【読書146】
下天は夢か 第1巻
  (津本 陽、 角川文庫)     2009.06.30


 群雄割拠する戦国の世に、尾張半国を斬り従えて頭角を現した織田信秀だったが、国主大名へと成り上がる望みを果たせずに没する。内外を敵に囲まれたままの状態で跡目を継いだ信長は、骨肉相食む内戦を勝ち抜き、ついに強敵今川義元を桶狭間に破ると、次に美濃攻略に取りかかる。


 1986年12月から89年7月まで、日本経済新聞の朝刊に連載された、津本陽の織田信長一代記で、第1巻は「信長がこの世でただひとり信頼できる相手であった父信秀は、古渡の城で死に瀕している。信秀が死ねば、その名跡を継ぐのは16歳の信長であった。3年前に元服して、父から託された那古野城の二の丸で、信長は眠ろうと務めても頭が冴え渡っている。他国の乱破・細作はもとより、身内・家臣からも命を狙われかねないのが、当時の世の習いであったし、ましてや東には今川義元、西には斉藤道三が国境を常に脅かし、小競り合いを繰り返している。この城も、いつ誰に攻められるかと思うと、眠ろうとしても眠れぬのであった」という状況の中で幕を開ける。

 「勝ち戦と見るや、信長勢は刀槍を奮って逃げ惑う敵をなで斬りにする。人の体は血袋である。突き倒し、切り払う味方の士卒は頭から血を浴び、血のぬかるみを踏んでいく」という戦いを繰り返して、弟勘十郎信行を…、叔父織田広信…を討ち、尾張の国を平定していく。
 叔父の広信を討ったときには、亡き信秀が秘蔵の舎弟であった剛の者で、信長にとってはやはり叔父である織田信光に、河東二郡と名護野城を与える約束をして広信を謀殺させている。その7ヵ月後、信光は近習の坂井孫八郎に不意に殺害された。信長が謀って孫八郎に殺害させたのであり、
その孫八郎を叔父の仇を討つとして成敗した。こうして信長は河東二郡と名護野城そして尾張下四郡を労せずして手に入れているが、それよりも織田家の跡目争いに将来強力なライバルとなりかねない信光を葬り去ったのは大きな出来事であった。


 史上最大の逆転劇、信長が桶狭間で今川義元を討ち取った勝因は何だったのか? 織田勢が今川の本陣に迫ったとき、天候が急変…「稲光りが目をうち、雷鳴の轟音が天地を引き裂くうちに、豆粒のような雨が降り始め、たちまち滝水のたぎり落ちる勢いとなった」ため、今川方は信長軍の接近に気づかず、奇襲が成功したと津本 陽もしている。


 また、織田信長の人となりについては、従来のような豪放磊落で短気なばかりでなく、猜疑心が強く、いくつかの勢力の狭間に心細く揺れ動きつつも苦痛に耐えようとする信長を描いている。
 その信長が、桶狭間の戦いを決意する場面は、『信長の内部で、何かが砕け散った。−俺は明日死ぬ。されば思うがままに戦うてやらあず―』と、名古屋弁でヤケクソの決断を下している。
 『彼はそれまでの幾夜かを、一睡もせず過ごしていた。吐き気を催すほどの絶望感にさいなまれていた』と呻吟してのちの決断であったのだ。



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