【19】「本当の歴史を知らずして人間の誇りは持てない」
  
(作家 池宮彰一郎、文芸春秋)


 池宮彰一郎氏は、時代小説に珠玉の作品が多く、歴史の中に生きた多くの偉人・武将の姿を描いて傑出した作家である。この小編は、文芸春秋の教育特集に収められた、学校での歴史教育に対する氏の思いを述べたものである。
 『率直に言って、日本の戦後の歴史教育は間違っている』とする氏の教育観は、今やわが国の学校教育に対する多数の意見であろう。以下に要約を紹介する。


 『「歴史」とは迂遠のものである。歴史を学んでも、実生活で何の役に立つかわからない。現実即応の時代にあっては無用の物と思いがちである。
 青少年の兇悪犯罪が問題化し、政治家や官僚が既得権にしがみついて、私利私欲に奔る。経済家を自認するものはバブルを生じ、破綻を来して国家国民を危機に陥れても、誰一人書任を取ろうとする者が無い。 …略…
 戦後五十六年、横行跋扈して悍らない廉恥心の欠如、無責任体質、公益の無視を見るにつけ、本当の意味での「歴史教育」を怠ったツケが廻ってきたな、と痛感している。歴史を教える、学ぶということは、何の為であろうか。それは一に「国家の尊厳」と「人間の誇り」を自覚させることに外ならない。いまの日本国や日本人には、それが全く欠如してしまっている。 …略…
 皇国史観を旨とする戦前の歴史には、確かに間違った一面があったことを認めねばならないが、戦後の教育方針は、アメリカ、それも軍人によって決められた。アメリカは駐留軍にそれを委ねた。 …略… 第二次大戦太平洋戦争は、日本の侵略戦争と位置づけた、いわゆる東京裁判史観はわが国を始め近隣諸国の定義となった感がある。 …略… 当時、国際法上、戦争は国家の持つ当然の権利で、不法でも無法でもなかった。 …略… 英国の阿片戦争、アメリカの米西戦争、第一次大戦もまた国の利害に依って起り、そして戦勝国が戦敗国を自分の都合によって処理・処分した。戦争が犯罪と見傲されたのは、戦後の事である。だが、法の原則に「法は潮及せず」とある。戦後制定の法を戦前に潮及することは誤りである。東京裁判史観は歴史学の一説に過ぎない。…略…
 170万年に及ぶ人類の歴史の上に生れた現代の青少年は、努めることなくその成果を甘受して言う、「人を殺してなぜ悪い」と。なおざりにしてきた「教育」が招いた悲惨な結果である。
 …略…
 歴史は、人の誇りを教える。古七十万年生き抜いた人の誇り、それらは今に生きる人間の、自覚せねばならぬ誇りである。その誇りを、われらは胸を張って次代に伝えなければならない。』



【18】「 精 神 の 発 見 」  
 ( 梅原 猛、 角川文庫 )  (1.30)



