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【8】親友達の午後  
(夏坂 健著、新潮文庫「ナイス・ボギー」に収録) 
(10.22)


 先日読んだ「ゴルファーを笑え」に触発されて、夏坂 健さんのゴルフエッセイ集「ナイス・ボギー」「地球ゴルフ倶楽部」「王者のゴルフ」を買ってきた。 ついでに「エービーロード ウエスト 11月号」も…。
 「ナイス・ボギー」に収録されている、『親友たちの午後』! 自分だけではもったいないいい話なので、ちょっと紹介しよう。

『 サムの妻君から電話だ。
「支度を始めたわよ。お願い」
「何分ぐらいかかる?」
「十分後には、おたくの前を通ると思うわ」
「了解。まかせなさい」
 電話を切ったウィリー・キングは、家人に店番をたのむと、隣の自動車工場に走って
ジョージ・ハドソンを車の下から引っ張り出す。

「サムがくるぞ。すぐ支度してくれ」
「よし、何分後だ?」
「8分」
「忙しいこっちゃ」
 踵を返したウィリーは、ゴルフシャツに着替えてガレージに走り、手引きカートにキャディバッグを乗せると、いつものように隠れんぼうの子供そっくり、物陰にひそんで通りの気配を窺い始める。と、妻君の予告通り、赤帽子に赤シャツのサムが正面にあごを突きだした独特の歩き方で現われた。彼の派手な服装は、もし行方不明になったときの重要な手掛かりになる。過去に何度か、彼は自宅と反対方向に歩いてパトカーの世話になってきた。
 カートを引いたサムが次第に近づいてくる。するとタイミングよく、とぼけた表情のウィリーが物陰から現われて、いかにも驚いた声。
「おや、サムじゃないか!これからゴルフかい?」
「うん」
「こいつは偶然だ。俺とジョージもコースに出掛けるところ、よかったら一緒にどうだい?」
「うん」
「よかった。ゴルフは仲間が多いほどおもしろい。調子はどうだね?」
「いい」
「それはよかった」
 そのとき、横手からゴルフ支度のジョージが現われる。
「よお! サム・マッコードじやないか、偶然だね。一緒に遊ぼうよ」
「うん、いいよ」
 真紅のサムを真ん中に挟んで、3人は町外れにあるコーンウォース・ゴルフクラブまでの道のりを、他愛ない冗談など飛ばし合いながら、のんびりと散歩を続けるのだった。サムが軽度のアルツハイマーになってから2年、症状は少しずつ進行している気配だが、子供のころから親しんできたゴルフに対する熱意に限って翳りが見られず、週に2度ほど不意にゴルフ支度を始めるのだった。
 そのたび2人の親友が大忙し、雑貨屋のウィリーと自動車修理工のジョージは、やりかけた仕事を投げ出して大急ぎゴルファーに変身すると、いかにも偶然を装ってエスコート役に徹してきた。スコットランドのマザーウェルに生まれた3人は、年齢が近いこともあって少年時代から仲が良く、さらに長じて3家庭の妻君同士もまた姉妹のように仲良しだった。
 グラスゴーの地方局が作成したドキュメンタリー番組「親友(グレート・フレンズ)」では、町の人々が撮影したスナッブ写真の数々も紹介された。カートを引いてコースへ向かう3人の初老の男、サムの赤い帽子を直してやるウィリー、交叉点の車を手で制してサムの安全に配慮するジョージ。
 全長5955ヤード、パー691907年に設立された野趣溢れるコースは、アルツハイマーの患者にとって安全な場所とは言えなかった。いくつかの野ウサギの穴が陥没して出来た深いバンカーと、かつてのクリーク跡がX字形の側溝となって残る2カ所が、とくに危険だった。
 あるいは3人の妻君のうちの誰かがカメラを持って追ったのか、コース内での寸景も紹介されていく。さりげなくティアップに手を貸す2人、うまく飛んだのか、サムの扁を叩いて笑うジョージと、驚いてみせるウィリー。そうかと思うと、親友2人が深いラフの中を這い回っているというのに、ぼんやり高い雲に見とれるサムの童画的シーンも登場する。とくに印象的なのが、壮大な夕焼けを背に、3人が影絵となって家路につくおだやかな光景である。横を通る車の窓から手が振られ、通りの向こうを行く老夫婦も笑顔で手を振っている。いかに人々が彼ら3人の友情を町の誇りとしてきたか、1枚の写真に愛情と善意が濃縮されて感動せずにはいられない。

