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2003年
コース ティ OUT IN グロス 平均 パット そ  の  他
5 4/26 鈴鹿CC東 50 48 98 88 41 事故の後遺症
6 5/11 伊勢高原 50 44 94 89 36 雨、冷えると指痛い
12 9/30 stレイクス 44 44 88 89 41 啓チンに3打負け
13 10/10 伊勢高原 42 45 87 88 43 啓チン88返り討ち
14 10/18 鈴鹿CC西 42 43 85 88 36 啓チン91突き放し
15 10/23 鈴鹿CC西 41 43 84 88 37 武藤さんと初戦
16 10/31 津 C C 40 45 85 87 38 武藤さん再戦
17 11/12 鈴鹿CC西 39 40 79 87 31 コーライに慣れた
18 11/14 ザ・フォール 44 42 86 87 断崖絶壁コース
19 11/16 リオ・セコ 49 45 94 88 岩山と豪邸
20 11/20 鈴鹿CC西 41 44 85 86 37 啓チン82に今年2敗
21 11/27 津 C C 47 44 91 87 39 OB2発、迷走
22 12/5 三重白山 38 40 78 86 33 タイミングが良く
23 12/11 ローモンド 46 41 87 86 36 7115Y 長〜い
24 12/19 津 C C 42 42 84 86 35 アイアン悪い
25 12/23 鈴鹿CC西 40 45 85 86 34 武藤さんに逆転負け
26 12/30 三重中央 44 38 82 86 35 今年の最終戦


◆ 今年の最終戦    三重中央CC  直親・ジョージ & 武藤年隆  (12/30)

 27日に、直親・ジョージと「樹王GC」へ出かける予定であった。直親にも今年2敗していて、「勝った勝った。ハンディは要らん」とうるさいから、ここらで完膚なきまでにやっつけて、ゴルフの話をしないようにしておかねばと思ったのである。
 ところが、27日朝、練習場で肩慣らしをしていたらジョージが来て「雪で樹王GCはクローズ」だと言う。直親に電話すると近くを走っていて、ほどなく練習場へ顔を見せた。
 鈴鹿CC、津CCにも問い合わせてみたところ、いずれも雪でスタートを見合わせているという。「じゃぁ、30日にしよう」ということにして、この日は解散した。29日に武藤さんから電話があり、「30日にどう?」というので「一緒に…」と誘って、この日の対戦となったわけである。
 風もなく暖かい日であった。アウトはボギーばかりで、6オーバーできた9番の残り100ヤードをピッチングで池に入れてダブルボギー、44。ジョージ42。直親は43で「エンジンかからんやないか」と余裕を見せられた。武藤さん、メンバーのアホらしさに調子を乱して46。
 大入り満員の三重中央はハーフの待ち時間が1時間20分あって、後半のスタートは2時45分。10番、直親のティショットは左に曲がってOBくさかったのだが、行ってみると10p中にいてセーフ。「さすがに、塀の上を歩いてばかり歩いているけれど、中へは落ちやんなぁ」と言った僕のジョークが効いたのか、直親はこのあと大乱調。ジョージは右へ見事なOB。こいつも片付いたと思ったら、プレーイング4から寄せて1パットのボギー。生き残った。
 インは、僕が38のトータル82。13番のトリで気落ちした直親くん、メロメロになってしまって予想外の50。トータル93で、「来年は、ハンディ貰ってやる」と負け惜しみ! 一丁上がり。
 武藤さんは43のトータル89は、予想外の乱調。今年の対戦成績は4勝4敗だ。
 ジョージは16番のバーディで生き返り、40のトータル82でタイ。今年は1勝2敗1引き分けと負け越していて、来年に課題が残った。
 春には、晃ちゃんも復活することだろう。来年の僕の目標は、とりあえず「ハーフを40にとどめること」。


◆ 啓チンに今年2敗    鈴鹿CC西コース 41・44=85     (11/20)

