【読書226】
「寝そべりの記」「女へんの記」 奥野信太郎・論創社 2013.07.28


 文芸春秋の文芸記事を読んでいたら、徳川夢声、渡辺紳一郎、奥野信太郎、サトウハチロー、近藤日出造らの懐かしい名前が並び、軽妙洒脱な語りが紹介されていた。
 それぞれの紹介の中で、奥野信太郎が「銀座で14・5人くらいの女の子を置いている店があったとします。そのうち3・4人がもっぱら例の方の稼ぎに熱心だったとすると、それが囮(おとり)みたいになって、好色なお客が集まってきますね。だから3・4人そういう子がいるということは、商売上是非必要なんですよ」と、知り合いのクラブ経営者の話として、その世界の裏話を聞かせている数行に興味を引かれた。
 僕は、上の皆さんの顔は存じ上げているが、正直、奥野信太郎だけは記憶がない。そこでちょっと調べてみると、『父は陸軍大尉。13歳のころ浅草の叔母の家に預けられて芝居に熱中、永井荷風に心酔する。父の命で陸軍士官学校を受けたがわざと失敗、浅草オペラに耽溺する。続いて第一高等学校も受験するが失敗し、荷風を慕って慶應義塾に入るが、荷風は既に退職していた。慶應義塾大学文学部卒。北京に留学。戦後、慶應義塾大学教授。中国文学研究のかたわら数多くの軽妙な随筆で人気があった』に目が止まって、図書館で2冊ほど借り出してきた。
 中国文学の教授だから、中国古典の解説や注釈など、学者としての本分も尽くしていらっしゃるが、やはり本領は飄逸な随想・随筆にあるというべきだろう。

 『寝そべりの記』の一編では、吉原遊郭の戦前戦後を比較し、
 「 …、料亭とは実に嫌な言葉であるが、これは官製の言葉であって、以前の料理屋と待合を一切ひっくるめて料亭という取り決めになった。せっかく漢字を使いながら意味をなさない語で、日本語は混乱していないと主張する国語の先生があるようだが、ただ無意味に幹士を二つくっつけたこんな嫌な日本語が平気で日常化していっても、やはり日本語は混乱していないといえるのだろうか。
 それはとんだ横道、引き手茶屋の松葉屋といえば、江戸のはじめから音に聞こえた家である。…」
と、文学者らしいいちゃもんもつけながら、花町の今昔を説明してくれる。

 『女へんの記』の一項には、「婬」の字の項に「天降る織女」と副題して、
 「 中国のある町にいた郭翰(かくかん)という青年が、ある夏の月の夜、庭で寝転んでいると、天から女の人が降りてきた。
 「私は天の川のほとりに住む織女です。夫とは年に一度の逢瀬だけ。天帝さまから、少しは下界に降りてみよとのお許しを得て、あなたのお側にやってまいりました」と言う。
 褥(しとね)に横たわる彼女のえもいわれぬ匂いの中、天上と下界が一体となって交合する心地で、彼女の白い肌の愛撫は、陰陽の道、乾坤の理であることを悟らずにいられなかった。
 … やがて1年、「天帝さまが私に下さった期限が来ました。悲しいけれど、お別れです。」
 天に舞い上がったかの女の姿は、やがて吸い込まれるように見えなくなってしまった。
 この織女は、通い妻であった。天上の倫理を用いて自分の行動を合理化していたが、粉うかたなく有夫の女が私通していたに違いない、婬女である。
 淫女は古く婬につくる。女の淫逸放恣を意味した言葉である。偏の女と旁(つくり)の淫からできている字で、旁はさらに分解すれば爪と壬となる。この場合、壬は発音、爪は爪でつかみとることをあらわす。男をつかみとる女が婬というわけだ。」とある。
 中国の春話を読んだというよりも、漢字の勉強をしたという感じにさせられるのが嬉しい。


 その後、月の夜にはベランダで寝そべったりしているのだが、いっこうに変わったことなどない。


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