 やがてある日、コースの理事から素晴らしいニュースがもたらされた。
「クラブ設立75周年コンペの日が、どうやらサムの誕生日に当たるらしい。そこで相談だが、第1組に彼を迎えようではないか。もちろん症状については知ってるよ。スコアなんて二の次だ。当日は2人の名誉会員にサム、もう1人はウィリー、きみに参加してもらいたい。ジョージは第2組に入って、うしろからエスコート役に回ってもらおうか」
「喜んで! いますぐサムの妻君に知らせよう」
 ウィリーは当日、サムの家族と近在のゴルフ仲間にも参加を呼びかけた。また、この日初めてドキュメンタリー番組のカメラもコースに入ったが、遠景とうしろ姿はとらえても、サムの顔にレンズを向けることはしなかった。
 さて、記念すべきコンペの朝は、いかにもスコットランドらしい鉛色の雲がたれ込めて、ひんやりする風がコースをよぎる生憎の天気だった。番ティに現われたサムは、いつも通りの赤帽に赤シャツ、その上から赤いウインドブレーカーをかぶって不安な表情だった。彼はウィリーがティアップしたボールに向かって小さく2度スウイングを試みたが、うまく当たらず、手前の芝が飛び散った。
「いいぞ、サム、申し分ない。今度は俺の番だ。さあティから降りて待っててくれよ」
 残していったボールはウィリーが打って、拍手に送られながら第1組がスタートしていった。サムはときに打つ真似をすることもあったが、はとんどの時間、小さな歩幅でウィリーのあとに従うだけだった。それでもグリーンに到着して、カップから2メートルほどの場所にボールを置いてやると、なんともお見事、それを一発で沈めてみせた。
「凄いじゃないか!」
 ウィリーに抱き締められて、サムは珍しく声を出して笑った。事情に疎い名誉会員の1人が、スコアカード片手に小声で尋ねた。
「そちらの病人さんの場合、スコアはノーカウントだね?」
 次の瞬間、温厚なウィリーが生まれて初めて激怒した。それは誰も見たことのない光景だった。
「な、何を言うか! ここにいる男は病人さんじゃない。人生の大半、町のために尽くした偉大なる公務員、サム・マッコードが彼の名だ。それからサムは、いつだって番ホールがに決まっている。昔から、こいつは番が苦手なんだ。いいか、彼に対する無礼は断じて許さないぞ」
 ウィリーは泣きながら叫んでいた。友情のあまりの深さに誰もが息をのみ、目頭を押さえる者もいた。
 それから半年後、サムはあの世に旅立っていった。番組のナレーションはジョージの次なる言葉で終わっている。
「何を以って成功した人生と言うのだろう。富?名誉? いや、いずれも真の幸福とは無縁のものだ。人生の中で真の友と出会い、日々、心の贅沢に浸ることが出来たならば、富も名誉も色褪せた話の一つに過ぎないと思うよ」。』


 何度読んでも、感動がこみ上げてくるいい話である。自分の周りを見回してみて、こんな友達に恵まれているかと改めて考えてみると、この10分の1ぐらいの野郎が4・5人ほどいるばかりである。ということは、自分もその程度の友達だということか。
 夏坂さんのエッセイをまるまる拝借して誠に申し訳のないことであるが、夏坂ゴルフエッセイ集には、こんな話がゴロゴロしている。ゴルファーとは球を打つのが上手いばかりの者であってはならない。ゴルフルールに堪能だというばかりでなく、幅広いゴルフの知識をもつことは、その人のゴルフ人生を豊かにする。ゴルファー必読の書である。




【7】「ゴルファーを笑え!」  
(新潮文庫 夏坂 健 346P. )(10.19)

