上海雑技団黄浦江ナイトクルーズ   中国江南水郷紀行⑥  2009.09.21-24
  


 工事と交通ラッシュの町を掻き分けて、さぁ今から上海雑技団の公演を見に行きます。

 が…、渋滞に巻き込まれて、午後5時15分の開演に間に合わず、30分ぐらいに走り込んで行きました。




  
 第一幕は見られず、
  第2幕目のショー、女
  の子たちの組体操が始
                    まっていました。 →





鍛え上げた練達の技は見事です。


 次は皿回し。それぞれが左右両手に各4枚ずつの皿を回しながら、逆立ちしたり、上に乗っかったりしていきます。






 
 




← 高校生ぐらいの男の子の演技です


 雑技団の団員は、
10歳前後から入団
して鍛錬に入るのだ
そうです。











← 仰向けになった人の上に片手で逆立ちし、上下の人が、空いているそれぞれ3本の手足で座布団を回します。
 
 

             マジックショーです。  →


         鳩を出すのが得意な女の子でした。


 ブンブンブン…、球形の金網の中を、1台…2台…3台…と、次々と入っていったオートバイが、爆音をとどろかせて上下左右に疾走します。


← 今、4台のオートバイが走り回っています。


← もう1台、入りました。


 5台が狭い球内を走り回るのは、とても迫力がありました。見ているほうも、ヒヤヒヤものでした。

 昔、サーカスで見たことがありますが、3台ぐらいだったと思います。5台は、見るほうの理解を超えていました。




 上の写真のほかにも、3~4個の帽子をお手玉のように回したり、大小の輪っかをくぐり抜ける組体操、5~6個のボールを操るパフォーマンスなどがあって、合計1時間30分ほどのショーでした。


← フィナーレです。

 
 









 
  
  舞台がハネてから、出演者と一緒に写真に納まることが出来ます。                 →


 章くんも、舞台に上がっていったのですが、「時間がありませ~ん」というガイドの白さんの声に、やむなくバスへと急ぎました。


            
ホテルへ戻って食事です。→


   3日間、同じものばかり食べていたなぁ。
   でも、激安ツァー…、文句は言えません。

 
 
 午後8時30分、百万ドルの夜景を見るために「黄浦江ナイトクルーズ」に出かけました。


 ライトアップされた、歴史のあるヨーロッパ風の建造物が立ち並ぶバンドの風景…、躍進する上海を象徴する浦東近代ビル群…を見る、約50分のクルーズです。


 乗り込んだクルーズ船の1階2階を通り抜け、章くん、一目散に上部甲板を目指しました。

 
出航…! 上海バンドの夜景が目の前に広がります ↓


 上海バンド (外灘、英語名:Bund) は、黄浦江と蘇州河の合流点から南の金陵路までの、大通り(中山東一路)沿いの黄浦江西岸を指します。

 この地は外国勢力が上海に開いた租界…。もちろん日本人租界もありました。
 バンドとは、そもそも人工の土手や堤防を意味しています。植民地であったインドで、港に臨み居留者の建築が建ち並ぶ…、今で言うウォ-タ-・フロントをバンドと呼んでいました。もとは一般的な名称であったものが、今では上海の代名詞のように使われているのです。


← こんなに可愛くオシャレな船も走っています。


 上海は長江が運んだ土砂によって出来た、沖積平野の上の町です。歴史的には、むしろ多くの湖沼を擁する蘇州や杭州のほうが、皇帝貴族の遊興の地として有名でした。
 その頃の上海は長江河口部のデルタにある荒地…。ひなびた村が点在するに過ぎない土地でした。
 1840年のアヘン戦争、1857年のアロー号事件によって、清国は強圧的に開国させられ、ここ上海にも外国人租界ができることとなりました。この外国人租界が、上海バンドの始まりです。


 バンドの対岸は上海の中でも最も急速に発展しつつある浦東新区、その中心である陸家嘴金融・貿易開発区の高層ビル群が明るい光を放っています。


 ひときわ高い塔は、上海のシンボル的
 存在である「東方明珠タワー」 ↓→










← 「東方明珠タワー」は263mと350mのところに展望台があります。料金は50~100元、登る高さによって違います。


 267mのところに回転レストランがあり、1時間で1回転、360度の風景が楽しめます。


 後方に、日本の森ビルが手がけた『SWFC』が、頭を雲に突っ込んで立っているのが、かすかに見えています。










 浦東側にある乗船場に、船が着いたようです→


 浦東のビルは、外観の華麗さもそれぞれで競っているのです。船着場のデザインも斬新でしょう。
 



←「シャングリラホテル」が入っている浦東香格里拉大酒店。
 左の帽子のような物がついているのは、「海関大廈」。



 アヘン戦争(1840年)にさかのぼるまでもなく、20年前に撮った1990年の上海の写真を見ると、ホントにこの浦東地区は何もない荒地でした。
 それが、19年後の今では、東洋一の金融・商業地区として高層ビルが林立して発展しているのですから、そのパワーには圧倒され、驚かされます。







