【25】100万ドルの夜景  −新神戸 ナイトクルージング−      (9.28-29)

神戸ナイトクルージング
 神戸で同窓会があった。幹事諸賢の趣向で、今年はメリケン波止場にブルーのライトを点すオリエンタルホテルから、クルーザー「ルミナス神戸2」に乗船して、100万ドルの夜景を見ながらライトアップされた明石海峡大橋までを周遊するディナー・クルージングである。
 午後7時、パンプキンスープの運ばれる船室にライトアップの明石海峡大橋、かすかなエンジンの揺れが伝わり、出航。まずは腹ごしらえと、船窓の夜景を愛でながら食事を進める。明石の鯛のポワレが出る頃、船は青く輝く明石大橋の下をくぐる。デッキへ出て、橋を下から見上げ神戸海洋博物館た。
 
 コー神戸ポートタワーヒーとデザートを終えて上甲板へ出てみると、船はちょうど神戸港へ入ろうとしているところであった。グリーンに光る神戸海洋博物館、赤く輝くポートタワーのまわりに無数の街の灯が輝き、船はその光の中へ…。
 

 午後10時、南京町中華街の店がみんな閉まっていたのは残念だった。空腹を抱えてベッドへ!。

姫路城
 翌日は姫路の白鷺城へ出向いた。西の丸を回って五層の天守閣へ上ると、さすがにシンドイ。天下に知られた名城は、どこから眺めても絵になる威容だ。
 城の西南に隣接して、藩主の下屋敷跡「好古園」がある。豊かな水を流す、素晴らしい庭園だ。明石名物という穴子の昼食が美味しかった。


 何度も現地へ足を運んでくれた、幹事の大森クン、萩原みっちゃん、副幹事の山北・米虫・阿川・丸山さん、たいへんなお世話をありがとう。来年は、九州あたりで…(^O^) !




【24】大覚寺 観月会  −中秋の名月−   (9.21)
大沢池を巡る屋形船

 今夜は中秋の名月。18日に京都へ行ったとき、21日には大覚寺で屋形船から月を見る風雅な催しがあると聞いて、今日も夕方から出かけた。

 平安時代初期、嵯峨天皇の離宮として造営された嵯峨御所には、中国の洞庭湖をモデルに「庭湖」と呼ばれる日本最古の人工池(林泉)が造られた。今、大覚寺大沢池と改められて、奈良公園の猿沢池、滋賀県大津市の石山寺とともに日本三大名月観賞地として知られている。この大沢池で、平安時代から続く観月の夕べが催され、池に竜頭船や鷁首(げきす)船を浮かべて、琴の音色を楽しみながら中秋の名月を観賞する。 

 大覚寺付近は駐車場もないと聞いていたので、嵯峨野のパーキングに車を預けてタクシーに乗った。大覚寺に近づくにつれて道は混雑し、着いたのが午後8時前。6時30分からの読経勤行などはすでに終わっていて、観月船への乗船券も売り切れていた。御影堂・収蔵庫・観月堂などはすべて開放されていて、たくさんの人で賑わっている。『紫式部日記』にも、嵯峨野の月は大変美しく、その中でも特に素晴らしいのが大沢池の月とある。その名月、今夜は生憎の曇り空であったが、それでも右上の写真のように時々雲間からかすかに顔を覗かせた。
雅楽の演奏
← 宸殿では、巫女姿の50人ほどのお嬢さんが、琴の演奏を聞かせてくれている。この夜にあわせて、にわか特訓をしたのかと思うほど下手くそだ。(^O^) マイッタ!


 池を巡っていくと、宝塔前の広場では嵯峨の有名なお菓子屋、漬物屋、竹細工店、お花屋、料理屋などが模擬店を出していて、夜店をのぞく人々で賑わっていた。芭蕉の名句「名月や池をめぐりて夜もすがら」も、この池ゆかりの句であるとか。


 帰り道、名神でパトカーに捕まった。132q/h。夜中に仕事に従事する警察官諸君、ご苦労さま! 秋の交通安全期間である。
 



【23】三千院、宝泉院と産寧坂「奥丹」   (9.18)往生極楽院


 『道祖神の招きにあい とるものとりあえず』と俳聖芭蕉が記した心持とはこのようなものであったろうか、今日も朝5時半に目覚めると、空は澄み切った青空。何処かへ出かけなきゃと思って、そわそわしてしまう。
 ぶらっと出発して西へ。琵琶湖大橋を渡って、結局京都へ来てしまった。比叡山の北から入ったので、大鈴なりの極楽院原の里へ出た。もう一度、三千院の秘仏「阿弥陀如来」と境内にある宝泉院の額縁庭園を見てこようと思い、三千院の裏参道に車を停めた。
 平日だというのに、たいへんな賑わいである。金色に輝く阿弥陀如来は、1200年の眠りから覚めて、今日もあでやかであった。


