【読書139】
  憑き神(つきがみ) 
(浅田次郎、新潮文庫)  2009.02.06


 昨年の8月に読んでそのままにしていたので、内容を忘れてしまった。ずいぶん昔に読んだ小説でも、何かの印象に残った作品は、立原正秋の「名残りの雪」の里子にしても、遠藤周作「沈黙」のロドリゴにしても、主人公の名前ぐらいは覚えているが、この「憑き神」は『貧乏神が取りついて…』の顛末ぐらいの他、何んにも覚えていない。「何、書いてンだ、浅田次郎」というカンジだ!
 大東亜戦争に至る昭和史を紐解いていくうちに、中国清朝末期の王朝の日々を描いた浅田の「中原の虹」があることを知った。「ポッポや」…などの作品で知られるこの作家の作品を一度読んでみたいと思っていた矢先であったから、書店で手に取ったのだが、上・中・下の3部作という厚さだったので、今はちょっと取り掛かる時間はないかと思い、その横に並んでいた「憑き神」を買ってみたのだ。
 物語は、幕末の御徒士衆次男坊の別所彦四郎は養子に行った先を離縁され、今は実家で兄夫婦の居候である。ある日、近所を流れる小川の堤防下にある敗れ朽ちた祠に、通りがかりに手を合わせたところ、その祠は貧乏神が鎮座していて、めったに願い事をする人もないので、その貧乏神が彦四郎に取り付くことになる。
 その後、別所家の窮乏や、離縁された井上家の没落など、貧乏神のなせる業が続くのだが、だから何だという展開である。時代考証は緻密でしっかりしているが、奇想天外な物語の展開に必然性がない。だから面白いのだといわれればそうかもしれないが、だから筋書きを覚えていないのである。
 エンディングも、三つ葉葵の旗印を持って官軍に突撃する彦四郎に、ドンキホーテの姿を重ねたものか。解説氏は、「徳川将軍の影武者は、貧乏御徒士が務める」といわれて、御徒士衆の家には貧乏所帯にも葵の装束があったというのが構想の原点だと書いているが、物語がマンガチック過ぎて、頭の中を通り過ぎて終わり。
 「中原の虹」上・中・下巻、買わずに済みそうである。



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