【読書153】
 
暁 の 寺   (三島由紀夫、講談社)      2009.09.06


 豊饒の海 第3部はタイ編である。清顕、勲と輪廻した脇下の三つの黒子は、8年を経て、勲が「ずっと南だ。ずっと暑い。…南の国の薔薇(ばら)の光の中で。…」と寝言の中でつぶやいたとおり、タイ国の満7歳の姫君「月光姫(ジン・ジャン)」に転生していた。
 初めてタイの王宮に上がって拝謁したとき、姫は彼方の御席から突然に飛び降り、本多のズボンにしがみつくと、泣き叫びながらタイ語で大声を挙げた。「早く訳したまえ」と本多に怒鳴られて、通訳の菱川が甲高い声で訳した言葉は…「本多先生!本多先生!何とお懐かしい。…前世、私は日本人だ!」。
 月光姫(ジン・ジャン)が清顕・勲の転生であることを確信しつつ、本多はタイからインドへと足を伸ばす。人にむせ返るカリガート寺院で見た首のない山羊が流す血は、本多を不思議へと導く一流れの朱布であり…、埃と病菌と不具と死期を迎える人たちの町ベナレスでは、自分の理知を圧倒的な醜さの中へ人知れず捨てていくしかないことを学んだ。そして、滅んだ仏教遺跡アジャンタ石窟寺院に注ぐ滝の音に、「又、会うぜ。滝の下で」と言った清顕の熱に浮かされた一言を思い浮かべた。この後の本多の半生に、インドの旅は色濃く影を落としていく。


 三島由紀夫は、昭和42年にインド政府の招待を受けて、約1ヶ月間インドを取材旅行し、帰途、ラオス、バンコクに立ち寄っている。この第3巻の主人公をタイ王室の美しい姫「ジン・ジャン(月光姫)」としたのも、この巻の表題「暁の寺」も、この旅行時の体験がベースとなっているのだろう。
 そして、三島は、インドの聖地ベナレスで生と死の境目にある人間の姿を見て深く心を揺り動かされ、仏教への傾斜を深める。あるいは、そこで「輪廻」という生命のつながりを意識し、この作品の構想を得たのかもしれない。


 三島は書く、「輪廻と無我との矛盾をついに解いたものこそ、無着と世親によって説かれた「唯識」であった。われわれはふつう六感(眼・耳・鼻・舌・身・意)という精神作用を以って暮らしている。唯識論はその先に未那識(みなしき)を立てる。これは個人的自我の全てを含むが、しかるに唯識はさらにその奥に阿頼耶識(あらやしき)を設想する。漢語で「蔵」と表される識で、存在世界のあらゆる種子(しゅうじ)を総括する識である。あらゆる存在は「阿頼耶識」の中にあるのである」と。
 もちろん、唯識という巨大な思想体系の全てを理解して、輪廻を描いたわけではなかろう。しかし、彼は阿頼耶識が現出する法相をある瞬間にかいま見たのではなかろうか。そのことが、彼の死生観に大きく深い陰を落としているのだろう。
 この巻の上梓から半年後に三島は自決するが、「『愛する者を殺す』というのが、所有の原則なのです」とも書く三島が命をかけた作品が、この「豊饒の海4部作」であり、中でも起承転結の転にあたる第3巻「暁の寺」であったと思われる。「この巻の完成によって、ひとつの作品世界が完全に閉じられると共に、それまでの作品外の現実は全てこの瞬間に紙くずになった」とも言っているのだから。


 物語は、成人した「月光姫(ジン・ジャン)」が日本に留学し、彼女の身の回りのことを何かと世話しながら、58才になっている本多はかすかな恋心を抱く。親しい友人たちを交えて開いた自宅での晩餐会のあと、月光姫(ジン・ジャン)を泊めた寝室をのぞいた本多が見たものは…。


 20歳の春、ジン・ジャンに突然の死が訪れる。バンコックの屋敷の庭で、コブラに咬まれ亡くなったというのである。


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