世界遺産の豫園  中国江南水郷紀行  2009.09.21-24 【物見遊山176-2】
  
 
 蘇州をあとにして、上海市内に入ってきました。


 電動式自転車が流行っているようですね。
 普通のオートバイと違って、バタバタというエンジン音がしないので、歩行者は近づいてきたのがわからずに事故につながるという指摘を読んだことあります。
 でも、電池で動くのですから、脱石油エネルギーということで魅力的ですね。


 ガイドの白さんの話では、安い自転車は200元(2800円)ほどで買えると言っていました。
 そして、中国でも自転車泥棒は日常茶飯事で、買ってから2日で盗まれたとも言っていました。


← またまた大きな門が見えてきました。
 上海市内の世界遺産「豫園」周辺の市場へ到着したのです。



 「豫園」周辺の市場のことを、「豫園商城」と呼んで、さまざまなものを売るお店屋さんが密集する、格別の賑わいのある地域として、観光客の人気を集めています。
 浅草みたいなものですね。
 
 
 この人混みはどうですか。上海を訪れる観光客は必ず「豫園」を訪れるといわれるほど人気のある観光スポットなので、世界中から人々が集まります。
 ガイドの唐さんも、「スリに気をつけてくださいね」と繰り返して言っていました。


この「豫園商城」と呼ばれる商業エリアは、豫園の門前市が商店街として発展したものです。
 豫園の入り口の前には、小龍包で有名な「南翔饅頭店」や、上海で一番古い茶館「湖心亭」などの老舗がたくさんあります。
  
 
 「豫園」は、明の時代、四川省の役人であった「潘允瑞」によって造られました。故郷を懐かしむ父親を慰めるために建設されたという庭園の造営は、1559年の造園開始から1577年の完成まで、18年間もの歳月を要しました。庭園の完成時には、父親はすでに亡くなっていたそうです。
 潘家の没落後、庭園は一時荒廃しましたが、清代には上海の有力者たちが再建に乗り出します。その後1956年に西園の一部が改修・整備され、現在の「豫園」として一般に公開されるようになりました。


 それでは、建て物、池、石、庭木、瓦…、何を見てもどこを見ても、汲めども尽きない魅力を秘める古代庭園、中国独特の江南庭園建築芸術の特色を持つ世界遺産の「豫園」をご案内しましょう。


でも、予備知識も何にもないので、写真の建物や庭園が園内のどこなのか、何と言う名前のものなのかなど、わからないままに歩いてきました。あとから調べて、多分これはここだろうといった程度のご案内です。
 また、章くんたちは、通常は出口とされるところから入っていますので、一般ルートとは逆に歩いています。)



                法華堂(多分) →





← 中国3大太湖石のひとつ「玉玲瓏(イュリンロン)」


 高さ3メートルの太湖石。石には無数の穴が開いていますが、この石はその穴が全てつながっていて、上から水を入れると下に出てくるという仕組みです。
 雨の日に観賞するといいかも…。




 中国式庭園では、壁の一部をくりぬいて、出入り口を作っていることがよくあります。

 これらの出入り口には、庭園の奥行きを深く見せる効果があるそうです。豫園にも、様々な形の出入り口が見られました。


← 庭の造作も贅を尽くしたつくりです。


 豫園を造ったのは、明朝の役人だった「潘允瑞」でした。しかし、役人とは、それほどお金を貯めることができるものなのでしょうか。


 清の時代の話なのですが、康熙・雍正・乾隆と賢帝が続いてきた清朝も、後期になると官僚の腐敗は目に余るものがありました。
 乾隆帝の側近であった和伸(わしん、ホチエン)が汚職で捕らえられたとき、没収された私財は8億両に達したといわれます。当時の清朝の歳入は約7千万両でしたから、これは国家の歳入の11年分以上という、信じられないような巨額です。
 フランスの太陽王ルイ14世の全盛期の財産が2千万両と換算されていますから、これはその40倍に当たります。【山川出版社 世界史研究より】
 役人の汚職…恐るべしですね。支那人の汚職癖は、歴史的なものと言うべきなのでしょうか。日本の政治家は、支那を手本としていますから、これも同根なのですね。


← 飾り窓。精巧と
 いうか、オシャレ
 というか…。



 この庭に一日中座って、ボーッとしていたいですね。


 豫園の「豫」は愉を示し、すなわち「楽しい園」という意。ホントに見飽きない、見事な庭園です。
 もとは、現在の2倍の広さがあったのですって。



 次々と名園が現れます。


 地図も持たず、案内書もないままに、ガイドさんのあとを付いて、せかされながら園内を行くだけですから、自分がどこに居るのか、この建物がどういう由緒の、何という名前の建物なのか、全くわからないままに歩いてきました。


