【74】2004年 神戸ルミナリエ と ジャズライブ「SONE」   2004.12.19-20


 神戸ルミナリエ…。主催者のメッセージには、『神戸ルミナリエは、阪神・淡路大震災犠牲者の鎮魂の意を込めるとともに、都市の復興・再生への夢と希望を託し、大震災の起こった1995年12月に初めて開催しました。イタリアのアートディレクター、ヴァレリオ・フェスティ氏と神戸市在住の作品プロデューサー、今岡寛和氏による光の彫刻作品です。第一回の閉幕直後から、市民や各階から継続開催を求める強い声が寄せられ、都市と市民の希望を象徴する神戸の冬の風物詩としての定着を目指すことになりました。第1回は1995年、テーマ「夢と光」、来場者254万2687人。今年、2004年で10回目を迎える「神戸ルミナリエ」を、ぜひ訪れてみてください。』とある。
 ルミナリエの言葉の意味は、物体が光を放つ現象を表す「ルミナンス、ルミネセンス」の女性形だと思うのだが、これは僕の勝手な説だから定かではない。JRの最前席からパチリ


 大阪駅から三宮へ向かうJR快速の最前席に陣取り、運転手さんと一緒に指差し呼称をしながら、前面の窓からの沿線風景を楽しんできた。ビルや住宅の間を縫っていく大阪・神戸間にも、時として林や山間を走る箇所があって、ひときわ色あざやかな紅葉が目に飛び込んでくる。 
 快速だから通過駅があるわけで、前窓から通過する駅のフラットフォームに居る人を見ていると、かなりのスピードで横をすり抜けるわけだから、とても危険に見える。でも運転手さんは、当然のようにスピードを緩めようとはしない。
ルミナリエのゲート 

 三宮で降りて、お昼を食べる店を探しながら、ルミナリエ会場界隈を歩いてみた。通りの上に、アーチ型の電飾が設置されている。左の写真がそれなのだが、判るだろうか。【拡大】
 昼間に見ると、なんということもない代物なのだが、それでも午後0時30分の今から道端に陣取っている人が大勢いた。何かの本で、点灯の瞬間を見てから食事に出かけ、食後にまたゆっくりと見て回るのが良いと書かれていた。5時30分の、その「点灯」を待つ人たちなのだろう。
 南京町(中華街)は店頭で肉まんなどを食べさせる店が多く、前回来たときも満足のいく中華料理のレストランなんてなかったので、神戸大丸に入って和食の「西村屋」でお昼を済ませた。


 タクシーを拾って、北野地区の異人館へ行く。北野坂と呼ばれる六甲山の南斜辺一帯は、1868年年(慶応3年)の神戸開港に伴い、 現在の神戸市役所の西側一帯に外国人のための居留地が設けられたが、 来日する外国人の増加などによりしだいに住宅地が不足しはじめ、 神戸港を一望できるこの山の手が新たな住宅地として注目され、外国公館や住居が建てられた。これが、現在北野町・山本通に残る異人館街のはじまりである。
 明治20年代(1887〜1896年)から本格的に建設がはじまり、第二次世界大戦頃まで最大で200棟以上の異人館が建てられた。一帯は、洋館と和風住宅が入り混じったエキゾチックな景観を形作っていたが、 戦災や老朽化、さらには1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災によって数が減り、 現在残っているのは80棟ほどになっているという。旧パナマ館
 先ずは北野通りに面した旧パナマ館に入った。ぶらぶらと入っていって、受付の美人に「入場料要りますから」と言われ、「えっ、お金要るの?」と言う呑気さである。パナマ運河(1914年開通)の国だからか、展示品に船の模型が多く見られた。
 次は、向かいのイギリス館。玄関前には、イギリスの名車ジャガーの巨大バージョンが展示されていた(下の写真上段右から2番目)。最初見たときはロールスロイスかと思ったほど大きくて、何でイギリス館にロールスなんだと中をのぞくと、虎のマークが見えた。玄関の左手には葡萄酒の樽にまたがった老父の像(同、上段右端)。中の部屋のうち3部屋にはホームバーが設置されていた(同、下段右から2番目)から、祖国を遠く離れた極東の地にあって、彼らはスコッチ・ウイスキーなどをあおりながら望郷の思いを癒していたのだろう。
 各部屋の調度品の豪華さはさすがである。一品ずつを手作りで仕上げていった時代のものが並び、明治という時代の重厚さを物語っているようであった(同、下段左端)。へら鹿の剥製の大きさにもビックリ(同、下段左から2番目)! 鼻先から角の先端までは、ゆうに大人の背丈ほどもある。壁にこんな剥製を飾るところが、狩猟民族の末裔たるゆえんであろう。

イギリス館の外観 イギリス館の入り口 庭で見かけた巨大なジャガー 葡萄酒の樽にまたがる老父の像
調度品は重厚! へら鹿の剥製 大きいッ! 大きなホームバー。 中庭からの外観
  【拡大 @】  【拡大 A】  【拡大 B】  【拡大 C】