 ライトアップされた姿が特に美しい2つの建物 →


 右が上海海関(旧・江海北関(税関)、1295年建設)
 左は上海浦東開発銀行(旧・香港上海銀行、1923年)
 前を、キレイな遊覧船が行きます。


 
 
 黄浦江はさまざまな船が忙しく行き交い、時折聞こえる汽笛が雰囲気を盛り上げてくれます。












 船は、初め南へ下がり、バンドのはずれの十六浦あたりでUターンして北上し、章くんたちが乗船した船着場を通り越して、黄浦江が大きく蛇行しているその先までゆっくりと進みます。

 蘇州河との分疑点を過ぎたあたりでストップ…。このあたりでは、バンドの光景ははるか彼方に小さく見えます。そして今度は、後進で、船着場まで引き返します。


























 
 
 20年ほど前の上海では、川(黄浦江)の東に家があるのは貧しいと同義語だったそうです。ところが、わずか20年後の今日では、黄東地区には近代高層ビルや高級マンションが立ち並び、川の東に家があるのは豊かさの現われとなったそうです。躍進する上海…、巨大化する中国…を、肌で感じたナイトクルーズでした。


 古い上海と新しい上海が、見事に…、しかもロマンチックに…凝縮された黄浦江ナイトクルーズは、やはり上海観光のハイライトです。


 ホテルへ帰るバスが、バンドの大通りを走ってくれました。今、バンドは来年の上海万博に向けて、通りを掘り返しています。この大工事が終わると、バンドの大通りは、地上は歩行者の遊歩道…、車は地下を走りぬけるようになるそうです。


← 帰りのバスから見た、高層ビル群が
 立ち並ぶ上海の町…。




 章くんたちのホテルは、バンドからバスで25分くらい走ったところ…。繁華街へ遊びにとって返すにも、ちょっと遠いかな。
 部屋へ戻ってお風呂に入ったら、すでに11時過ぎでした。下戸の章くんは、隣のコンビニでミネラルウオーターとケーキを少し仕入れてきた…という可愛さで、今夜はおやすみです!


第4日目 帰 国

 今日は上海浦東国際空港から、9時30分のフライトで帰国します。だから、5時30分に起床…。6時30分、空港へ出発…。あとはただひたすら帰るだけです。 


← 章くんたちのホテル「南部大酒店」


 稼働率があまりよくないホテルなのか、お風呂の湯が初め真ッ茶ッ茶…。かなり流したら、色は薄くなりましたが、まぁ激安ツアーですし、中国のホテルですから、これくらいは当然でしょうね。


 上海ではマンションが林立していますし、今も建設ラッシュが続いていますが、ホテルの隣にあったマンション群のエリアは塀に囲まれ、出入り口のゲートにはガードマンが警備していました。
 20年前にアメリカへ行ったとき、広い住宅地がぐるりと塀で囲んであって、数箇所の出入り口には遮断機があり、外来者は警備員が名前と用件をチェックする物々しさでした。章くんたちは、住宅地の中にあるゴルフ場へ行ったのですが、名前を告げて「ゴルフだ」と言うと、警備員の手元には名簿が来ていて、「OK」と通してくれました。
 水と安全はタダだと思っている日本人にはちょっとビックリさせられることですが、中国にもすでに安全をお金で買う日常があるのですね。


 この朝、高速道路新空港線は激しい渋滞…。「日本のシルバーウイークが、上海の渋滞を起こしている」とガイドの唐さんは言っていました。
 予定よりも1時間近くも遅れて、9時前に空港へ到着…。搭乗手続きもそこそこに、出来たものから国際線入り口に駆け込むあわただしさでした。

 でも、でも、でも…、そこは中国の航空会社…。ボーデンタイムを過ぎた頃に、「機材点検のため遅れます」のアナウンスがあり、何分遅れるかの連絡もなし。
 しかも、搭乗券には「27番ゲート」と書いてあるのに、この空港のゲートは26番までしかない。ほどなく、「名古屋行きのお客様は、ゲートを27番から26番に変更いたします」とアナウンス…。
 だから中国の飛行機には乗らないって言ったんだ!
 でも、激安ツアーだから、まぁいいか。


← 空港の売店で、この人形を買いました。中国南方少数民族の
 人形でしょうか。今、うちの飾り棚の上で、ほかの国の人形た
 ちと一緒に並んでいます。


 午前10時50分、1時間20分遅れで上海を飛び立ちました。…、人形が我が家の棚に並んでいるということは、無事、帰り着いたということです。中国の飛行機も、やれば出来るじゃないか! …(苦笑)


 これまで、中国にはあまりよい印象がなかったので、行くのをためらっていたのですが、上海は直ぐにいけるお隣だということがわかりました。恐れていた「ニーハオトイレ」も、現実には無かったし…(笑)。
 気楽にいける隣国…というのが実感でした。また行きたいと思っています。       


             その5 豫園   物見遊山トッブへ