【175】 水郷古鎮「甪直」、太湖遊覧 中国江南水郷紀行③ 2009.09.21-24

← 章くんたちがツアーの第一日目の夜を過ごした「周荘賓館」、中国版(?)3ツ星ホテルです。
水郷まで歩いて行けたことが何よりで、ホテルのグレードも貧乏旅行に慣れている章くんには、上等の部類に入るホテルでした。
午前7時20分、朝食です→
パン、おかゆ、3種類ほどのおかず、コーヒー、紅茶、緑茶!! パンとコーヒーだけのアメリカンスタイル・モーニングに慣れている章くんには、結構なご馳走でした。
8時30分、バスに乗り込んで出発…。まずは、2000年の歴史を秘めるという水郷古鎮「用直」へ向かいます。

← 出発から30分少々…、大きな門の前に着きました。
門をくぐり、大きな橋を渡ると、広場に出ます。
右手に並ぶ5軒ほどの店のうちの3軒が、床屋さんでした。ここは、オシャレな人が多いのでしょうか?

広場の中央に「一角獣」が座っていて、
魔物がこの町に入っているのを見張っています。 →
この町の名前は「甪直(甪の字は、右の写真にもあるように、カタカナのノの下に用)」と書いて、日本読みでは(りくちょく)…、この字が日本の漢字にはないので「用」の字を用いて「用直」と書き、そのまま(ようちょく)と呼び習わしたりしています。
中国語の読み方は、(ルースィー)です。
以前に、「中国の人名や地名に日本語の読み方を仮名振りしたりして当てはめるのは、やめたほうがいい。「用直…ようちょく」はもちろん、「甪直…りくちょく」という地名も、世界のどこにもない。読み方を日本語で表示するならば、(ルースィー)と書き添えるべきである」と書いた記事を読んで、『そうだなぁ』と思った覚えがあります。
確かに、現地でタクシーに乗っても、「ようちょく」も「りくちょく」も通じないでしょうね。

← 張り巡らされた水路の両岸に、お土産などを売る店が並んでいます。
1平方kmの小さな街の中に、宋・元・明・清時代の大小さまざまな石橋が、かつては70余りあったといいます。
現在でも40余りが残っていて、「古

橋の郷」と呼ばれています。
狭い通りに古めかしい店が軒を並べています →

← 途中で見かけた喫茶店…。
コーヒーのスペルがかなり少ないように思われるけれど、ここでは、昔の日本のように「カフェ」と呼び習わしていて、「これで合ってるんだ。放っといてんか」と言われるかもしれませんね。
豪商「沈さん」の館 →

