【107】 つれなかりせばなかなかに (瀬戸内寂聴 著、中央公論社)   2005.10.08
     −谷崎潤一郎、佐藤春夫、二人の文豪の「蓼食う虫事件」の真相−
       

 高校時代、現国の時間に「作家というのは、自分の奥さんを他人と取り合いしたことを作品に書いている。因果なことや」とつぶやいた先生の言葉が妙に耳に残った。その本…『蓼食う虫(谷崎潤一郎)』を買って読むほどの興味もなく、ただ谷崎と佐藤という二人の文豪の間に、「妻譲渡事件」と呼ばれる事実があったのだということだけを認識して、その内容に踏み込むこともないままに、今日に至っている。
 友人の書架に、瀬戸内寂聴がそのいきさつを書いた『つれなかりせばなかなかに』を見つけ、長年のもやもやを解きほぐそうと読み始めた。


 『 … 潤一郎は千代と離婚し、せい子(千代の末妹)と結婚したい、ついては離婚後の千代と鮎子(潤一郎と千代の子)を春夫が引き受けてくれないかという。春夫なら安心して二人をゆだねられるというのだった。虫のいいこの申し出を春夫は厭とは思わなかった。すでに春夫は千代を愛し始めていたのだ。同情がいつの間にか愛に成長していた。
 … たちまちの間に千代は夫と別れることを決心し、春夫は妻と離婚することにし、その話をすすめていく。潤一郎にそそのかされる形で春夫が千代に愛を打ち明けた時、千代もそれを素直に受け入れる心情がかもされていた。
 千代は今になって、自分が潤一郎との結婚で一日として幸せだった日はなかったのだと気づいた。春夫のやさしさと頼もしさと深い愛情に傷ついた心は癒されていく。生れてはじめて千代は本当の恋というものに目覚めた。潤一郎は偉い人とは思っても、恋愛感情など抱くことはなかった。いつでも馬鹿呼ばわりされておどおど萎縮しきっていた。鮎子が生れたばかりに何の喜びもないその結婿に耐えていたようなものだった。
 恋を識りそめた千代は見ちがえるようにいきいきし、肌も艶やかにぬれぬれと輝いてきた。動作まで活発になった。春夫と千代は寸暇を惜しんで愛を語らい、顔を見つめあっていた。
 … ところがその年も暮れ、新年を迎えて突然、潤一郎は前言を翻し、千代とは別れないといいだしたのだ。
 
春夫は激怒し、千代の一度火のついた恋情もそうたやすくは収まるわけはなかった。それから五年間春夫と潤一郎は絶交状態に入る。
 それが小田原事件のあらましだが、… 更にショッキングな「妻譲渡事件」と呼ばれる春夫と千代の結頼までには、この後十年の歳月を要するのであった。』


 私はずっと、谷崎の妻を若い佐藤が略奪したのだと思ってきた。悔し紛れに文豪がそれを本にして、世に正邪を問うたのだと。
 ところが、文豪とは、そんな生易しいものではなかった。瀬戸内寂聴の筆を借りて、文壇を揺るがした事件の顛末をさらに追いかけてみよう。


『 … この頃すでに谷崎は自分たちの家に、千代の末の妹せい子を引きとっていたのだ。
 せい子はなぜか他の姉妹と全然似ていなくて、エキゾチックな顔立をして、のびやかな均整のとれた肢体も外人のようであった。性質は長姉の初子に輪をかけたようなおきゃんで、わがままで才気換発だった。
 谷崎は十四歳のせい子に教育と躾をしてやろうという名目でわが家に引き取ったのだった。… 潤一郎は少女のまだどこか少年臭いような感じがする、大人になりきらない体に最も魅力を感じると後に告白している。光源氏が十歳余りの若紫を略奪するようにつれてきて、自分の理想の女性に仕立てあげたように、谷崎もせい子を自分好みの理想の女に仕込もうとする。谷崎好みの理想の女とは、女としての魅力で男を翻弄し、奴隷が女王にするように自分に奉仕させ、ついには男の生血と精気を吸いあげ、男を破滅させるような魔性の女であった。しかも外見はあくまで無邪気で美しくなければならなかった。
 せい子を思うまま調教するには、谷崎にとって千代は邪魔だったのだ。何も気づかぬ千代は、わがままな妹をそこまで世話してくれる夫に心から感謝していた。… 谷崎は家を出た後、妻子と付添女中の食費として月三十円送ると約束したが、最初の一月しか送って来なかった。体のいい遺棄である。千代はそれに不服もいわず、脳溢血で倒れた舅の面倒も誠心誠意見ている。
 せい子はやがて谷崎に犯される。せい子は谷崎の予想以上に谷崎の理想の女としての素質を抱いていた。それは天性のものだったのか、谷崎の念入りな調教のせいかわからない。おそらく素質と教育が相侯って望外な成果をもたらしたのだろう。せい子は読書も好きだし、数学も得意だった。谷崎は声楽の勉強やピアノを習わせたりもした。ソプラノのいい声で傍若無人にせい子は歌声を響かせる。谷崎は惜しみなくせい子に美食を覚えさせ、身を飾る楽しさを教えこんだ。徹底的に甘やかされ可愛がられせい子は、日と共に谷崎の夢を適えてくれる女に近づいていく。』


 この時期、佐藤春夫と千代との問はあくまでプラトニックだったというから驚きだ。(いや、驚いているのは僕の至らなさか…。)そして、二人のプラトニックな愛を、二人以外に信じているのが潤一郎だった。潤一郎は千代が決して夫の体面を傷つけることをする女ではないと信じきっていた。これらのことは、のちに公表されたお互いの書簡などから証明される。


 それから14年、千代は昭和20年に48歳で佐藤春夫(56歳)と結婚。その佐藤を昭和39年に見送り、谷崎の訃報を昭和40年に聞いたあと、昭和56年に84歳で大往生を遂げた。


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