【読書155】 天 人 五 衰 2010.02.17
76歳、すでに妻をなくしている本多は、旅行先の清水で、灯台の監視員「安永 透」に出会い、手旗を振る彼の脇の下に、清顕、勲、ジン・ジャンと同じ、3つの黒子が並んでいるのを見る。本多は即座に、透を養子に迎えることを決意した。
本多は透に3人の家庭教師をつけて高校へ通わせ、フランス料理の食事作法など、日常の礼儀を教えていった。
20歳、東大生になった透は、80歳の養父を邪険に扱うようになる。本多のSOSも、透の無垢な笑顔で語られる、「このごろの親父の耄碌ぶりはひどくて、被害妄想のあらぬことを言いふらすのですよ」という釈明に、誠心誠意面倒を見てくれる養子に対して、猜疑心を持つ老人としか見られない。
そんな日々を送る透を、本多の古い友人の慶子がクリスマスパーティを催すからと招待して、話し始めた。
「あなたが突然に養子に望まれたのは、その左脇腹に3つ並んだ黒子のせいよ」
慶子は、本多から聞いたままの、長い生まれ変わりの物語を話して聞かした。そして、
「ジン・ジャンが死んだ日よりも、あなたの誕生日が前だったら、あなたは生まれ変わりでも何でもない…。でも、もうそんなことは、何の意味もないわ!」
「何の意味もないとは?」と、透はやや気色ばんで言い返した。
「意味は無いわよ。だってあなたは、はじめから贋物だった。20歳までに死なないでしょうよ。あなたは卑しい、小さな、どこにでも転がってる小利口な青年で、姑息な手段で養父の財産を早く手に入れようとしている、汚い欲張りよ。東大の入学試験を通り、立派な就職口も向こうからやってくる、育英資金財団向きの模範生だったのよ。本当につまらない、一人の小才子…。
少なくとも今までの3人は、運命を持っていたわ。無理やり人を引きずりまわすもの…をね。清顕さんは恋情、勲くんは志、ジン・ジャンは溺れ…。あなたに何がある?
あなたを引きずり回したのは、本多繁那という老人の思い違いの興味だったのよ。だからあなたの美しい死なんてものがあるはずがない。あなたがなれるのは陰気な相続人だけ。」
12月28日、透は服毒自殺を図った。
生きるということが老いることであるという、不如意の本質を本多は知るに至った。我が在るから不滅が生じない、死を内側から生きるということも会得したようである。
膵臓に腫瘍が見つかった本多が、生あるうちにしておかねばならないこと…、月修寺に読経の日を送る聡子に会うことであった。
60年の歳月を隔てて聡子(門跡)は、白衣に濃紫の被布をまとい、なお老いの美しさを結晶させて端座していた。
「松枝清顕君がここへ参りましたとき、ご先代は会わせて下さいませんでした。清顕君は病を得まして、この寺のふもとの宿で息を引き取りました。何といいましても…」と話す本多に、門跡は
「その松枝清明さんというお方は、どういうお人やした?」と聞いたのである。
阿頼耶識…。思えば存在する…ということは、思わねばすなわち無なのである。