【129】 
山 月 記   (中島 敦、新潮文庫)        2008.01.14


 「カラマーゾフの兄弟」第1巻を読み終えたあと、
中島 敦の「山月記」を読んでみました。


 中島 敦は、大正から昭和に掛けての小説家。漢学者であった父 中島撫山の影響もあってか、漢文調の中短編に清冽な秀作が多くみられます。結核に冒され、33歳の若さでなくなったのが、なんとも惜しまれます。


 物語は、有り余る作詩の才能を持ちながら、なかなか世の中に認められない李徴は、妻子を養うために気の進まない地方の官吏に職を得ますが、自分よりも実力もないものたちが世の中に認められていく不条理に耐えられず、行方をくらまします。
 数年して、山に人食い虎が出るとのうわさが広がり、旅人は暗いうちの山越えを避けるようになっていましたが、監察史の袁参(若い頃の李徴の親友)は家来も多いからと未明に出立します。件(くだん)の山道にかかると、草むらから一匹の虎が飛び出すものの、身を翻(ひるがえ)してもとの草むらに隠れ、「危ないところだった」とつぶやきます。その声は、李徴…。
 虎となった李徴が言うには、
『 己(おれ)の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。これが己を損い、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、果ては、己の外形をかくの如く、内心にふさわしいものに変えて了ったのだ。』というところに、李徴の心の吐露があるのかと思います。
 世の中に交わろうとせず、自分の才能を認めようとしない周囲を愚鈍であるとさげずんだ自分へのあざけりがあるのでしょう。
 『 己よりも遥かに乏しい才能でありながら、それを専一に磨いたがために、堂々たる詩家となった者が幾らでもいるのだ 』という述懐が、取り返すことの出来ない人生への慙愧の思いを表しています。
 世の中を突っ張って生きる愚かさは判っているのですが、それでも そう生きるしかない男の哀れさが、しみじみと伝わる小編でした。




「カラマーゾフの兄弟」は、解説書も入れて 全5巻。 他は500ページほどですが、第4巻は700ページもあります(苦笑)。気合いを、何度も入れな直さねばなりません(笑)。
 ひとつの文が結構長いロシア文学の訳本ですから、途中で疲れてくるので、中島敦なんかの、凛とした漢文調の切れのある短編を間に挟むと、口直しに良いのです。
 一息入れて 第2巻に取り掛かることにします。


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