 軽妙洒脱な語り口と、豊富な資料を基に奥深いゴルフへの造詣で知られる、夏坂 健さんのゴルフエッセイ集である。自らもハンディ8のシングルプレーヤーであって、ゴルフと聞くとバッグを担いで世界中のどこへでも飛んでいく。スコットランドやアイルランドを車で走り、素晴らしいリンクスコースをプレーしながらその地の大学や博物館・新聞社などに立ち寄り、さまざまなゴルフに関する発掘を行なって、その資料は世界のゴルフ関係者から大きな評価を得ている。この本の一節を紹介しよう。
 『最古のゴルフに関する記録は、1457年、スコットランド議会が出した「ゴルフ禁止令」。しかし、昔、中国ではゴルフのことを「捶丸(ツイワン)」と呼んだが、943年に刊行された南唐の史書の中に、この文字とクラブを持って球を打ち地孔に沈めている絵がある。ゴルフのルーツは中国だったのだ』
 『史上初めてストロークプレーが行われた記録は、1759年のセントアンドリュースでの競技だが、5年後に初めて90台のスコアが出現、それから80台が出るまでに何と91年を要している。その3年後プロによって70台が達成されたが、60台が出るまでには更に48年がかかった。90台から60代に至るまでの道のりに142年というとてつもない歳月が流れているのである。』
 と、ゴルフ史を紐解き、更に彼は、『この世は楽天家と悲観論者に二分されながらここまで来たが、悲観論者たちによって物事が創造・誕生したためしはない。ゴルフの世界でも、功成り名を遂げた者は可能性をあきらめない者と相場は決まっている。ゴルフを進歩させたのは、人間の可能性を信じて挑戦の手をゆるめなかったネアカ人間たちだった。悲観論者とスライス打ちに未来はない』と断じる。
 ゴルフには3つの楽しみがあるという。プレーするゴルフ、観るゴルフ、そして、読むゴルフである。夏坂氏のゴルフエッセイに接して、読むゴルフの楽しさを教えられた。




【6】「中国、この厄介な隣人」その3(文芸春秋) (10.12)

文芸春秋の特集の続き、
「J中国2020年の世界戦略」(ジャーナリスト 古森義久)
 『中国の戦略志向は、「アメリカを核とする現在の世界はアメリカの衰退により多極化へと向かう。政治姿勢・自然資源・経済活動・軍事力などを分析してその国のパワーとする総合国力で、中国は2022年アメリカを抜いて世界第1位となる」という予測を公式に打ち出している。
 中国の国際戦略は、アメリカの衰退にともない世界のさまざまな地域で局地的な戦争や紛争は確実に起きることは確実だが、その時代を制して、中国は世界一の国力を有する国になるであろうし、そうなるために努力しなければならないという目標を掲げている』

「K北京 てなもんや留学」 (作家 谷崎 光)
 中国貿易の商社に就職し、退職後、文筆業に転じて、96年にOL時代の対中国取り引きの日々を描いた「中国てなもんや商社」でデビュした、谷崎 光という女の子が、取材も兼ねて中国へ留学するにあたっての決意表明!
 『▼中国でほしいものを手に入れるには、日本のようにお金さえ出せばよいというわけにはいかず、気力・体力・交渉力・情報力などをフルに稼動し、バトルに勝たねばならない。▼日本企業が中国に進出しても、中国の技術特許を取っていなくて、あっという間に独立され、「日本の人、海外投資に慣れていないネ」と一言で片付けられる。▼北京の冬はマイナス20度で、夏はプラス30度。中国は、そこで5000年も都を定め、ヨーロッパやアフリカまでも地続きで、55の民族を数える多民族国家。滅びてはまた興る王朝、国も政府もあてにならないことをDNAに刻み込んでいる国なのである。▼日本が抜かれるまで5年かなと言ったら、華僑の商社マンは「20年はかかるでしょう。でも、今の日本の若い子、鍛えられていないし、そのときにはもう日本はないネ!」。』