 『日本は日本人の成り立ちの手がかりを、ほとんど全て魏志倭人伝や後漢書東夷伝など外国の資料に依っていて、古事記や日本書紀などを見ようとしない。これは、戦前の国学思想に厳しい批判を加えた津田左右吉の考え方…いわゆる津田史観による。
 小中学校でも高校でも、古事記や日本書紀は神話であるとして、その内容を教えない。この歴史教育はまちがっている。土器と古墳のみを教え、その意味について何ら思索をしなかった戦後の日本の歴史学は、余りにも自国に対する否定の心に執しすぎるという過ちとともに、余りにも精神を無視しすぎたという過ちを犯している。じつさい、人間にとって、特に古代人にとって、宗教は重要な意味をもっていた。古代へさかのぼればさかのぼるほど、人間は厚く神を信じて、神の研究なくして古代史の研究はありえないのに、いったい何人の歴史家が、神について真面目に考えたか。
 もちろん、歴史観を再び戦前の歴史観にもどしてはいけない。古事記、日本書紀の神々の話が、そのまま事実ではない。神々は、記紀に登場する神々のほかに、まだ多く日本に残っている。その神々は、日々に少なくなってゆく日本の緑を守っているとともに、日本人に、その精神の故郷を教える。われわれは、戦前の日本を支配した空虚な精神主義にまどわされずに、また、戦後日本を支配したおごり高ぶる唯物論にもまどわされずに、いまこそ、神々の姿を正しく認識しなければならない。(要旨)』
 と説き、記紀や出雲の神話をはじめ、神仏習合を為した聖徳太子ゆかりの寺「法隆寺」のナゾ、親鸞の「歎異抄」から鎌倉禅について、そして中国の政治的知恵を論じ、さらに三島由紀夫・山田無文師・橋本凝胤師について記したあと、近代哲学批判、歴史観について、悲劇精神喪失の時代と形而上の論調が続く。
 さらに、終わりに臨んで、『言ってみれば、記紀は、藤原不比等によって制定された律令制度確立のためにつくられた神話であり、それは結局、アマテラスという伊勢に根拠をおく新らしい神の権威を確立するために、それまでの日本人が崇拝していた三輪山にいますオオモノヌシなる神をはじめとするもろもろの神々を一括して、オオクニヌシと称し、出雲の地へ流竄しようとしたものであること。そして出雲大社とともに和同年間(708-715)に出来たという伝承のある法隆寺は、律令体制確立のために犠牲となって惨殺された、聖徳太子一族の怨霊を鎮魂するための寺であること。それらのことが、次から次へと私の前に明らかになった』と記している。
 そして、その探求する自らの姿を、『私はこの三年間、いささか過去に関心を向けすぎたとも思うが、この過去への没入によって、私は日本というものを、あるいは歴史というものを、あるいは人間というものを、新らしく見直す自己の眼を得たと思う。』と結ぶ。


 歴史の深奥に潜む真理を探求し、そこから日本人の在り様を示す一冊である。古来から稲を育てながら日本人は生き物へのいたわりの心を学んできたのであろう。しかし、全てが機械に操られる現代に求められるのは怜悧な科学的計算であって、人と人とが交わるに必要ないたわりの心や他人の命に対する愛情の気持ち、そういったものが喪失している時代に今、人は生きねばならない。「人を殺してなぜ悪い」と問う子どもの出現は、民族の歴史をおろそかにしてきた現代日本の映像なのだろうか。



● 風邪が一段落して、本屋へ出かけた。1週間ほど外出できなかった反動もあって、ヤケクソのように本を買ってきた。「日本の正論(産経新聞)」「教育の論点(文芸春秋社)」「数学嫌いな人のための数学(小室直樹 東洋経済)」「この算数できる?(中央出版)」「精神の発見(梅原 猛、角川文庫)」「人生の目的(五木寛之 幻冬社)」「7人の安倍清明(夢枕 獏、文春文庫)」と雑誌「文芸春秋」「正論」。また、本箱のこやしが増えた。



【17】「紙の道(ペーパーロード)」 (陳 舜臣  集英社文庫)  (1.9)


 新疆ウイグル地区のさまよえる湖ロプノールに近い前漢の烽火台跡から、前漢時代の紙が発見された。同時に発見された木簡に黄竜元年(紀元前49年)の記年があったという。歴史で習った、蔡倫(後漢の宦官)の紙発明よりも、154年も前ということになる。
 東方でつくられた絹がはるばる西へ運ばれ、その交易路がシルクロードと呼ばれて、人々の夢とロマンをかきたてる。紙もやはり中国で発明され、長年多くの人々の手によって工夫改良が加えられながら、蔡倫が技術的に一応の完成を成したのであろうが、この本は、紙が西方へ伝わっていった道すがらを、ものが紙だけに記録された文書の考証を踏まえて解き明かす。
 例えば、「唐の西域総督「高仙芝」は、カシュガルからパミールへ入って石国(今のウズベキスタン国の首都タシケント)を制し、ウマイヤ王朝からアッバース朝に代わったばかりの頃のイスラム帝国と前線を接した。ここに「タラスの戦い」が始まり、唐軍は自軍の西域兵の寝返りによって大敗し、大勢の将兵が捕虜となった。その捕虜の中に紙漉き職人がいて、このとき中国の紙製法が初めて西方に伝わったのである(大意)」と記している。
 このように、陳 舜臣氏の記述には説得力がある。明確な史料を示して記述を進めるからである。中国の大活劇小説である十八史略は、おびただしい作者の手によって「○○十八史略」が著わされているが、陳 舜臣氏のものが最も読みやすかった。考証がしっかりしているから、納得して読み進めることができ、必然的に内容がよく解かるのである。
 「唐は高麗を併合したが、激しいレジスタンスが続いたので、高麗の人民38200戸を僻地・未開の地に移した。今、タシケントには朝鮮族が20万人も住んでいる。1930年代には、スターリンが沿海州に住む朝鮮人を強制的に中央アジアに移住させた。…、野蛮な措置であった。」と記しているが、唐代に移された人々とあわせて、西域に朝鮮族が数多く住むわけが理解される。
 紙が西方へ伝わっていく道を辿ることは、中国から西アジアそしてヨーロッパに至る地域に覇を競った民族の興亡の歴史を見ることである。2世紀初めに中国で生まれた紙は、さまざまな民族の政治経済・文化風俗・思想宗教を記しながら、8世紀半ばに中央アジアのサマルカンドを経て、12世紀初頭にイベリア半島に至っている。「紙の道」は、壮大な歴史紀行である。