 それでも、この庭園の素晴らしさは記憶に残っています。


← 龍を配した壁、その名も「龍壁」です。


 龍は皇帝の象徴とされ、家臣がみだりに用いることは許されませんでした。
 この屋敷には5頭の龍がいるそうですが、潘允瑞はその点を咎められると、「龍は5本指…、これは6本指なので龍ではありません」と答えたという話があります。

関羽将軍ですね。 鹿さんです。
 
   屋根の上にも注目して  ください。     →


 こちらには、関羽将軍の姿がありました。屋根の上で、三国志の世界が展開されているのです。
 


← 太湖石の築山ですね。


 撮影スポットということで、欧米人のご婦人方が、入れ替わり立ち替わり石に腰をかけてポーズをとっていました。
 欧米には無い建築ですから、物珍しいことだったでしょう。
 
 
 
 
 この庭にも、
 ふんだんに太湖
 石が積み上げら
 れています。→


 
 
 





← この築山は、上海から200Kmーほど離れた浙江省の武康県から運ばれてきた武康石2000トンが積み重ねられています。


 園内の建物は再建されたものも多いのですが、ここは西北部の一部が削られただけで、創建当時の姿をほぼ完全に今に留めているとのこと…。

 築山の上に「望江亭」という東屋があります。現在は上海森ビルのような地上101階、高さ492mというような建物がありますが、400年前には、長江の河口デルタにある上海では、高さ12mのこの築山が一番高い場所であり、黄浦江が望めたので、この名前をつけたと言われています。



 次々と目の前に現れる庭園が、より素晴らしく素晴らしく見えてくるのですから、どうしようもありません。


 ゆっくりと一日とって、立ち止まり、座り込み、何度も行きつ戻りつして、心ゆくまで見て回りたいものです。
 いつか、もう一度来なくては…。





 と…、出口に来ました。園内の案内板があります。通常はこちらが入り口なのですね。                   →
 

















← 豫園の出口(…入口?)にある
 湖心亭と九曲橋。
 「湖心亭」は、上海で一番古い飲茶館。
 
 「九曲橋」はその名の通り、9回曲がっている橋なのですが、これは古来中国では魔物は真っ直ぐにしか走れないと信じられていたので、魔よけに曲がりくねった橋を作ったものです。
 9という数は、数字の中で最高の大きさですから、縁起のよい数とされていました。


 今度は、「湖心亭」でお茶を飲み、おもむろに「豫園」見物に出かけることにします。


← レストランです。



 同じ飲茶を頼んでも、1階と、2階と、3階で、値段が違うのですって…。
 上へ行くほど、ボックスも高級になり、高いのだとか。







        帰りのバスへ急ぐ途中で見かけた獅子 →


 買って行こうと思って、このあと気をつけて見ていたのですが、空港の売店でも、見つけることができませんでした。




← バスの車窓から…。曇り空の低い雲の中へ、
 ビルの先端が消えています。



 お茶屋さんによりました。



 鉄観音茶、一葉茶、茉莉花(ジャスミン)茶、杜仲茶などを淹れて、飲ませてくれました。
 
 淹れ方が上手なのか、それぞれのお茶はそれぞれに味が違って、美味しくいただきました。


 でも、100グラム200元(2800円)って高すぎるんじゃないかぃ…と思ったのですが、純銅缶入(中蒸し)静岡茶200グラム9000円ですから、それに比べりゃ良心的ですね。


 お茶は買わなかったですが、蓋つきの茶漉し内臓長湯呑みを買ってきました。

 茶葉を入れて湯を注ぎ、しばらく置いて、上向きにした蓋の上に茶漉しをとるのです。
 なかなかに美味しくお茶がいただける優れものです。

 そこそこの値段でしたが、日本に帰ってから蓋つき有田焼湯呑み92000円なんてのを見ると、なんだかんだはあっても中国は良心的だなぁと、またしても思いました。


← ホテルに帰る途中のバスの窓から見た風景です


 高層ビルの足元では、まだまだ地上の庶民の生活があるのです。
 






 次の角を曲がると、目の前に広がるのは高層ビル群と、工事用クレーンが首を振る光景…。   →


 これだけの工事をやり遂げるだけの資本力と工事会社の数と労働力が、中国にはあるのですね。
 上海は元気…。不況から脱却しきれない日本には、このパワーはないなぁ…と、ちょっと淋しくなりました。


 ホテルに戻って、今夜も回転盤式の夕食をとりました。


        その4 寒山寺  
その6 上海  物見遊山トッブへ