【17】「紙の道(ペーパーロード)」 (陳 舜臣  集英社文庫)  (1.9)


 新疆ウイグル地区のさまよえる湖ロプノールに近い前漢の烽火台跡から、前漢時代の紙が発見された。同時に発見された木簡に黄竜元年(紀元前49年)の記年があったという。歴史で習った、蔡倫(後漢の宦官)の紙発明よりも、154年も前ということになる。
 東方でつくられた絹がはるばる西へ運ばれ、その交易路がシルクロードと呼ばれて、人々の夢とロマンをかきたてる。紙もやはり中国で発明され、長年多くの人々の手によって工夫改良が加えられながら、蔡倫が技術的に一応の完成を成したのであろうが、この本は、紙が西方へ伝わっていった道すがらを、ものが紙だけに記録された文書の考証を踏まえて解き明かす。
 例えば、「唐の西域総督「高仙芝」は、カシュガルからパミールへ入って石国(今のウズベキスタン国の首都タシケント)を制し、ウマイヤ王朝からアッバース朝に代わったばかりの頃のイスラム帝国と前線を接した。ここに「タラスの戦い」が始まり、唐軍は自軍の西域兵の寝返りによって大敗し、大勢の将兵が捕虜となった。その捕虜の中に紙漉き職人がいて、このとき中国の紙製法が初めて西方に伝わったのである(大意)」と記している。
 このように、陳 舜臣氏の記述には説得力がある。明確な史料を示して記述を進めるからである。中国の大活劇小説である十八史略は、おびただしい作者の手によって「○○十八史略」が著わされているが、陳 舜臣氏のものが最も読みやすかった。考証がしっかりしているから、納得して読み進めることができ、必然的に内容がよく解かるのである。
 「唐は高麗を併合したが、激しいレジスタンスが続いたので、高麗の人民38200戸を僻地・未開の地に移した。今、タシケントには朝鮮族が20万人も住んでいる。1930年代には、スターリンが沿海州に住む朝鮮人を強制的に中央アジアに移住させた。…、野蛮な措置であった。」と記しているが、唐代に移された人々とあわせて、西域に朝鮮族が数多く住むわけが理解される。
 紙が西方へ伝わっていく道を辿ることは、中国から西アジアそしてヨーロッパに至る地域に覇を競った民族の興亡の歴史を見ることである。2世紀初めに中国で生まれた紙は、さまざまな民族の政治経済・文化風俗・思想宗教を記しながら、8世紀半ばに中央アジアのサマルカンドを経て、12世紀初頭にイベリア半島に至っている。「紙の道」は、壮大な歴史紀行である。




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