 啓チンが82で回ってきて、今年、2負目を喫した。一昨日にラスベガスから帰って来たばかりのところ、昨夜の電話で誘われて、今日、図らずも惨敗を喫した。
 9月30日に今年の1敗目を喫したのは、7月に引いた夏風邪が治らずに肺炎を併発し、2ヶ月ぶりにクラブを握ったときの出来事であった。
 何か原因(病後で2ヶ月ぶりのゴルフ、時差ぼけ)がなくては、啓チンにやられるわけがない。先に啓チンに負けたのは、1955年のこと。実に8年ぶりの敗戦であった。
 何十回かのうちの通算3敗だが、啓チンにとっては1勝1勝が名誉なことであって、「勝った、勝った。今年は2勝した!」とうるさい。啓チンは、分が悪いから絶対にニギろうとは言わない。だから、僕は勝ったところで何の得るところもないのだから、目指すものがないといったら、次回からは「コーヒーをニギろう」と言ってきた。どこまでも可愛い啓チンである。



● 恐るべし、アニカ・ソレンスタム  −ミズノ・ワールドレディスオープン−   (11.9)
 滋賀・瀬田ゴルフコース北コース(6,450ヤード、パー72)で最終ラウンドが行われた全米女子プロゴルフ協会公式戦「ミズノクラシック」で、初日から首位に立ったA.ソレンスタムは驚異的な強さを見せつけ、これまでの54ホール最小スコア(日本ツアーでは服部道子の197、米ツアーでは195)をあっさり更新。通産192ストローク(24アンダー)で、この大会初の3連覇を飾った。A.ソレンスタムは、この優勝により3年連続米女子ツアー賞金女王も決めた。
 3日間ノーボギーで、バーディを重ねていくソレンスタムのプレー振りは全く危なげがなく、ゴルフはこんなにも簡単なものかと思わされた。外の選手が、「パットが詠みづらい」などとボヤクのが哀れなように、快進撃を続けていた。
 ソレンスタムは、下の項でも紹介したが、今年、樋口久子とともに世界ゴルフ殿堂入りした。彼女の場合、40歳という年齢に満るまであと7年ほど待たねばならないが、すでに殿堂入りの資格を満たして、先日セレモニーが行われた。全米女子1という飛距離もさることながら、楽しそうにプレーする彼女の精神的な明るさがまぶしい。
 先週、長島ジャパンがアテネオリンピックの出場権を賭けてアジア予選を戦ったが、緊張感がピリピリと伝わってくる戦いであった。余程の実力がないと難しいのかもしれないし、「楽しみます」といって惨敗では話にならないが、野球・ゴルフだけでなくさまざまの分野で活躍する日本の選手達も、アニカのように「明るさを強さにする心の持ち方」を学んでほしいものである。



● 樋口久子 世界ゴルフの殿堂入り                  (10.20)


 今月1日、樋口久子の世界ゴルフ殿堂入りが決定され、今日20日、その式典がアメリカ・フロリダで行われた。松井のワールドシリーズの流れを変える3ラン、丸山のアメリカ・ツアー3勝目と、世界を舞台に活躍する日本人選手のエキサイティングな快挙が伝えられるが、樋口久子の世界ゴルフ殿堂入りの報には、静謐な…心からの祝福を贈りたい。
 殿堂入りの条件は、40歳以上で通算10勝以上している選手。米ツアーをはじめインターナショナル部門、LPGA部門など5つの部門から、選考委員の投票によって選出され、選考委員全体の65%以上の票を得ると殿堂入りとなる。これまでに98人が選ばれているが、米女子プロゴルフ協会(LPGA)は樋口の選考理由について、「たぐいまれなプロゴルファーとしての業績のみならず、日本ゴルフ界の発展に多大な貢献があった点が評価された」としている。2000年に新設された「生涯業績の部」から選出され、投票により殿堂入りが決まった。アジアから、初の殿堂入りである。
 樋口久子は、1945年生まれの57歳。中村寅吉プロに師事。67年に日本女子プロゴルフ協会が設立され、1期生としてプロテスト合格ののち、68年から9年連続賞金女王。77年には全米女子プロ選手権優勝して、日本人として唯一人、アメリカのメジャーに勝利している。96年12月から日本女子プロゴルフ協会会長に就任して、女子プロツアーの発展に力を注いでいる。


