【118】 尊敬される国民 品格ある国家
  -日本近代史の認識を正せ-

  (岡崎久彦・渡辺昇一 対談、WAC出版)              2006.05.03


 国家の品格は誇りある国民によって構成され、国民の誇りは祖先への尊敬に始まる。「人々の誇りとは、自分たちは偉大なる民族に属するという意識から芽生え、国としての品格は、先祖の偉大さを受け継ぎ永続させるという意識を国民が持ったとき形成される」という『品性論』(イギリス、スマイルズ著)の一節や、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」(ビスマルク)と説かれているように、日本国民が誇りを持つためには、日本の歴史を正しく検証することが不可欠である。
 近代日本の歴史認識は東京裁判史観を出発点として、GHQの占領政策とコミンテルン32年テーゼの影響が大きいが、戦後の長い期間を支配した戦争絶対否定の偏向思想(戦争の彼我論を一切せずに、戦争をしたから戦前の日本の施策は全て間違いであるという思想)から抜け出て、近代日本史を見直すことが大切である。
 明治期…、国家の存亡を賭けて日清・日露戦争を戦った日本軍は、当時、世界で最も規律正しいといわれた軍隊であった。北清事変のとき、日本軍が占領した地域には、現地調達を旨として住民を苦しめる支那軍や略奪をほしいままにした匪賊から逃れ、多くの地域住民が保護を求めて流入してきたほどである。義和団の乱によって北京の大使館が襲われ、天津の租界(外国人居留地)が焼き討ちされたときも、手薄であった諸外国の居住区を守り、居留民と現地民を守ったのは日本軍であった。
 規律ある軍隊の目覚しい働きと、開国からの日は浅くとも確固たる国を造ってきた日本という国家に信頼があったから、イギリスは『日英同盟』を締結した。この盟約を後ろ盾として、日本は戦費の調達・戦力の整備を行って日露戦争を戦うことができ、誰もが勝つとは思っていなかった戦いに勝利することができたのである。日露戦争の勝利が、アジア各国の自信と自立につながったことは、歴史が証明する通りである。


 昭和になって…、日中戦争の発端となった「盧溝橋事件」は、対峙する日中両軍の間に、偶発的に撃たれた一発の銃弾から起こったわけだが、今日では、その銃弾を発したのは中国共産党のスパイであったことが、中国の内部資料や傍証によって明らかになっている。日中戦争は日本が仕掛けた戦争であるという「東京裁判」を根底から見直すべき、歴史の新事実である。


 近年…、湾岸戦争のとき、ソ連のシュワルナゼ外相は多国籍軍に参加することを決め、ソ連国内の調整を始めていたが、保守派の反対で実現せずに、彼は外相を辞任する。実現していれば、米ソの同盟も不可能ではなかった。
 経済が追いつかなかった中国は、中国首脳部の決断がなされなかったが、もし多国籍軍にどんなかたちの部隊であれ派兵していれば、日米友好は吹っ飛んでいたことだろう。中国の出兵が、中米関係・日米関係に及ぼす決定的なインパクトを、ケ小平が測りきれなかったのは、日本にとって天の恵みであったと言わねばならない。
 かつての「日英同盟」と同様かそれ以上に、日本の安定した繁栄のために「日米同盟」は重要である。1940年、日米関係悪化によってアメリカは日米通商航海条約を破棄し、このため日本は自力で経済圏を獲得せざるをえなくなった。その結果として、日本軍は仏印へ進駐し、米の対日石油禁輸、そして真珠湾攻撃へとつながっていく。日本の安定は、日米友好にこそあることを、改めて確認しなければならない。


 駐タイ大使を務めた岡崎氏は、「現在、東南アジアの国々のうちで、マスコミが報じるような反日感情はどこにもない」と断言する。
 中国・韓国が主張する「教科書問題、従軍慰安婦、南京大虐殺」などは、近年の研究で全て捏造された事案であることが判明していて、朝日新聞を始めとする中国御用達マスコミが騒ぎたてたものを、中韓が政治的材料として利用してきたものであった。


 日本は今後も繁栄するであろうが、経済的に豊かになったとしても、国家としての品格がなければ国際社会では尊敬されず、リーダーシップを発揮することも出来ない。今、日本は近代の歴史的事実を明らかにして、国民に知らしめ、世界へ発信し、学校教育において次代を担う子どもたちに教えていくことによって、民族としての誇りを築いていかなくてはならない。



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