【16】「 失 楽 園 」
(ミルトン作 平井正穂訳 岩波文庫上・下)  (2002.1.3)


 年末の28日から風邪をひき、寝込んでしまった。外へ出かける気力もなく、仕方ないので、本棚をあさって、昔の本を引っ張り出してきた。
 この「失楽園」については、7・8年程前だったか、日本経済新聞に連載された同名の渡辺淳一の小説が世上の話題となり、その小説を読んでいなかった私は、友人達が「失楽園」という話題に興じていたので、「『失楽園』は、『韓非子』『(もう1冊は何だったか)』とともに、大蔵省の新採用者へ先輩から贈る3冊の本のうちの1冊ということだ」と言ったところ、「へぇ〜、女で身を持ち崩すなという戒めか?」という返事が来て、何となく納得したような…話がかみ合わなかったような覚えがある。その後、その小説を読み、映画化されたものも見て、「こういうことか」と納得した。


 叙事詩「失楽園」は、神への反逆をとがめられて暗黒の淵に堕とされた、かつては神に愛でられた大天使サタンが、復讐のために神の造りたもうた人間イヴを言葉巧みにそそのかし、ついに禁断の木の実を口にさせる。アダムもついにはその誘惑に負けて口にしたとたん、二人は羞恥心に刈られて着衣をまとい、お互いを非難する言葉を口にし始める。
 サタンの復讐はこうして成った。しかし、神は天子ミカエルを遣わして、犯した罪は罪としてなお彼らには救いの道があることを説かせる。可能性を残しつつ、アダムとイヴは楽園を追われる。
 
 作者ジョン・ミルトンの生きた時代のイギリスは、清教徒革命・クロムウェル時代・王制の復活と、目まぐるしく近代への胎動がなされたときであった。王制派と議会派との対立は宗教上の争いともなり、英国国教会の聖職者を志していた若きミルトンの意識の中に、神の国に対する深い影響を与えたことだろう。
 激務のあまり失明したミルトンは、50歳を過ぎてから口述によってこの格調高い叙事詩を完成した。目の見えるときには迷いばかりであった彼の楽園は、光を失ってこそ心の中に見えたのであろうか。罪を得て楽園を追われるアダムとイヴの姿を最後に、この物語は終わる。生まれながらにして原罪を背負う人間にとって、そこはまさに「失楽園」なのである。
 ずいぶん若い頃に読んだときは、もっと観念的に人間の原罪を意識していた。いま、読み返してみて、アダムとイヴが救いを信じて楽園を去って行く姿に見るものは、自らの追体験の重なりであろうか。


