【読書140】
 
春 の 雪   (三島由紀夫、講談社)      2008.09.15


 幼馴染の松枝侯爵家の一人息子「清顕」と綾倉伯爵家の一人娘「聡子」は、お互いに惹かれあいながらも上手く愛情を表現出来ずにいた。そんな中、聡子は宮家の王子・洞院宮治典王に求婚される。それは断ることなど許されないものであった。
 後に清顕は漸く聡子への愛に気づくが、それは皮肉にもこの結婚に勅許が下りた後であった。しかし、清顕は諦めきれず、聡子も彼の愛を受け入れて、二人は激しく愛し合う。が、それはつかの間の「禁断の愛」であった。そしてこの後、大事件が起きる…。


 それにしても、三島の文体には引き込まれる。次は、清顕が聡子を待合に呼び出し、初めての逢瀬をする場面だが、その描写をとっくりとご堪能ください。
 『 聡子は今正(まさ)しく、清頼の目の前に座っていた。うなだれて、手巾(ハンカチ)で顔をおおうている。片手を畳について、身をひねっているので、そのうなだれた襟足の白さが、山テンの小さな湖のように浮んでいる。
 屋根を打つ雨の音に直(じか)に身を包まれる心地がしながら、清顕は黙って対座している。この時がとうとう来たことが、彼にはほとんど信じられなかった。
 聡子が一言も言葉を発することができないこんな状況へ、彼女を追いつめたのは清顕だったのだ。年上らしい訓戒めいた言葉を洩らすゆとりもなく、ただ無言で泣いているほかはない今の聡子ほど、彼にとって望ましい姿の聡子はなかった。
 しかもそれは襲(かさね)の色目に云う白藤の着物を着た豪奢な狩の獲物であるばかりではなく、禁忌としての、絶対の不可能としての、絶対の拒否としての、無双の美しさを湛えていた。聡子は正にこうあらねばならなかった! そしてこのような形を、たえず裏切りつづけて彼をおびやかして来たのは、聡子自身だったのだ。見るがいい。彼女はなろうと思えばこれほど神聖な、美しい禁忌になれるというのに、自ら好んで、いつも相手をいたわりながら軽んずる、いつわりの姉の役を演じつづけていたのだ。
 …略…
 彼はまぎれもなく恋していた。だから膝を進めて聡子の肩へ手をかけた。その肩は頑なに拒んだ。この拒絶の手ビたえを、彼はどんなに愛したろう。大がかりな、式典風な、われわれの住んでいる世界と大きさを等しくするようなその壮大な拒絶。このやさしい肉慾にみちた肩にのしかかる、勅許の重みをかけて抗ってくる拒絶。これこそ彼の手に熱を与え、彼の心を焼き滅ぼすあらたかな拒絶だった。聡子の庇髪の正しい櫛目のなかには、香気にみちた漆黒の照りが、髪の根にまで届いていて、彼はちらとそれをのぞいたとき、月夜の森へ迷い込むような心地がした。
 清顕は手巾から捜れている濡れた頼に顔を近づけた。無言で拒む頬は左右に揺れたが、その揺れ方はあまりに無心で、拒みは彼女の心よりもずっと遠いところから来るのが知れた。
 清顛は手巾を押しのけて接吻しようとしたが、かつて雪の朝、あのように求めていた唇は、今は一途に拒み、拒んだ末に、首をそむけて、小鳥が眠る姿のように、自分の着物の襟(えり)にしっかりと唇を押しつけて動かなくなった。
 雨の音がきびしくなった。清顕は女の体を抱きながら、その堅固を目で測った。夏薊(なつあざみ)の縫取のある半襟の、きちんとした襟の合せ目は、肌のわずかな逆山形をのこして、神殿の扉のように正しく閉ざされ、胸高に〆めた冷たく固い丸帯の中央に、金の帯留を釘隠しの鋲のように光らせていた。しかし彼女の八つ口や袖口からは、肉の熱い微風がさまよい出ているのが感じられた。その微風は清顕の頼にかかった。… 』


 1970年11月25日、これが三島由紀夫の命日である。三島は「豊饒の海」を書き上げた直後に死を選んだ。ということは、自らの輪廻転生を信じていた…、少なくとも信じたいと思っていたのだろう。凡人には理解しがたい死に方だが、唯識の阿頼耶識に身を置く三島由紀夫を人々の脳裏に焼き付けるためには、有効な手段だった。
 今、僕は、豊饒の海全4巻を読み終えた後(2009.11.09)にこの項を記しているが、この第1巻である「春の海」の冒頭に出てくる月修寺門跡の法話、「男が、暗がりで飲んだ水は甘美であったが、朝にそれが髑髏に溜まった水であったことを知ったときには吐き気を催した。彼がそこで悟ったことは、心が生じれば即ち種々の法を生じ、心を滅すれば即ち髑髏不二なり」。すなわち、悟りを得れば髑髏の水もまた甘美であるというのだが、全4篇を通して、三島由紀夫はこの問いを読者に投げかけ続けるのである。


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