【124】 紅葉の中のゴルフ                  2013.12.01

 11月の末、29日と30日に「三重フェニックスGC」でプレーする機会があり、嬉野CCの5番ホール沿いにある古田池沿いの細道を抜けていった。
 古田池は、江戸時代の慶安元年(1648年)に津藩・紀州藩の監督の下に築造された、地域の農業用水を供給するため池で、当時の灌漑面積は546町歩(ha)であったとか。

   秋色に染まる古田池。右側にの嬉野CC
  5番ホールのフェアウエイが見える。 →


 昔の嬉野CCの5番ホールはもっとフェアウエイが狭く池が入り込んできていて、スライスボールはみんな池に吸い込まれていった。今は、池が埋め立てられて、フェアウエイは倍ぐらいに広がった。


 28日は雲の多い天候、日差しの届かないフェアウエイを冷たい風が吹き抜け、寒い一日だった。同じ組だった浜さんのキルティング入りのズボンがうらやましかった。
 ゴルフ終了後、ゴルフ5に走っていって、防寒ウエアの上下を買ってきた。それほど寒かったというわけである。
 でも今日は前半9ホールのシングルペリアでハンディを出し、優勝すると松阪肉1kgがもらえるコンペ、寒いなどとは言っておれず、前半9ホールを欲と二人連れで回る(笑)。

← あたりの山は赤や黄色の装い
 
 

  フェアウエイの向こうは一面の秋 →

 松阪肉を目指したアウトは7番まで1ダボ6パーの2オーバーで堪えたものの、8番ダボ、9番ボギーと来たのは、最近の実力通り。上がりの2ホールで3オーバーでは、好スコアは望めない。
 それでも寒さの中で奮闘し、20位に入って果物の詰め合わせをゲットしたのは、執念というべきか(笑)。



 30日(日)は快晴微風のゴルフ日和…、新しいアイアンの調教のためのラウンドである。10時54分のスタートだったから、もう陽射しは燦々と降り注いでいて、28日の寒さに懲りてキルティングの上下を着込み、カイロを背中に貼りまくっていった僕は、スタート前にベストを脱いだ。


← 紅葉に向かってのティショットです。↓






  
 
先日買った新しいアイアンは、飛距離のばらつきが気になる。僕のインパクトがショットごとに微妙に違っているのが原因なのだろう。そのインパクトのずれは、グリップがずれているのだ。
 僕のグリップはずっと以前から、左は深く、右はテニスをしていた関係からか握力もずいぶん強いのでかなりウイークに握っていた。アドレスから、かなりフェースを締めてインパクトの形を作って構えていた。バックスゥイングはフェースにボールを見せながら上げろと何かに書いてあったのを守って、シャットフェースに上げ、手とシャフトの角度を保ったまま上げよともあったので、トップではシャフトがスイングプレーンよりもかなり前に出てしまっている。そこからインパクトへ下ろしてくるので、ヘッドが遠回りして、スクエアに構えるとフェイスが戻りきらないのだ。
 ゴルフを始めたのは昭和45年、当時はゴルフ教室なんか無くて、みんな本を見ながら見よう見まねで覚えたのである。参考にしたのは、ベン・ホーガン「モダン・ゴルフ」、陳清波「近代ゴルフ」、柴田敏郎「80を切るゴルフ」の3冊。その後に目にした雑誌のレッスン記事などは百害あって一利なしで、読むほどに迷うばかりであった。後年になってアプローチの重要性に気づき、宮本留吉「100ヤード以内のゴルフ」を買ってきたが、悪い癖はもう直らず、僕のアプローチ下手は「グリーンを外したらボギー」と定評のあるところとなってしまった。
 陳清波を読んでいるのに、なぜ変則グリップなのかというと、陳さんのスクエアグリップは上に述べたように僕のスイングではフェースがインパクトで戻らないからである。
 詳しいスイング理論(?)はこれぐらいにするが(笑)、よく他人に「そんなにかぶせて構えるのか」と言われるので、近頃はスクエアに構えるようになってきている。それで、インパクトが甘くなっているのだ。
 アマチュアは、「偉大なる我流」こそが我が道である。近代スイングも美しいスイングも無縁…、ゴルフは狙ったところへボールを飛ばせば良いゲーム…。それで、グリップとフェースの向きを確認するためのラウンドに来たという次第である。

       秋色の中、OB杭の白さがまぶしい →

 深い左手、かぶせたフェース …、ちょっと力強い球が打てるようになったと思う。あとは、ラウンドを重ねることだ。

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