● 面白かった「アラビアン・ナイト(千一夜物語)」  
      (12.31)
   − 物語り文化伝承の大切さ −        NHK海外ドラマ


 風邪を引いて寝込んでしまい、ここ数日はゴロゴロしていた。年賀状の作成も遅れてしまって、元旦に着かなかったらゴメンナサイ。
 NHKの海外ドラマ「アラビアン・ナイト」をビデオにとって、布団の中から見た。物語は、妃に裏切られたことから女性不信に陥ったシャーリヤル王が、一夜をともにした女性を翌朝には命を絶ってしまうため、聡明な大臣の娘シャラザードは自ら進んで王のしとねにおもむき、王を飽きさせない物語を毎夜語り継ぐ。
 ドラマはおなじみの「アリババと40人の盗賊」や「アラジンの魔法のランプ」などが登場し、テレビの画面も愉快な場面が次々に繰り広げられ、昨年放映された「クレオパトラ」よりも面白く見られた。
 さまざまな物語を聞いた王は、話の中に繰り広げられる人々の姿や教訓に心を動かされ、ついには人を信じる心を取り戻すという物語だが、このドラマを見終わっていま、物語り文化の大切さを感じている。
 昨今は、小中学校で国語の時間数が削らされたり、学習する漢字の数も減少する一方である。世の中の活字離れや、核家族化による口承伝承の断絶が懸念されているが、昔話や民話、戦争中や祖父母の若い頃の話は、勧善懲悪や世の中のルールを教え、子ども達の心を勇気付けたり優しさを養ったりしてきた。
 語り継がれてきたお話をたくさん聞き知っているということは、心の中に入れ物をたくさん持っているということではないだろうか。いろいろな場面に応じてその場にふさわしい袋を取り出すことができるし、さまざまな人のそのときの気持ちに合わせた中味を取り出すことができる。
 今年2001年を迎えた当初、物質文明の発達にどこか取り残された感のあった精神文化に目を向けようとして、21世紀は「心の時代」といわれた。いま、今年が終わろうとしているとき、人間生活の原点のひとつが物語り文化にあったことに、改めて気づかされたことも何かの啓示であったのだろうか。
 アラビアンナイトの時代から1000年ほどの年月が流れているが、…この物語は10世紀頃から13世紀頃の間に中核が整えられたとされている…、この間、積み重ねられた歳月の重さに比して、人々は決してより幸せになってきたとは言えまい。そういえば今年、世界の注目を集めたアフガニスタンもこの地であるが、イギリスの東洋学者でコーランの英訳者E・H・パーマー(〜1882)はアラブの人々の特性を、「勇敢で義侠心に厚く、保護を求める者をかばう。事の理非曲直を問わず同族のものを助け、命を賭けて守る」と書いているのは、今の中東事情を説明するに十分な記述である。
 今年も、多発テロに象徴されるように、世界には激動の歴史が刻まれていく。アメリカには悲しみや憎しみに沈み、中東紛争の行方も見ない中、ヨーロッバはユーロ切り替えが断行され、南米パキスタンでは着任早々の暫定大統領が辞任した。物語の中に描かれる人の心の不可解さではないけれども、人の幸せとはいかにも難しい。しかしそれでも、来るべき新しい年が、人々にとって幸せな年でありますようにと祈りつつ…。