 全盛期の樋口は、とにかく強かった。試合数も、今のように多くなかった時代に、通算72勝(うち国内69勝、海外3勝)を記録。プレーする彼女の姿は、大和なでしこへの褒め言葉にはならないのかもしれないが、求道者を思わせる真剣な雰囲気を漂わせていた。
 30年ほど前、名四CC(四日市)で行われた女子プロの試合を見に行った時の、印象深い思い出がある。当時も僕は暇だったのだろう、練習日から出かけて、彼女たちの練習ラウンドを見物して回っていた。
 樋口は、キャディを連れて、ひとりで練習ラウンドをこなしていた。雨がパラパラと落ちてきても、ペースを変えることなくホールを消化していった。途中、キャディバッグから、新しい手袋を取り出して履き替えた。手袋は1足ずつをビニール袋に包み、それを10足ほどまとめてさらにビニールの袋に入れていた。それを傘の下で濡れないように出して1足を左手にはめ、残りをくるんでまた丁寧にしまいこんでいた。それ以来30年間、僕は手袋を2重のビニール袋に入れてキャディバッグに入れている。
 大迫たつ子や岡本綾子の一団の練習ラウンドは、茶店でビールを空け、タバコをくゆらしての賑やかなものだった。プロゴルファーという職業の一面を垣間見たような気がした。さすがに女子プロだから、フェアウエイをくわえタバコで歩くことはしないが…。試合に強いことがプロの条件で、行儀がよい必要はないのかもしれないが、このときの印象で大迫や岡本はちょっと苦手である。
 樋口は、そんな一団と離れて、一線を画しているような雰囲気であった。森口裕子や増田節子たちも、ラウンドの途中でビールを口にするようなことはなかった。
 試合は岡本綾子が優勝したと記憶している。岡本は森口裕子と二人で回っていて、森口を突き放した終盤に、「もう優勝はあきらめて、団体戦に専念したら」と言っていたのを覚えているから、あの試合は今はない「東西対抗」だったと思う。
 誰もが、「打倒、樋口」を合言葉に練習に励んで、女子プロのレベルはアップしてきた。レベルアッブのためには、核となる存在が必要なのだ。選手としてその役割を果たした樋口は、現役時代にあまりに強すぎたゆえに、協会役員となって苦労したときもあったようである。
 しかし、時代は樋口の真摯なゴルフに対する気持ちと、誰もが認めざるを得ないその実績ゆえの説得力を必要としている。彼女のゴルフに対する姿勢を見ているだけで、後に続くものは道を誤まることはない。
 男子プロの中にも、勝数は彼女を上回る選手が複数いる。その中で、日本人初の彼女のゴルフ殿堂入りは、ゴルフとともに生きるその生き方が評価されたもので、さすがに世界の選考委員は見るべきところを見ている。


◆ 侮れず 武藤年隆   津CC アウトをを36 最終18番でOB   (10/30)

 晃ちゃんが入院して、ちょっと淋しい周囲の状況だが、武藤年隆さんという強力なライバルが登場した。夏に、あるゴルフで同じパーティだったのだが、淡々としたプレー振りが魅力的であった。それでいて豪打、正確なアイアン、安定したパット。静かな物言いと、温和な容貌…、新聞販売の仕事をする彼は、「ゴルフ、ほとんどの日はOKです」と理想的なことを言う。
 最初同じパーティで回った伊勢高原は、38・43ぐらいの80少々だったと思う(スコアカードが残っていない)。その後しばらく出会う機会がなくて、2ヶ月ほどしたある日に練習場で顔を合わせ、「明日、いかがですか」と言うと「OKです」。
 こうして実現した緒戦は名刺代わりと思ったのか42・45を叩いて、41・43の僕が辛勝。しかしその1週間後の津CCで、彼は本領を発揮して、アウトを36。インは2オーバーできた最終18番、バンカーへ入れた第2打をバッフィで打って右へOB。40にしてトータル76。85の僕は完敗。
 その後は1週間から10日ほどの間隔で、鈴鹿・津CC・三重白山・ローモンド・鈴鹿・三重中央などを転戦し、今年の対戦成績は4勝4敗。来年の目標ができた。