館の造作や置かれている家具から、昔のお金持ちは桁違いだったことがうかがえるというもの…。この沈さんは、現在の甪直小学校の基礎を整えた教育家でもあったそうです。
←邸宅には中庭が造られていました。
四方の建物が中庭を囲む建築を「四合院」と
呼ぶのだそうです。
ここが甪直の有名な写真撮影場所です。→
町中にはたくさんの貸衣装店があって、きれいなドレスやコスプレ衣装を貸してくれます。
中国人の写真好きも定評のあるところらしくて、時代物の貸衣装を着て、昔の雰囲気を残す橋のたもとで、カメラに収まるのでしょうね。
← 古い石畳の道を、リヤカーを後ろにつけた自転車や、客を乗せる三輪車、3人乗りのオートバイなどが行き交います。
甪直には鉄道の駅がありません。上海からバスで2時間…、蘇州から1時間…、観光開発からはちょっと取り残されているようなところがあって、それが昔ながらの風情をとどめているといわれるゆえんなのかもしれません。
そのたたずまいの美しさから、甪直は江南水郷三明珠(3つの真珠…周荘、甪直、同里)のひとつに数えられています。
9時50分、章くんたちはバスに乗りこんで、次の目的地「蘇州」へと向います。
途中、休憩のために立ち寄ったドライブイン →
閉鎖されていて、前の小さな売店でトイレだけを使いました。中国にも、倒産閉鎖ってあるんですね。当然…か!
← 蘇州市内に入ってきました。高架道路の下から見えた、市内の人出はたいへんな賑わいで、蘇州が大きな町だということがわかります。
蘇州市は長江の南側にあり、長江デルタの中心部である太湖の東岸に位置しています。
市区人口は235万人、総人口は624万人とありますから(2007年)、名古屋市とほぼ同じぐらいですね。
はるか彼方の丘の上に、お寺の塔がかすんでいます。→
呉王「夫差」が埋葬された、八角七層の虎丘塔(雲岩寺塔)
でしょうか。
← 町中では、旧市街地区の古い家並みが取り壊され、区画整理が進んでいます。
市街地の取り壊しは、蘇州市内のほか、無錫や上海でも見ました。上海万博に向かって、新しい顔を造っているというところでしょうか。
次に章くんたちは、蘇州の名産である、泥人形工場へ寄りました。茶碗や茶器、壷なども作っていますから、陶磁器工場ですね。
泥で作ったネズミの楽隊 →
一つ一つが手作りでとても精巧…、同じものはないということです。
← 中国版、五人囃子(官女?)ですかね。
見学する章くんたちの前で、職人さんたちが、泥をこね、造っていくところを見せてくれます。
← 色付けして焼き上げると、こんな美女が現れます。
店の玄関にいたご老人。このふくよかな笑い顔はどうでしょう。 →
道教の神「福禄寿(ふくろくじゅ、七福神の一人)」ですね。
道教で強く希求される3種の願い…、幸福(現代日本語でいう漠然とした幸福全般のことではなく血のつながった実の子に恵まれること)、封禄(財産のこと)、長寿(単なる長生きではなく健康を伴う長寿)の三徳を具現化した神様です。
またバスに乗り込んで、昼食のホテルへと向いました。
← 近代的なビルの横の川では、船がゆったりと荷物を運んでいます。
昼食会場のホテルです。→
←なかなかにゴージャスなたたずまいでしょう。
格安ツアーだとは思えない雰囲気です。
ではまたバスに乗って、次へ…。
バスの窓から見かけた、モダンな建物…。
体育館らしいです。→
← 無錫の太湖遊覧乗船場に着きました。
無錫(むしゃく)市は、江蘇省の南部にあり、改革開放以来、急激に工業が発展して、とりわけ日本企業の進出が多いところです。
20年前には、この地を訪れる日本人はほとんどいなかったけれど、尾形大作の「無錫旅情」が大ヒットして以来、飛躍的に観光客が増えたと、ガイドの白さんが言っていました。
無錫は、南部に太湖が広がり、市内には小さな河川が無数に流れる、典型的な江南の水郷です。江南デルタで産する米と、太湖で捕れる魚などの水産物が豊富で、古来「魚米の郷」と呼ばれていました。
また無錫は、中国古代文明を支えたスズ(錫)を多く産出し、「有錫」という言われるほどの地でした。余りにも多く掘り過ぎて前漢までに掘り尽くしてしまい、以来「無錫」になったという俗説があります。
たくさんの遊覧船が停泊しています。→
隋時代に建設された大運河(現在は「京抗大運河」とよばれ、市内を迂回する新運河も掘られています)が無錫を通り、以来1000年の時を越えて、江南の農産物や織物を集散し華北や中国各地へ送る重要な経済都市・商業都市であり続けました。
大戦や人民公社化、文化大革命などによって無錫は荒廃しましたが、改革開放のあと大躍進を遂げ、現在は常住人口610万人といわれるほどの大都市です。
特に無錫と日本との関係は密接で、1000社を超える企業がすでに進出し(2003年段階)、投資総額でも30億ドルに迫る勢いです。これは江蘇省に対する日本からの投資の半分を占め、省都南京をはるかに越え、蘇州を上回り上海に迫る勢いです。湖などに接する恵まれた自然環境、比較的よい治安、上海の港湾や空港からの近さ、『無錫旅情』などで日本でも名が知られ、対日感情もさほど悪くないことが要因として挙げられます。
← 龍の形をした豪華遊覧船
ガイドの唐さんに、「あれに乗るの?」と言ったら、「200人乗りだから、この少人数ではダメね」と言われました
龍船の隣につないであった船に乗って、太湖へ出航しました。
雨模様で、島々の影もはるかにかすんでいます。→
太湖の面積は2,250平方km(琵琶湖の3倍)、平均水深は2m、最大水深は48mです。中国五大湖の一つで、鄱陽湖、洞庭湖に次ぎ中国で三番目に大きな淡水湖です。
湖には大小約48の島が浮かび、多くの半島が連なり、湖を囲む峰の数は72を数えるとか。洞庭東山、西山、馬跡山、三山などが著名な山々で、これらの山や湖が入り組む景観は天然の絵画ともいえる美しさです。
船舶の往来用に、ブイや灯台もあります。→
太湖周辺は、石灰岩でできた丘陵が取り囲んでいます。これらの丘陵から切り出される「太湖石」とよばれる穴の多い複雑な形の奇石は有名で、蘇州はじめ中国各地の庭園で、このあとお目にかかりました。
【今日はここまで。つづきはまた明日に…】
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