【教育9】 理数系重視のエリート養成校創設は、裾野を忘れた、高望み!
(2009.10.02)


 文科省は、科学技術分野のエリート養成のため、高校や中高一貫校で理数系教育を重視した「スーパーサイエンス・ハイスクール」制度を、2002年度から創設することを発表した。
 「日本の小中学生は、世界一の理科・社会科嫌い」「科学離れの進む日本社会」と各種統計の数字が語る現実を前にして、科学立国日本の旗手を養成しようとしているわけであるが、日本の役所のすることのたぐいで、またまた小手先の策を弄しようとしている感が否めない。
 何度も指摘してきたように、小学校の1・2年に理科・社会科の学習をなくしてしまい、子どもたちは、学校教育に触れる初期の段階で、自然や社会に目を見開く機会を奪われてしまっている。この時期にきちんとした形で、自然に触れ社会を見る学習の基礎を築くことは、ここに指摘するまでもなく大切である。
 1年生になって、「春になると、身の回りのようすはどのように変わってきたでしょう」と問われ、野山に草花が咲き、動物が活動を始める自然の営みに目を見開いて感動した記憶は誰にもあることだろう。その感動こそが科学する心の基礎なのである。6才の時点における科学する心なのである。
 文科省は、生活科やゆとりの時間の中でじゅうぶんに学習できることだというが、理科や社会の教科の学習として形を持たせることが大切である。小学校の低学年に理科・社会科の教科を復活させることをせずに、高校での「スーパーサイエンス・ハイスクール」制度の創設とは、脆弱な基礎の上に高層ビルを建てるようなものである。



 加えて言えば、昨今、総合学習との合科指導と称して、理科・社会科を教科としてしっかりと授業で扱わずに済まそうとする教師が目立つ。理科や社会科の学習事項を、「総合学習との兼ね合いで行うので」などと平気で言って、学習内容をしっかりと定着させる指導を行なわない。総合学習は体験させる学習であって例えばテストもないが、理科や社会科の学習は教科としての学習であってもちろん評価もされる。両者は、全然別物なのである。「総合学習との兼ね合いで」という言葉は、教科の授業をしっかりと行い得ないことの言い訳に映る。


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