【15】「田中真紀子は なぜ闘うか」 (渡辺正二郎 日本文芸社)  (12.8)
     − 田中バッシングの恐るべき真相を暴く −


 副題に興味をそそられて、「やがて中国の崩壊が始まる(ゴードン・チャン)」とともに、買ってきた。
 この本の内容は、平成13年4月21日、自民党総裁選に小泉・真紀子が橋本・野中に挑み地滑り的大勝利を得たことを踏まえ、利権集団橋本派の凋落と、田中真紀子の天下取りを筆者は予言する。真紀子を支持する理由として、
@ 真紀子は、父角栄の後援会「越山会」を解散して選挙に臨み、当時の越山会青年部長を相手に徒手空拳の戦いを勝利して議席を得た。2世議員ではない。今も、派閥に属さず、後援会を持たない。しかし、人気は高く、選挙は圧倒的に強い。
A 立法府に属する議員の仕事は議員立法にあることを自覚し、初当選後すぐに「中国残留孤児帰国支援法」を成立させたのをはじめとして数々の法律を提案成立させた。今また、幹部公務員が問題を生じさせたとき退職金は没収、すでに天下っているときには天下り先の給料と退職金を没収するという「幹部公務員特例法」を成立させようとしている。これまでの議員で、こんな発想と行動ができた議員がいたか。
B オーストラリア・イタリヤの外相との私的会話がリークされた、「アメリカのNMD(ミサイル防衛)計画は、よく考える必要がある。」という発言は、僭越・出すぎだとか内閣の意見として擦り合せのないことを独断で言ったと問題視されたが、欧州各国を初め世界の国々は、「アメリカ本土のみを守ろうというこの計画は独善的だ」とこぞって反対に回っている。対米追従の日本で、世界に先駆けてそれを堂々と主張したのは、田中真紀子外相だけであった。
C さらに真紀子外相は、今までの歴代外務大臣が口にも出せなかった、沖縄米軍の地位協定をアメリカに掛け合い、パウエル国務長官はその見直しを約束している。地位協定の改正なくして、対米対等外交はない。真紀子は、独立国日本の基本的スタンスを見据えているのである。
D 外務省の構造改革をすすめることのできる大臣は、真紀子をおいてほかにいない。77億円もの領収書の要らない機密費(国民の血税である)を野放しにしてきた大臣・内閣は今まで何をしてきたのか。報告する必要もない金ならば、不正が生じるのは必然である。この体制にメスを入れる意欲を持ち、それを断行できるのは、田中真紀子だけである。
 うち、21億円が官邸機密費として内閣官房に横流しされ、野党対策などに使われてきた。これにメスを入れようとしているのだから、福田官房長官をはじめ首相官邸サイドが真紀子大臣の首を取ろうとする理由がここにあるが、真紀子はこれに立ち向かっている。
E 田中真紀子は、政治家の素質「言論弁舌で大衆を動かすことのできる」数少ない政治家であり父角栄の姿を近くで見つづけ、政治に理念と目的をもって臨んでいるからこそ、この迫力と説得  力を持つのである。日本の『世直し』を田中真紀子に託して、これを支持したい。
 と、ざっとこのような主旨である。
 いわゆる抵抗勢力はバッサリ…。日本大不況のA級戦犯で即刻政界を引退すべき橋本竜太郎とか、教育の基本…道徳の欠ける森 喜郎、県議会議員クラスが限度の野中広務などとボロクソ!。 鈴木宗男に至っては、政界のアホの坂田…裁判所も認めた日本一汚い政治家。ODAと北方領土を食い物にするこんな国賊は、ロシアに頼んで永久に日本に返還されない北方領土で終身重労働に服させよう!!  …って、この私でさえ、ここまで書いていいのかとヒビッた。



【14】「菊次郎とさき」    (ビートたけし 新潮文庫)     (12.2)


 菊次郎はたけしのオヤジで、さきは母親。たけしの半生記は、月給が1600万円になったたけしに、「芸人なんていつ売れなくなるかわかんないんだから、金ためて置くんだよ」と説教する、この偉大な母との絡み合いの記録である。売れてからのたけしには、しょっちゅう「30万くれ。50万くれ」と小遣いの無心を繰り返したというのだが、92歳になって伊豆の療養所に入ったさきを見舞ったたけしに、形見分けだと渡した封筒に入っていた貯金通帳には、『オイラが渡した金が、一銭も手付かずにそっくりそのまま貯金してあった。車窓の外の街のあかりがにじんでみえる。人生の勝負に最終回でひっくり返された。』と、たけしは誇らしげである。
 これに対して、オヤジの菊次郎はどこまでもあわれだ。気が小さくていつも酒を飲んで酔っ払っていた菊次郎は、たけしの記憶の中で、常に家族に迷惑をかける存在である。長兄の結納の席では、素面のときには「こんな立派なお嬢さんを、手前どもの家にいただいてよろしいので…」などと言っていたのが、泥酔して「不細工な顔をしてどこへも行くところがないので、俺んちの息子に押し付けようというのか。このヤロウ」と相手の父親とケンカになり、それでも一緒になった二人の結婚式ではフリチンで踊り出して花嫁を泣かせてしまう。
 長女は、可愛がっていたニワトリを探して「ピーちゃん知らない?」と菊次郎に聞くと、珍しく台所にいてコンロで鍋の出来ぐあいを見ながら、「こん中で煮ている」と言う。『その瞬間、姉貴は火のついたように泣き出した。おいらも「オヤジの野郎、ひでえことするな」と思ったけれど、とにかく腹が減っている。うまそうな匂いがするので、結局、オヤジと一緒に食べることにした。そうしたら、泣きじゃくっていた姉貴まで食卓の前に座ったのには、さすがのおいらも驚いた。「ピーちゃん、可哀相に。こんなになっちゃって」と口では言いながら、鳥鍋をつつき始めた。しまいにはお代わりまでしている。「それ、ピーちゃんだろう」と、今なら言うだろうが、その時は腹が減っていてそれどころじゃなかった。肉になってしまえば、ピーちゃんも何もない。』その場の情景を『そんな時代だったのだ』とたけしは結ぶ。そのたけしは、小遣いを貯めてやっと買ったバットを、風呂の焚き木にされた。
 酒さえあれば天下無敵の菊次郎だが、二男の大(まさる…昨今時々テレビに出ている)にはひどい目に合わされている。大が運転免許を取って友達の車で出かけたところ、すぐに「人を轢いた」と青い顔をして帰ってきた。「知らん顔を決め込め」と布団に潜り込んでいると、菊次郎がひん曲がった自転車を押しながら顔から血を流して、「この近くで、おれを轢いて逃げたやつがいる!」。



