【16】「 失 楽 園 」
(ミルトン作 平井正穂訳 岩波文庫上・下)  (2002.1.3)


 年末の28日から風邪をひき、寝込んでしまった。外へ出かける気力もなく、仕方ないので、本棚をあさって、昔の本を引っ張り出してきた。
 この「失楽園」については、7・8年程前だったか、日本経済新聞に連載された同名の渡辺淳一の小説が世上の話題となり、その小説を読んでいなかった私は、友人達が「失楽園」という話題に興じていたので、「『失楽園』は、『韓非子』『(もう1冊は何だったか)』とともに、大蔵省の新採用者へ先輩から贈る3冊の本のうちの1冊ということだ」と言ったところ、「へぇ〜、女で身を持ち崩すなという戒めか?」という返事が来て、何となく納得したような…話がかみ合わなかったような覚えがある。その後、その小説を読み、映画化されたものも見て、「こういうことか」と納得した。


 叙事詩「失楽園」は、神への反逆をとがめられて暗黒の淵に堕とされた、かつては神に愛でられた大天使サタンが、復讐のために神の造りたもうた人間イヴを言葉巧みにそそのかし、ついに禁断の木の実を口にさせる。アダムもついにはその誘惑に負けて口にしたとたん、二人は羞恥心に刈られて着衣をまとい、お互いを非難する言葉を口にし始める。
 サタンの復讐はこうして成った。しかし、神は天子ミカエルを遣わして、犯した罪は罪としてなお彼らには救いの道があることを説かせる。可能性を残しつつ、アダムとイヴは楽園を追われる。
 
 作者ジョン・ミルトンの生きた時代のイギリスは、清教徒革命・クロムウェル時代・王制の復活と、目まぐるしく近代への胎動がなされたときであった。王制派と議会派との対立は宗教上の争いともなり、英国国教会の聖職者を志していた若きミルトンの意識の中に、神の国に対する深い影響を与えたことだろう。
 激務のあまり失明したミルトンは、50歳を過ぎてから口述によってこの格調高い叙事詩を完成した。目の見えるときには迷いばかりであった彼の楽園は、光を失ってこそ心の中に見えたのであろうか。罪を得て楽園を追われるアダムとイヴの姿を最後に、この物語は終わる。生まれながらにして原罪を背負う人間にとって、そこはまさに「失楽園」なのである。
 ずいぶん若い頃に読んだときは、もっと観念的に人間の原罪を意識していた。いま、読み返してみて、アダムとイヴが救いを信じて楽園を去って行く姿に見るものは、自らの追体験の重なりであろうか。




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