「L知られざる辺境の無法地帯」
 
(在日中国人ジャーナリスト 陳 明信)
 『豊富な砂金が採れる中国北西部のアルタイ山脈。そこは中国の公安局も軍隊も手の届かない無法地帯であって、黄金の夢に取り付かれて中国全土から流れ込んだ無宿者たちが、暴力だけをルールとして群れをつくり生きている。ここに流れ込む人々は、その故郷ではもっと貧しく悲惨な生活を送ってきた人たちなのだ。主に出身地などでグループを作って採金する彼らは、少し弱みを見せたり油断すると、他のグループの襲撃や略奪を受ける。雪解けの季節にはアルタイ川の下流に幾つかの死体が流れつく。建国以来、中央の権力の届かない地域が厳として存在する。それが中国なのだ!』

「M返還から4年、香港は今」 (香港在住ジャーナリスト 佐保 暢子)
 『1997年、返還後の香港を訪れる日本人は、前年比マイナス40%と激減。でも、香港のブランドショップはまだそのままで、エリザベス女王のコインも使えるし、街中に人民解放軍の姿もない。日本人に代わって、今、香港の町を闊歩するのは本土から来る中国人。96年は95年の2倍の377万人(日本人135万人)で、183億香港ドルを使った(日本人65億香港ドル)。今、香港では、日本と同じように産業の空洞化が進み、失業率は6%。職を求めて、中国本土へ向かう人も多い。しかし、中国のビジネスマンから香港人は「北京語は仕方ないとしても、英語がこれだけ下手だとは思わなかったね。使い物にならないよ」といわれる始末。香港の「解放後」は前途多難なようである。』

「N(韓国編)ひと夏の教科書カラ騒ぎ」 (韓国全南大学校講師 水野 俊平)
 『日本の教科書問題は、韓国政府が大騒ぎした割には、人々は冷静であった。韓国の人々に対する「教科書問題について」のアンケートでは、強硬に…53%、柔軟に…47%と硬軟相半ばし、「韓国政府の対応をどう思うか」には、適切…4.9%、ある程度適切…16.1%、適切さを欠いていた…35.4%、まったく適切さを欠いていた…37.7%と、大部分が政府の対応に不満を漏らしている。それよりも人々にとって大きな問題は、日本人観光客が激減したことである。また、韓国学界では、「日本が韓国を虐げたとする自虐史観を引きずるべきでない」とか、「問題解決を自らの祖先や歴史に求めようとする日本と、他国の例に求めようとする韓国との違いは残念」などの自己批判があり、日本の検定制度に比べて、国家が直接に編纂を主導する韓国の制度は非民主的であるという主張もあった。』

…、以上、文芸春秋10月号特集「中国、この厄介な隣人」全編の報告を終わる。


【5】「 弟 子 」
 (中島 敦全集3 ちくま文庫)  (10.7)

乱暴ものの「子路」は、似非(えせ)賢者の孔子をやり込めてくれようとその家に押しかけ、諭されて門人となり、以来、幼児が母親を慕うがごとく無垢の敬愛を以って孔子に仕えた。
 『弟子の中で子路ほど孔子に叱られた者はない。子路ほど孔子に反問する者もない。また子路ほど全身的に孔子に寄り掛かっている者もないのである。どしどし問い返すのは、心から納得できないものを表面(うわべ)だけ諾うことのことの出来ぬ性分だからだ』というように、子路は一本気で純真である。
 孔子の弟子となって30年、子路50歳にして師の指示により「衛」の国に仕えた。衛に生じた内乱に巻き込まれて、子路は死ぬ。
 『子路の屍がししびしお(塩漬け、ここでは塩漬けの刑)にされたと聞くや、(孔子は)家中の塩漬け類を悉く捨てさせ、爾後、ししびしおは一切食膳には上さなかったということである』と結ぶ。

 以前に「論語 子路」を読んでいたとき、『中国古典に生きる人々を描いて、中島 敦の右に出るものはいない』と記した文に出会った。以来、気になっていて、ちょうど本屋をのぞいたところ「中島 敦全集」があって、その中に子路を描いた「弟子」が収録されていたので買い求めてきた。
 中島 敦の家系は漢学者の系列であって、凛とした漢語の文章に格調があるのはそこに由来するのだろう。1941年「風と光と夢」が芥川賞候補に推され、翌42年、南洋庁を辞して作家生活に入ろうとしたところ、喘息で入院、12月4日永眠。享年34才の惜しまれる早世であった。



【4】「日本とは何か」(堺屋太一 講談社文庫 331P. \570 (10.5)