【13】「たけしの20世紀日本史」
(ビートたけし 新潮文庫)    (11.27)


 たけしは、近代日本の原点は「日露戦争にある」という。とにかく西欧列強に伍する国づくりをするにはこの戦争を戦わなくてはならなかったし、この戦争に負けていれば植民地! 国のあり方を賭けて戦わなければならなかったんだといい、乃木将軍や東郷元帥を歴史の教科書から抹殺した日本人の不甲斐なさを笑う。「乃木や東郷の名前は、外国の教科書にすら載ってるんだ」と。



【12】「たけしくん、ハイ!」 
(ビートたけし 新潮文庫)    (11.24)


 『うちはひと部屋しかなくてさ。裸電球がボンとあって、そこで兄きがね、変なみかん箱みたいんで、いつも勉強してたのよね。
 おふくろはそれがうれしくってしょうがないわけね。兄きがいつも勉強してるってことが。だけど、おやじが酔っぱらって帰ってくると大変なんだ。
 「バカヤロ! 明るくて、寝られやしねぇじゃねぇか。いつまでもわけのわからねぇもん読んでんじゃあねぇよ!」
 ってどなるのよ。すごい怒るわけ。
 それでね、おふくろが、でっかい懐中電灯を持ってね。塩むすびを二つぐらいつくって兄きをつれて、近所の街はずれっつっちゃおかしいけど、人けのないところへ行くのよね。
 最初は、なにしに行くんだか、ぜんぜんわからなかったの。それでね、一回あとついてったらね。兄きが、街灯の下で、しやがんで本読んでるのよ。そのうしろから、おふくろが、持ってった懐中電灯で本の上を照らしてやんの。そんで、ときどさ兄きが、塩むすび食ってんの。あれを見た時は、驚いちゃったね。こうやって、おふくろが照らしてんだもの。すんごい家庭だったよね、いま考えたら。そいでね、なぜかしんないけど、俺もやんなくちゃいけない、と思って。それでうちにとってかえして、わけのわかんねぇマンガ本持ってきてさ。そこで兄きと同じように読みだしたら、
 「バカヤロー!」
 って、おふくろになぐられたんだよね。
 俺いらが、勉強のまねしていると笑って喜んでるわけ。なにもやらなかったら大変よ。なぐるけるでさ、鬼のようだったね。本当に、鬼子母神のようだったよ。恐かったなぁ。
 そういう母親なんだもん。まあ、すごい母覿だったね、あれ。そいで、おやじが酔っぱらいであれだもんね。異常な世界だよ、俺んとこ。そいで、おばあちゃんはおばあちゃんで、弟子とって義太夫、うなってるわけじゃない。一間しかない、あんなちっちゃな部屋で。やんなったよね、俺。
 
 銭湯は楽しかったね。いつも3時間ぐらい遊んでいたよ、ふやけるまで。潜水艦遊びなんてのがはやってさ。笑っちゃうほど小っちゃな石ケンんをみんな持ってたなぁ。フタで水飲んじゃうの、ゴクンゴクンてね。
 小学校ン時、クラスの女の子に会ったことあるんだよ、風呂ン中で。ありゃあ、まずいよ。あれ困っちゃうぜ、あれ。でさあ、よせばいいのにさあ、おとうさんがもぅ女風呂へ入れたほうがいいような女の子連れてくることがあって、あれも困っちゃうんだよなぁ。女にすごい興味がある小学校5年生ぐらいのときに、急に目の前にコーマンがでてきたりなんかしてさあ。目まいしたりして。』


