【48】「祇園の教訓」 (岩崎峰子 著、幻冬舎)        (9.10)


 表紙につられて買ってしまった。日本髪に黒紋付きの芸妓姿で、凛として座っている写真にである。内容は、5歳から祇園で生きた筆者が、舞妓・芸妓の目を通して見た、花柳界の様子や人の生き方を綴っている。


 目を引いた内容を2つ。ひとつは、「一流の人は子どもの教育に熱心だ」という話。子どもたちが何をするかは別問題なのだろうが、それらの人たちが一生懸命に子どもに説いて語る姿が忘れられないという。
 東方大遠征のアレキサンダー大王の父フィリップ2世は、紀元前700年に興ったギリシャの小国マケドニア王国を、ギリシャ全体を統一する大国に築き上げたが、息子アレキサンダーの家庭教師としてアリストテレスをあて、世の中の森羅万象を学ばせたという話を思い出した。

 もうひとつは、「稽古とは、自分の個性を消してしまって、師匠の真似をすることから始まる」という。師匠がカラスは白いと言えば心底からそう思って励んでこそ身につくもので、どこかで本当は黒いと思う自分が居る間は稽古に身が入らないというのである。
 さらに、そうして身につけた一芸は、同じ師匠を真似たとしても、それぞれの弟子はふたりとして同じかたちの舞を舞うものはいない。それが個性だ…と。現代の個性化教育に警鐘を鳴らす話ではないか。


 筆者は29才で芸妓をやめて結婚・出産、現在は祇園甲部でお店を出しながら、日本文化としての花柳界の姿を世界に紹介するために、世界各国を回って歩いてもいるという。


 ただ、芸妓は人生を縦に生きると言われるように(平岩弓枝の表現)、各界のトップレベルの人たちと交わり、特に祇園甲部という日本を代表する花街に生きた彼女の人生は余人にうかがわれない体験の連続であったと思われるが、その経験を除けば、彼女の人間観や人生観は薄っぺらい。並べられている事柄はみんな、世間話程度の出来事の羅列にしか過ぎない。それが祇園甲部に起こったということだけが、本になった理由でしかない。
 近々、また何かの続編を出すような企画があるようだが、もはや読むほどの意味があるとは思えない。


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