【読書142】
 
奔  馬   (三島由紀夫、講談社)      2008.10.22


 奈良「三輪大神」の剣道試合に来賓として招かれた本多は、その試合で抜群の剣捌きを見せる飯沼勲と出会う。勲は、松枝清顕の侯爵家に書生として住み込んでいた飯沼茂之の息子であった。
 試合の後、滝に打たれる勲の左の脇腹には、清顕と同じく三つの小さな黒子を有していた。本多は、「また会うぜ。きっと会う。滝の下で」と言い残した清顕のいまわの言葉を思い出していた。


 飯沼 勲は、熊本神風連の乱の山尾綱紀が書き残した「神風連史話」を熟読し、一刀を以って世の中を改革する意志を秘めている少年であった。
 世直しに燃える若者は10数名の同士を集め、若き陸軍士官である堀中尉を指揮者と仰いで決起することになった。(勲がよく話を聞きに行く、堀中尉の麻布連隊近くの下宿は、「春の雪」で清顕と聡子が密会した茶屋が、下宿屋に転じた場所である。)
 が、決行が迫るある日、堀中尉は突然に「満州へ転属を命じられた。神風連の二の舞になってはいかん。決行は延期しろ」と言い出し、同士の学生の中でも3人…また4人…の脱落者が出た。
 決行の日、集合場所に警察が踏み込んできて、勲たち11人は逮捕された。


 勲の逮捕を知り、本多は裁判官を辞して勲の弁護にあたろうとする。そのときの本多の心の有りようを、三島由紀夫はこう書いている。
 『 ゆりなくも本多はかつて少年時代に、月修寺門跡の話を聞いたときから、ヨーロッパの自然法則に飽きたらぬものを感じ,輪廻転生をすら法の条文に引き入れている古代印度の、「マヌの法典」に心を動かされたことを思い出した。あのときすでに自分の心には、何ものかが芽生えていたのだ。形としての法がただ混沌を整理するのではなく、混沌の奥底に理法を見出し、その月の映像を盥(たらい)の水にとらえるように、法体系を編み出してゆく上に、自然法のもとをなすヨーロッパの理性信仰よりも、さらに深い源泉がありはしないかと、直観的に感じたことは、多分正しかったのだ。しかしそのような正しさと、実定法の守り手としての裁判官の正しさとは、おのずから別である。』
 清顕を救おうとして救いえなかったことが、本多の青春の最大の遺恨であったのなら、今度は救わねばならなかった。… 本多は清顕の夢を見た。あくる朝、本多は弁護を申し出る。


 昭和8年12月26日、勲に下された判決は、「被告人ニ対スル刑ヲ免除スル」とあった。被告はことごとく釈放され、それぞれの親元へ帰っていった。
 家に帰って勲は、両親と本多との語らいの後、コタツで転寝(うたたね)をする。その寝言を、本多は聞いた、「ずっと南だ。ずっと暑い。…南の国の薔薇(ばら)の光の中で。…」


 12月29日、銀座で短刀と小刀を1本ずつ買った勲は、伊豆にある財界の大立者蔵原武介の屋敷に押し入り、短刀で蔵原を刺殺した。
 裏山に逃げた勲は、月光に映える岩陰で、小刀を腹に突き立てて自刃する。若くして命を絶つことを宿命付けられた、脇腹に三つの黒子を持つものの最期であった。
 『正に刀を腹へ突き立てた隋間、日輪は険の裏に赫突(かくやく)と昇った。』
 本編『奔馬』はこの行で終わるが、この最終行はあまりにも名高い。勲が海岸で切腹したのは深夜であった。しかし、日輪は、赫突と険の裏に昇ったのだ。すなわち勝利を収めたのは勲だった。21歳という短い生の中で、勲は自分の夢に命をかけて生き、夢を果たしたのである。


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