 天才たけしの才能が随所にあふれている。今まで、たけしの笑いは、人を傷つけて笑いをとる芸だと思っていた。たけしのヒョウキン族以降、世の中は弱い者をいじめて笑う風潮が広がったように思って、その芸風を好きになれなかった。
 その後、さまざまな場面でたけしを見ると、まぁその映画は見たことがないが、たけしは一種の天才であることを認めざるをえないと思った。今、この本を読んで、底辺に漂うペーソスは、たけしがここまで世の中を突っ張って生きてこなければならなかった証ではなかったかと、ある共感を覚えた。



【11】「誰が日本を救うのか」 
(日経新聞論説副主幹 田勢康弘 新潮文庫)(11.8)

 扶桑社の歴史教科諸問題から、日本の姿勢といった問題が気になって、【9 亡国の徒に問う・10 誰が歴史を糺すのか・11 誰が日本を救うのか】と一連の本を読んできた。とともに、小泉首相の靖国参拝に関して、「東京裁判 上・下」(毎日新聞社)も同時進行で読んでいるが、膨大な本でなかなか進まない。
 この「誰が日本を救うのか」は、「指導者論」である。『日本人は外国人からは解からないことが多い。何も喋らない人が珍重される』。集団主義だったから、自分の意見を持たないあいまいな人間がよかったわけである。『うまくいけば ばれずにすむ…人間の行動として、これほど下劣なことはない。政治に言葉を取り戻せ。明確な国家観を持て。我々が立派に生きる努力をしなければ、結局、政治も国も変わらない』と言い、責任の所在のはっきりしないあいまいさが、この国を窮地に追い込んだと厳しく指弾する。


【10】「誰が歴史を糺すのか」 
(井沢元彦 祥文社)        (11.6)

 井沢元彦が、梅原 猛・猪瀬直樹・大石慎新三郎・渡辺昇一・山折哲雄らと日本の諸問題について行なった対談を収録したもの。井沢が「私は梅原日本哲学の自称後継者ですから」と言うのを、梅原に「私とは多少違うところもありますが」とやんわりいなされたり、(井沢)「アミニズムといった霊魂的宗教は劣っているものとして滅ぼされたのですね」、(山折)「それは錯覚であって、実際には人間の深層部分に流れつづけています」と、井沢の底は浅い。石原行革相のブレーンとしてテレビで顔を見る猪瀬は、「日本の横並びのぬるま湯的平等主義から、太平洋戦争が勃発し、特殊法人が生まれた」と言う。


【9】「亡国の徒に問う」 
(石原慎太郎 文芸春秋社)       (10.31)

 石原慎太郎が、議員を辞する前後数年間の、「文芸春秋・諸君・正論・発言者」等に寄稿した論考を集めたものである。
 「日本は溶けていく。…、太平洋戦争の敗戦を恥辱と捉えた昭和一桁生まれ辺りまでがかろうじてかつての日本人の原形を備えていて、その後に登場した国半は大方、価値の基軸が失われた後の、教育を含めて総じて戦後民主主義的発想と情操の中で育ってきた人種…。価値の機軸を問い直し取り返す時期」と始まって、「細川氏の侵略戦争発言は首相の犯罪」と断じ、天才科学者ホーキング博士の言葉『どんな星でも文明が進みすぎると自滅する』をひいて警鐘を鳴らし、だから基軸を取り戻せと主張する。
 石原慎太郎という男は、最近という訳でなく、以前から過激な男だということが判った。でも、大変な人気者である。小泉首相も構造改革・憲法改定を掲げて歯切れのよさで人気を得ている。物言う論者たちは反体制的進歩派が圧倒的だけれども、物言わぬ大衆は、案外、体制的強硬派なのだ!



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 見回してみると、買ってきただけで読んでいない本の何と多いことか。昔、先輩に、「目次を読むだけでも、意味がある」と教えられ、自己流の解釈をした結果である。


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