● ミスショット&4パット ドタバタ凡戦 日本女子オープン     (10.5)


 10月5日、千葉県千葉CC野田Cを舞台に、今年の日本女子オープン・ファイナルラウンドが行われた。今年の女子ゴルフ日本一を決めるラウンドである。
 15番、トーナメントリーダーの服部道子がダブルボギーをたたいて2位との差が1打に縮まり、勝負の行方は俄然わからなくなった。ここから、服部は16番ボギー・17番ボギーとスコアを下げ、この時点で18番をバーディで上がったチ・イヒに1打差の2位となった。18番、服部はさすがのバーディをもぎ取りプレーオフとなる。
 その最初のホール、18番は両者パー。2ホール目の16番で決着がつくのだが、このホール、セカンドを先に打ったイ・チヒがグリーンのやや奥に乗せたのに対して、服部は第2打をグリーン左の深いラフに外し、そのアプローチを7〜8mオーバーさせた。
 先に打ったイ・チヒのパットは70pほどショートし、なお下りの微妙なパットを残した。服部のファーストパットはカップをかすめて40pほどオーバー、マークしてイ・チヒのパットを待つ。入れば優勝のイ・チヒのパットは、下りをやや強めに打ったため、カップに蹴られた時に加速して、2mほども転がってしまった。この返しが入らず、4パット。ボギーの服部に優勝が転がり込んだものである。


 優勝した服部の15番からプレーオフ2ホールまでのスコアは、ダボ・ボギー・ボギー・バーディ・パー・ボギー(計+4)である。いくらコースの設定が難しいとか、優勝のプレッシャーがあるとはいえ、お粗末なスコアであり、このスコアで優勝できるというところが、今の日本ツアーの魅力のなさである。
 先週、30年ぶりのアマチュアによるツアー優勝があった。東北高校3年生、宮里 藍ちゃんの快挙であるが、快挙と見るか一大事と見るかは、立場の分かれるところであろう。少なくとも、アマチュアに優勝をさらわれたJLPGA(日本女子プロ協会)の関係者にとっては、足元を揺るがす大事件であり、プロの技量をより高めることを図らねばなるまい。
 藍ちゃんは、もうじきプロになるのだから、協会員の一員となり、それでいいとでも思っているのだったら、日本のゴルフは魅力のないものになってしまう。男子プロについてもいえることだが、世界のレベルに比べれば2歩も3歩も劣っている現在の日本の技量を、本腰を入れて向上させることに取り組むべきであろう。ゴルフの周辺環境を整えて青少年ゴルファーを育てることも含めて、抜本的な取り組みが望まれる。



● 津カントリークラブ トライアスロン                8.1)


 津CCで5日間、一人でゴルフをしてみた。最近、一人でコースに出る機会がなかったので、とてもよい練習になった。人とラウンドしていると、思い切ったスイングをしなくて、ついついスコアを作りにいってしまう。その結果、中途半端な振りが身について、フォームを壊していた。
 ひとりで、課題を持ってじっくりと回ってみた。ティショットのボールの位置や高さをチェックし、力を入れて打ったときに左へ引っ掛けないスイングを確かめてみた。フェアウエイからは、ミドルアイアンで高い球を打つように心がけたが、球筋がばらつき、まだ課題が残る。アプローチ、パットは、もちろん入念に繰り返してみた。
 かなり強い球が打てるようになったと思う、指が痛いのは相変わらずだけれども。中途半端になっていたスイングが、思い切って打っても…思い切って打つほど…曲がらないことを確かめられた。指の痛みでまだフルスゥイングができず、自信に繋がらないのでスコアにばらつきはあるけれども、かなり思い切りのよいゴルフができるようになったと思う。近日また一人でのラウンドをして、自信の球筋を取り戻したい。