 イギリス館のあとは、北野通りを北に折れて坂道を登り、風見鶏の館に向かう。神戸の坂は半端じゃない。200メートルを昇るのに息が切れる。一軒山側の家は、下の家の屋根の上から、神戸の港を見ることができる。                     【拡大】
風見鶏の館
 息を切らせていくと、レンガ色の洋館が見えた。屋根の上には、風見鶏が今日の風向きを計っている。
 サンフランシスコで風見鶏を買ってきた辺さんのことを思い出した。かさばる荷物であり、欠けたりするといけないというので、機内手荷物にして大切に抱えてきた風見鶏を自宅の屋根に取り付けたところ、翌日、見上げたら飛んでいってしまっていて、影も形もなかったという、辺さんの悲話である。屋根の係りのおじさんが居たら、留め金はどうするのか聞いて、辺さんに伝えてやろうと思ったのだが、館内には「はい、左から回って」と叫び続けているおばさんが居ただけで、屋根の関係者らしい人は見かけなかった。
 内部の仕様はアールヌーボー様式を感じさせる。また、部屋ごとに天井のデザインが異なり、食堂は木で組まれた中世城館風の重厚な天井小梁、居間は八角形の木組みに白のしっくいを配するといったように、それぞれの部屋のイメージにあわせて意匠が凝らされてる。八角形の部屋には5つの窓が取られていて、十分な採光が図られているのだとも聞いた。今度家を建てるときには、僕の書斎は八角形にしようろこ館う。


 さらに坂を登って、うろこ館。その壁面の模様が、魚のうろこを思わせるので、この名前が付いたとか。クリスマスバージョンで、庭にはトナカイのイルミネーション、屋根にはサンタが登っている。うろこ館の2階からの展望
 うろこ館の2階からは、ようやく暮れていこうとしている神戸の町並みと、その向こうに港が一望される。街の灯りや港を行く船の明かりが点されて、100万ドルの旅情を掻き立てる。


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 午後5時を過ぎた頃、タクシーを拾ってルミナリエの会場へ…。5時30分に予定されている、点灯の瞬間を見るために急いだ。タクシーの運転手さんの話…「昨日は今日の倍ぐらいの人出で、ルミナリエ会場は見るのに2時間ぐらいかかったらしいですよ」と言う。
 確かに、点灯の瞬間を見るどころか、5時20分ぐらいに会場に着いた僕は、見物客の最後尾に並んでからルミナリエのメインゲート「北の星」(下の写真上段右端)へたどり着くまでに1時間ほどかかった。【拡大】 
 闇雲に、並んでいた人ごみに向かってデジカメのシャッターを押してみたところピンボケの写真になってしまったが、もしキレイに写っていたら、僕の生涯で最多人数が写った写真になっていただろうとと思う。2年前に来たときは、平日だったし、午後8時頃と遅くに着いたからか、並ぶというほどのこともなく見ることができたのだけれど…。 (2002年 ルミナリエ報告 参照)


 人並みに揉まれながら、何度か角を曲がったら、かなたに光の列が見えてきた。

  写真@(上段 左端) ルミナリエの入り口の門 「北の星」【拡大】
    A(上段真ん中) メインテーマ 「空の地図」【拡大】
    B(上段 右端) 円形の空の地図の正面にある 「カッサ・アルモニカ」【拡大】
    C(下段 左端) 「カッサ・アルモニカ」
    D(下段真ん中) 「光の小惑星」
    E(下段 右端) ルミナリエの光に浮かぶシルエット 【拡大】
メインゲート「北の星」 メインテーマ「空の地図」 空の地図と中央に配されたカッサ・アルモニカ
光のカッサ・アルモニカ 光の小惑星 ルミナリエ・シルエット


 立ち並ぶ圧倒的な光のページェントはさすが…。どこまでも続くかと思われる輝きのツリーは、その下をくぐって行くものを祝福し、豊かな未来をもたらすことを約束してくれているかのようであった。


 ルミナリエのあと、ホテル・モントレ神戸のレストランでちょっと遅い食事、このホテル、石造りのいでたちがヨーロッパの古城を思わせるいでたちで、神戸らしいムードのあるホテルである。
 食事の後は、せっかく神戸へ来たのだからと、ジャズライブの店を訪ねてSONEの店内みた。神戸は日本のジャズ発祥の地。そしてその神戸のジャズはこの店から始まったという、ライブハウス「SONE」。この夜のライブは、ボーカル本荘桂子、ピアノが藤井勝泰とあとベース、ドラムの編成。ほの暗い店内は、ステージを囲むテーブル席とその周辺のボックス席などが、合わせて約120席ほどある。                  【拡大】
 禁煙席などという野暮な席はなく(僕は煙草を喫わないけれど、この店では禁煙なんて似合わない…)、くゆらす煙草の煙が漂う中で、客たちはウイスキーのロックを口にしながら、時に物憂く、ときに情熱的なジャズの旋律に耳を傾けている。1900年代の初め、アメリカの開拓時代のニューオーリンズやデキシーランドのバーで繰り広げられていた光景もこのようであったろうかと、遥かな時に思いを馳せたりしてジャズハウス「SONE」いた。
 僕は三味線の音を耳にすることは多かったけれど、ジャズライブというのは初めて…。おしゃれなその雰囲気、大人のムードが漂う店などに、すっかり魅了された思いであった。もちろん、ハスキーな本荘桂子の歌声にも…。【拡大】


 歩き疲れて、ホテルに戻って風呂に入ったあとはバタンキューッ…、朝までグッスリ…。歩くのはゴルフで鍛えてあると思っていたのだけれど、神戸の坂の厳しさはゴルフの比ではなかったようである。


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