 明治から太平洋戦争までは軍事的成功を収めたと思い、今は経済的成功を遂げたと認識している日本、しかし、外国人から見ればやはり不可解な日本と日本人。国際協調を進めるために、日本はどう変わるべきか。その観点から歴史をさかのぼって日本の由来と現実を見つめ、日本の姿を描こうと試みる1冊である。1991年に上梓されたものだが、今日の日本の現状を、言いえて妙である。
 「ヨーロッバ・キリスト教文化圏」「中東イスラム文化圏」「インド・ヒンズー文化圏」「東亜中華文化圏」のいずれとも異なり、「第五の文化圏」と定義される日本はどう生きるべきか。少し長いが、あとがきの一節を要約して、一応の結論とする。
 『日本を世界に紹介する場合、「美しい自然と幽玄の文化日本」そして「技術と勤勉さの豊かな日本」であろう。これら、現実の日本政府の政策や日本企業の活動や日本人観光客の言動とはかけ離れた「美し過ざる日本」の紹介に、外国人は疑いと不信の目を向けている。あたかもかつての社会主義国が、「人民の幸福」を訴えれば訴えるほど、秘められた統制を感じるのと同じである。
 日本が「特殊」であることは、恥でも罪でもない。われわれは日本の特殊性を主張するのをためらう必要はない。……。今日の日本は、経済そのものにおいても、全体として見れば世界に威張れるほどの効率と豊かさには達していない。歴史の長い目で見れば、現在の日本の繁栄も、積み重ねられた日本文化の一瞬の淡い輝き程度であろう。
 われわれは、それをもたらした日本の由来を見きわめながら、この囲の未来を考える必要がある。小成に狂喜して傲慢になるほど危険なことはないからである。』


【3】「中国、この厄介な隣人」その2
 (文芸春秋)      (9.30)

 文芸春秋の特集の続き、
 「F中国が嫌われる七つの理由」(拓大客員教授 黄 文雄)では、『世界一のジコチュウ国家で、人民は人間不信。友好を口に過大な要求を次々と突きつけてくるこの国との付き合いに、日本は疲れ果ててクタクタだ』と、一党独裁で14億の民を治める覇権国家を隣に持つことの困難さを説く。

 「G上海ベイビーは、北野武に夢中」(作家 衛 慧)は、『子どものころ、中国侵略をした日本は恐ろしい国だと教えられ、中国人の誰もがそう思っていた。今の上海の若者は、政府の規制の多い中国映画より、木村拓哉・松たか子の「ラブ ジェネレーション』や鈴木保奈美の「東京ラブストーリー」などにわくわく…。日本の首相が靖国神社へ参拝したことも知っているけれども、北野監督のDVDも資生堂の化粧品も買う』と語る。

 「Hひとりっ子軍隊は日本の脅威か」(杏林大教授 平松茂雄)は、『特に都会で一人っ子が増えた中国では、軍隊に行きたくないという子どもや家庭が増えている。農村出身兵士は教育水準が低く、ハイテク兵器の使用が難しい。今、中国は、国防意識の強化・教育水準の向上・女性兵士の登用・兵役制度の改革・兵器装備の近代化によって、軍事力の整備を図ろうとしている。近代装備した中国軍が台湾併合に動いたとき、日本に有事への覚悟はあるか』。

 「I電子レンジが三千円で売られている」(経済ジャーナリスト 山下知志)は、『日本の30分の1、月給7500円の女子労働者は質も勤労意欲も高い。品質管理に自分たちで学習会を開いて取り組み、残業があると知ると拍手が沸く。今、中国製品は安くて製品は良い。生み出される製品の現地船積み価格は、婦人ショーツ綿27円、紳士トランクス63円、包丁110円、タオル26円、冷蔵庫(50g)5830円、デジタルカメラ3080円など、驚異的な安さである。2000年度の日本の輸入の伸び率は、対前年度比、食料品9%、繊維21%、金属26%、電子製品に至っては36%となっていて、日本の産業はとてもかなわない。日本企業は今後、設備とノウハウの必要な基幹部品製造に生き残りを図るしかない』。日本はたいへんである。


