【21】美しい日本語を話す、アフガニスタンの少女  2007.05.12 


 中京テレビのリアルニュース特集で、顔をスカーフで包んだ一人の少女が紹介されていた。彼女の名前は、マリヤム・シャラボディンさん。アフガニスタンの孤児院で暮らす、16歳の少女である。
 孤児院を支えるNPO団体「セーブアフガンチルドレンの会」代表サーベ・ファタナさんが、自分の後継者を育てるために、彼女を日本で勉強させようと呼び寄せたのである。
 日本で彼女の世話をするのは、彼女が通う愛知県の高校の近くに住む汐満房江さん(65歳)。二人の息子さんを事故や病気で相次いで亡くした房江さんにとっても、新しい家族が出来ることになる出会いであった。


 25年間も戦闘が続いたアフガニスタンには親を亡くした子供たちがたくさん居て、その子供たちを世話する孤児院を整備することに、国際社会は力を注いでいる。
 マリヤムさんが暮らす孤児院は05年完成した孤児のための支援施設…、子供たちは日本からの寄付金で生活している。マリヤムさんはそこの最年長、日本へ来て勉強することも、孤児院の子供たちの将来を助けるためという、責任を自覚している。


 テレビ画面は、マリヤムさんの口を通じてアフガニスタンの今を浮き彫りにし、扉も窓も破壊された瓦礫のような教室で勉強する子供たちの姿を映し出していた。
 「一番の喜びは『勉強ができること』です」とインタビューに答える子供たちの将来の夢は、パイロット、お医者さん、政治家…、みんな「国のために、人々のために役に立ちたい」と言う。『将来は偉くなりたくない』と言う日本の若者は、幸せなのか…不幸なのか。日本の国や人々の将来にとっては、確実に不幸なことであろうけれど…。
 インタビュアーの「なぜ勉強するの?」という問いに、日本の女子高生は答えることが出来ない。「私は日本でとても一生懸命、勉強しなければなりません。アフガンの子供たちに将来、勉強を教えたいから。子供たちを助けたいから…。それが私からアフガンの人々への大きなプレゼントなんです」と語るマリヤムさんは、まだ16歳。でも、その胸の内には、驚くほどの「やさしさ」と「強さ」を秘めている。


 「タリバンの時代は、女の子は学校へも通えませんでした。「勉強すること」は「うれしいこと」なのです。」と、覚えたばかりの一語々々を探しながら噛みしめるように語るマリヤムさんの日本語の美しさはどうだ。
 その横で、「私たちはァ、学校があるのは当たり前でェ、普通に勉強してるけどォ、マリヤムの話を聞いてェ、それがすごいことだと思った」と話す日本の女子高生の答えを聞いて、その内容の比較は置かれている状況の違いもあるかなと思ったけれど、インタビューに答えるのに丁寧な言葉も使おうとしない(…使えないのだろうか)ことに暗澹たる思いであった。
 正しい丁寧語や敬語を使って、自分の言いたいことを正確に伝えることに、日本人は疎遠になってしまった。非論理的な無道がまかり通り、美しい言葉で道理を語る人を、トンと見かけない。


 日本人がマリヤムさんのように美しい日本語を話せなくなったのは、家庭が美しい日本語を失ったからだろうが、ではなぜ日本の家庭から美しい日本語がなくなったのかといえば、やはりその原因は戦後の教育に行き着くのではないか。
 「教師は聖職者でなく、労働者である」という日教組の宣言から、教師は子供たちの尊敬の対象から教育サービスの提供者となった。一方、学校民主化を掲げる教師たちは、学校における管理職(校長・教頭)と非管理職(一般教諭)との身分差を否定し、職員会議でも校長を「あんた」と呼んではばからなくなる。子供たちは教師に向かってタメ口を利くのが当たり前で、学校から敬語が失われていったのである。
 加えて、ゆとり教育による授業時間の減少により、国語の教科書から古典や古文の教材が削減されてきたのも、美しい日本語が消えてきた大きな要因であろう。音楽の教科書からも、言葉が難しくて子供に理解できないと、「荒城の月」が消えて久しい。余談になるが、私は長年の間、『めぐる杯 影さして』の部分を「回されていく杯に、月の光に照らされた松の枝の影が写って…」といった意味だろうと思っていた。後年、影=光であることを知り、「満々と酒を湛えた杯が 月の光に照らされて」いたのだと、胸のもやもやが晴れたことと、情景の鮮やかさに、二重の感激をした経験がある。その場で理解しきれないことを課すのも、教育にとっては大切なことなのではないか。世の中のことや人生の課題といったものは、重要なものほどその場では答えが出ないものである。


 美しい日本語を取り戻すために、教育プログラムに名作や古典を復活させ、人々の会話の中にその一説が語られる日常を実現していきたいものである。
 言葉を美しいものにするためには、その言葉を発する人の生き方を美しいものにしていくことが大切であることも、忘れてはならないのだろうけれども…。


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