【読書145】
 麻生首相の読書                  2009.02.06


 僕の読書感想文のページの副題は読書百遍…。もちろん「読書百遍 意自ずから通ず」(魏志)から採ったものです。中国三国時代、魏の董遇(とうぐう)が弟子に何度も読書することの必要性を説いた語で、難解な文章でも繰り返し読めば意味は自然と分かってくるということ。「百遍」は百回読めということではなくて、多くの回数のことです。
 神戸山手大学で、短大生活学科の新入生28名を対象にデカルトの「方法序説」(我思う、ゆえに我あり=コギト・エルゴ・スム)を30回読むことによって、「読書百遍…」の意味するところが正しいかどうかを確かめる実験が行われました。一段落読む毎に5段階評価の理解と読みのスムーズ度とコメントを記録させていったところ、いずれも成長が見られ、この言葉は正しいという結果が報告されています。


 読書したことは 今日の役には立たないかもしれないけれど、いつか必ず 人生の節目の大事なときに その力を発揮します。たくさんの本を読んできた人の話は、重厚で幅広く面白くて、ひとつのことについて滔々と話をします。選択肢をたくさん持っていて、的確な判断をする材料に事欠かないことも魅力のひとつでしょう。
 本を読むということの例を、「俺の知識は漫画から仕入れている」と公言している麻生首相に見てみましょう。そもそも政治家の言葉は重いものとされ、日本の歴代総理には漢学の素養が求められたものですが、麻生さんのようにもっぱら漫画しか読まない人は、たまたま家柄とか曽祖父・祖父・父親等のおかげで総理に登り詰めたけれど、国民の前に政治哲学も国のビジョンも示しえず、漢字を読み間違う軽薄さです。
 国会での質疑や政治用語で使われる程度の言葉を、しょっちゅう言い間違えたり読めなかったりというのは、その人の言語生活の乏しさを露呈していることに他なりません。「未曾有」とか「踏襲」といった言葉が、国会議員たるもの、勘違いや読み間違えたりするような類(たぐい)のものでしょうか。
 また、麻生首相の軽薄な発言と撤回の繰り返しが問題となっていますが、生き方の軽薄さをさらけ出しているということでしょう。定額給付金を「私は貰わない。高額所得者で貰う人は性根がさもしい」と言ったと思うと、景気対策の趣旨を諭されて「貰って大いに使う」と言い、先日の国会答弁では「辞退する」と本音をのぞかせる迷走ぶりです。定額給付金の本義と政策としての位置づけを理解していないから、考えが迷走して発言がズレる。しっかりと、人生を、世の中を見つめ、自分の職務と責任を自覚していれば、そこまでの醜態をさらすことはないと思うのですが…。
 昨日の「俺は内心は郵政民営化に反対だった」なんて発言は、口が裂けても言ってはいけないことでしょう。今の自民党は郵政民営化を党是として支持を得たのであり、その合意を政権の基盤として政策を組み立てていて、麻生さんはその総裁なのです。周囲の状況を徐々に変えていき、ある程度の合意が得られたところで「郵政民営化は部分的に見直す」と言うならば理解も得られるでしょうが、「郵政も俺が決断する」なんて漫画のヒーローみたいな…郵政造反組だけが喜ぶようなことを突然言い出しては、政治状況も自らの立場も解っていないといわれても仕方ないでしょう。それでは「饅頭屋をやる」と言ってみんなからお金を出させ、社長になったら「酒屋に変える」と宣言しているようなもの。法律に背反してはいないのでしょうが、社会的常識としてそんなことはありえないということが理解できないのですね。
 上に立つものは、言語動作が重々しくなければ威厳が伴わず、人々の信頼を得ることはできません。そのための最低限の条件として、やはり本を読むことでしょう。麻生さんは所信表明演説の原稿を作るにあたって、「大平正芳(中央公論新社)」、「ローマ亡き後の地中海世界(新潮社)」、「ローマ人の物語(塩野七生)」など7冊の本を買い込んで読んだと言い、テレビもそれらの本を揃えて画面に映していましたが、せいぜい『もくじ』に目を通したぐらいで、読んではいないでしょう。所信表明の冒頭の部分にすら、本からつむぎだした自分の言葉はなく、官僚の作文を読み上げるだけでしたから。
 本を読めばそれでよい…というわけではないのでしょうが(「学んで思わざれば則(すなわ)ち罔(くら)く、思うて学ばざれば則ち殆(あやう)し」(論語)=(本を読んだり、先生に教えてもらって)学んでも(自分で)考えなければ、(ものごとは)はっきりしない。考えても学ばなければ、(独断専行になって)危険である…とあります)、本を読んでいない人は人生に重みがない。政治家の定めとして、自らの言葉で国民に訴えなくてはならないわけですから、その言葉に重みがなければ信頼をつなぎとめることは難しいと言わねばなりません。支持率の急激な低下に象徴されるように、アキバの若者たちが黄色い声で手を振った薄っぺらな人気は、たちまち飽きられ、化けの皮がはがれ、その意味からも、やはり麻生さん、首相の器ではなかったということになりそうです。


  
マンガ好き 末は首相と 息子言う  ( 2008 サラ川 )


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