【2】「花のあと」 (藤沢周平 文春文庫 268p. \448)      (9.29)

 全9編からなる時代物短編集である。藤沢周平のものは今までほとんど読んでいない。以前に池波正太郎を読んだときハマッてしまって、「剣客商売」のシリーズを初めとして新潮文庫の氏の作品にとりついて、半年間ほど他のものを読めなかったことがある。藤沢周平にハマってしまうのを恐れていたわけである。
 「花のあと」には、弱い存在だけれどもしたたかに可愛く生きる江戸の女の姿が描かれている。全編に、市井の人のあたたかさとたくましさと、ほのかに漂うペーソスがある。そして、
 『水面にかぶさるようにのびているたっぷりとした花に、傾いた日射しがさしかけている。その花を、水面にくだける反射光が裏側からも照らしているので、花は光の渦にもまれるように、まぶしく照りかがやいていた。』
 といった描写の巧みさを見せられると、藤沢文学にハマり込まないように…というのが無理というものだろう。


【1】「中国、この厄介な隣人」 (文芸春秋)        (9.26)

 15編100ページの特集である。「この厄介な」とあるように、中国の手強さ、マイナス面を並べている。
 「@おごれる『中華帝国』久しからず」(京大教授 中西輝政)は、『小泉首相の靖国参拝を「ヤメナサイ」と強圧的に内政干渉してくる中国は、やはり「中華思想」の国で、この国と付き合うには対等外交を貫かねばならない。内部にさまざまな内部矛盾を抱える中国に、政治的にも経済的にも寄りかかるのは危険』と述べる。

 「A進出日本企業はまた泣かされる」は深田祐介(作家)と草野 厚(慶大教授)との対談方式で、親中の草野が『市場規模は米国の3倍』と言えば、反対派の深田は『貧困層が8億人もいる中国市場に期待するのは間違い』と言い、『日本からのODA3兆2千億円で中国はインフラ整備し、WTOへの参加を果たそうとしている』と言う草野に対して、深田は『軍事費に1兆5千億円を注ぎ込む国に、3兆円の援助をするのは馬鹿。援助金でつくった北京空港を転売してボロ儲けしている中国政府に感謝の気持ちはない』。

 「B中国エリート青年の毛沢東離れ」(東大名誉教授平川祐弘)は、『建国後、毛沢東と共産党によって殺されたものは2千6百万人に上る。一党独裁の中国にあって、学生達は体制に批判的で民主化自由化への萌芽を見せる』という。

 「C在日中国人凶悪犯罪白書」は、平成10年には132件(うち日本人被害83件)だった日本での中国人凶悪犯罪が、平成12年には195件(同155件)となったことを報じ、犯人の「日本での犯罪はやりやすい」と言い放つ不敵な言葉を伝える。

 「D法輪功弾圧 江沢民の異様」(毎日新聞前北京支社長)は、『天安門事件に懲りた江沢民は、瞬く間に会員を増やした法綸功を危険視して弾圧を加えている…という報告から、中国社会の人権無視・汚職・賄賂の横行する前時代的な腐敗ぶり』を暴いている。

 「E騙し騙され大陸骨董紀行」は、鹿島 茂(仏文学者)と福田和也(慶大助教授)との対談で、『中国での骨董買いは、偽物との戦い。そこで本物を掴むかどうかというのが楽しみ…、ほとんど騙されるけど』から始まって、『中国人に衛生観念はなく、特にトイレはすごい。扉もないところに穴があいていてテンコ盛り、子どもなんか便器の上で勉強している。女のほうはウンコしながら世間話をしているらしい』と、もうボロクソ! 
 


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                 本の「」というのはおこがましい。世の読書人ほどのしっか
                りとした読み方をしていないからである。「蒸し」ほど熱くなっ
                てはいないけれど、「無視」よりは少しましかと思っている。本
                は好きだから、特に買うのが…。
 これから読む本の内容とか読後感などを記していこうと思いこのコーナーを設けた。この際だから、内容について云々できる読み方をしたいと思う。
 とはいうものの、無目的で統一性も意味も責任もない読後報告である。主体性も中味もないということで、「無私」が最も適当な表現ということになれば、お許し願いたい。
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