボルゴグラードの英雄記念碑には、彼の巨大なレリーフが飾られ、ライフルは市の歴史博物館に保存、戦利品である望遠鏡はモスクワの軍事博物館に展示されている。
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