 津CCは、何かコースがとてもタフな感じがするのは、自分の飛距離が落ちているせいか、それとも日ごろヤーテージの甘いコースばかりを回っているせいか。距離の表示が、フロントエッジまでだから、各ホールのピンポイントによってその距離を足すのだが、さらに1クラブから2クラブ大き目のクラブで打たないと届かない。
 グリーンを狙うアイアンの距離は、キャリーの飛距離でなくてはならない。砲台グリーンやバンカーに囲まれたグリーン、また池越えのグリーンなどを狙っていくショットは、その距離をキャリーで出していかなくては届かない。5番アイアンが、キャリー150ヤード・ラン20ヤードで、合計170ヤードの飛距離というのは通用しない。それでは150ヤードが届くだけで、しかも20ヤードも転がるアイアンではピンは狙えない。ショートアイアンは1グリップ、ミドルアイアンは1クラブ、ロングアイアンは1ピンで止まらなければ、適正なスピンがかかっているといえないのだ。
 1番、フェアウエイ右サイドに放った僕のドライバーショットは、行ってみるとデボットに入っていた。状態が悪いと、つい6インチというジャパニーズ・ルールの誘惑に駆られるのは、まだまだ修行が足らない証拠だろう。Play the ball as it lays.(あるがままに打て)は、ゴルフの鉄則である。動かすときはアンプレアブルを宣言し、1打のペナルティを払ってドロップしなければならない。
 優勝争いをしながら、ラフに咲く1輪の野草を避けてアンプレアブルを宣し、2位に甘んじたイギリスのプロ、ハリー・ブラッドショー。その行為は、デボットを避けてというような次元の低いものとは質が違うけれど、さてさて、いつになったら彼のようなゴルファーになれるのだろう。「ゴルフには勝つ事よりも大事な事がある時もある。小さな命を大事にする事もその一つです」と。



● 交通事故の後遺症「突き指」顛末記                (5.11)


 12月にセンターラインを越えてぶつかってきた車との事故で、両手の親指と右手の薬指を痛めてしまった。鎮痛消炎剤を塗り込んだりして養生に努めているのだが、なかなか完治しない。特にゴルフの場合、インパクトの瞬間に大きな力が加わるから、痛いところに響く。これからは暖かくなるので、少しずつ回復に向かうだろうと一縷の望みを託している。


 事故の後始末には手を焼いた。昨年12月、居眠り運転でセンターラインを越えてぶつかってきたのだから、相手方も保険会社も相手方に100%の過失があることは認めている。相手も故意に起こしたわけではないので、こちらは過失を責めるつもりはないのだが、12月から4月まで4ヶ月余の間に20数回病院へ通い、痛む首と指を抱えて仕事に差し障りの出た分などについては、補償の対象として査定してくれたものの、事故による車の修理も完全に行われず、保険会社は事故暦を持つ車としての下取り下落分(保険用語で格落ち損というらしい)を全く認めないという。
 何よりもゴルフができない状態に対する保障を第一にするべきだと思う…というのは冗談としても、車が元に戻らないのではン十万を受け取っても、何ンにもならない。また、下取り下落分を認めないというのは、保険会社の一方的な言い方であって、事故車として下取り価格が下落するのは事実なのだから、その損失分を補填するのが保険の役割だろう。それを保険は認めないというのなら、生ずる損失は、被害者が負担せよというのだろうか。
 現に裁判での判決例では、訴訟の67.6%に補填を認める判決を出している。保険会社の担当員は「私が扱った物件で、格落ち損(下取り下落分)を認めた事例は一件もありません」と言うが、それは全例が保険会社の一方的な論理に押し切られて、しかも訴訟もしなかったからだろう。訴訟を起こせば、そのうちの2/3は認められたはずである。
 最後には、「何と言われましても、格落ち損(下取り下落分)を認めるわけにはいきません」という話になってしまった。この点の決着をつけるためには、訴訟しかないか!


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