【111】 逆説の日本史12 −天下泰平と家康− (井沢元彦著、小学館)  2005.09.26


 この巻の一節、日本仏教が宗教としての役割を放棄したのは、江戸時代の「檀家制度」にある…とする部分を抜粋・要約して紹介しよう。


 家康は三河一向一揆の際、門徒の武装集団に危うく殺されそうになった。もとより、武力を持つ宗教団体の骨抜きは、信長・秀吉・家康に受け継がれた政治課題であり、彼らは比叡山焼き討ち・石山本願寺の11年戦争・加賀の真宗王国・キリスト教の禁止・一向一揆…といった宗教勢力との戦いから、彼らを押さえ込むことの重大さを知ったのである。だからこそ、家康は准如と教如の争いに乗じて、真宗勢力本願寺を分断して、「自分を殺そうとした」本願寺の牙を抜いたわけだ。
 さらに、念仏にせよ、法華にせよ、中世の日本人は多くがその信者であり、まさに宗教のためには「自爆テロ」も辞さないような信徒があちこちにいた仏教徒たちが、江戸時代にはまったくおとなしくなった。これは世界史の分野でみたら、まさに奇跡ともいうべき出来事だ。「本願寺の分裂」が家康の謀略の最高傑作なら、その後触者たちの行なった「檀家制度」は江戸幕府の謀略の最高傑作である。
 なぜ今、仏教の宗派は「元気がない」のか? たとえば新興宗教の団体のように、あるいはキリスト教の信者のように、社会に出て盛んに布教し活動し教勢を拡大しようとしないのか?
 それこそ中世には、どの宗派も盛んに活動した。人々は毎日のように寺へ出かけ坊主の説話を聞いたり、町へ出て友人・知人や見知らぬ人々に入信を呼びかけたり、あまつさえ
対立している宗派と武器を取って殺し合うことすらした。


 それが、この檀家制度以来まったくなくなった。
 国民はすべてどこかの寺の檀家とならねばならず、それを離脱する自由はない。たとえば念仏の家に生まれたけれど、法華の教えの方が魅力的だと感じても、あるいはその逆でも改宗は許されない。寺の側からいえば、昔は自由競争だったから、魅力ある宗派となるために僧侶も日々研鑽し、信徒のことを真剣に考えなければいけなかった。だが、この制度以降はどんな不愛想な応対をしても「客」は逃げないし、「客」の側からの「付け届け」すら義務付けられている(お定め書きに、「檀家は寺へ付け届けせよ」と定められていた)。こうなると、もう「お客さん」ではなく完全に人身支配したもの、つまり「扱隷」だ。
 この状態が二百年近く続いて、日本の仏教は完全に骨抜きにされてしまった。「葬式仏教」などと陰口を言われ、ほとんど葬式や法要しか寺との接点はない。「あなたの宗教は何ですか?」と問われて、多くの日本人は「私は無宗教ですが、家の宗旨は○○宗です」などと答えたりする。これは葬式は○○宗でやるということなのだが、そこには宗教としての日常規範となる戒律の意識も人生の指針となる哲学もない。「お経」といえば漢文の棒読みで、一般の人には何を言っているかわからないし、第一、「信教の自由」とは個人に属するもので、家とは関係ないはずなのだが、日本人は一般にそういう考え方はしない。
 日本人の宗教観が確立(喪失か…?)されてきた300年であった。



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