← 阿弥陀三尊のおわします往生極楽院は堂内も鈴なりの人で、階段を上がることもできなかった。


 三千院の山門を北に行過ぎると、後鳥羽上皇の御陵…いわゆる玉泉院の額縁庭園大原御陵がある。その左手を抜けてさらに奥に進むと、額縁庭園で知られる「玉泉院」に行き着く。門をくぐると目の前に樹齢600年の五葉の松が屋根より高い威容を見せる。
 座敷に上がって、抹茶をいただきながら庭を拝すると、竹林の間から大原の里の風情が垣間見られる。柱と柱の間の空間を額に見立てて鑑賞すると額縁の中の一枚の絵のようだということから、額縁庭園と称せられるこの庭の名前は盤桓園(立ち去りがたいの意)という。

奥丹
 午後2時、以前から一度寄ろうと思っていた、産寧坂の「奥丹」へ行き、遅いお昼を食べた。日本最古の湯豆腐料理総本店を謳う奥丹は創業350年。玄関を上がって長い廊下を奥へ進み、幾つかの部屋を過ぎて池の見える広間へ案内された。料理は湯豆腐の1通り。ただ、昔豆腐と呼ぶ木綿ごしを使う料理は4000円で、ふつうの湯豆腐よりも1000円高い。食べ比べる湯豆腐のも一興かと思い、お腹も空いていたので、それぞれ1人前ずつを頼んでみた。
 湯豆腐では、昔豆腐は歯ごたえがあり、ふつうの豆腐はつるりとしている。ゆず味噌で味付けした豆腐田楽を食べてみると、昔豆腐の味わいが際立つ。風味があって、口の中で味噌の味とよく折り合う。あとは、海苔・しその葉・しいたけ・オクラ・山芋のてんぷらとご飯がついて、さすがにお腹はいっぱいである。清水坂を歩いて、お茶漬け用の大き目の茶碗を買ってきた。
 

 夜、いつものようにウロウロしていたら、「明日、空いてる?」とお誘いの電話。僕に合わせて11時のスターとにしたと言われては、断るわけにはいかない。明日は日本全国秋晴れでゴルフ日和、そろそろ家に帰らなきゃ。



【22】新装成った「丸ビル」と、雲の中の東京都庁展望室
    (9.16)



 昨夜は野球を見ながら寝てしまって、午前3時ごろに目が覚めた。連休で手持ち無沙汰だったので、新装成った「丸ビル」を見に行こうと思い、朝一番の近鉄丸ビル特急に乗った。名古屋発7時26分の『のぞみ』もガラガラで、9時過ぎには東京に着いた。
 昭和4年の大ヒット「東京行進曲」の2番で『恋の丸ビル あの窓あたり 泣いて文(ふみ)書く 人もある ラッシュアワーに 拾った薔薇を せめてあの娘の 思い出に』と歌われた丸ビルは、新装成った今、観光スポットとして大人気らしい。今日も休日ということもあって、はとバスからたくさんの人が降りてきたりして、ひどい混雑であった。        新装なった丸ビルの1階 →
 「東京行進曲」の4番で『シネマ見ましょうか お茶飲みましょか』とあるので、コーヒーでも飲もうと思ったのだが、喫茶店はどこも混雑している。流行のスターバックスで空いている席を見つけ、「ラテ」を飲んだ。
 表に出ると、人出が多いからか前の交差点で交通整理をしている。東京駅の前に「井上 勝」という人の銅像が見えたので、交通整理官に「井上 勝って、誰?」と聞くと「知らない」と言う。「警視庁の採用試験に出なかったの?」と言うと、「僕、ナントカ警備会社です」と言ってい東京駅での結婚式た。
 井上 勝は長州藩士で、伊藤博文らとともに欧州に留学し、鉄道の建設技術を学んだ。帰国後、日本の鉄道敷設に一生を捧げ、「日本鉄道の父」と呼ばれた。(帰ってから調べた。)


← 東京駅の碑石の前で結婚式の記念撮影。道行く人はみんな拍手!


 八重洲通り地下の銀座アスター(中華料理店。名古屋の東急ハンズに店を出していて、美味しいメニューが揃っている。ここ八重洲店はオープンキッチンで目の前で作ってくれる。)で昼食をとったのが1時。このまま下りの新幹線に乗るのも早いので、新宿へ出て東京都庁に寄ることにした。都庁ビル
 雨模様の空に屹立する都庁ツインビルの先端は雲の中に消えている。54階の展望室は雲の中。見渡都庁展望室よりの遠景す東京の町並みも霞んでいた。
 京王プラザでコーヒーを飲んだあと、新宿を歩いてみた。たまにはこの雑踏の喧騒の中に身を委ねに来ないと、人間がボケるなと思いながら歩いていた。


     都庁ツインビルの先端は雲の中→


← 54階 南展望室殻の眺望。どこまでも広がる町並みは霞んでいた。


 東京の友人知人の皆さん、連絡も入れずにゴメンナサイ。久しぶりの東京だったのですが、急に思い立って行ったので、誰にも連絡できず、顔を見られないままに帰ってきました。胸を撫で下ろしている君、近日中に行くからなッ!




【21】三千院秘仏ご開帳と川床料理「富美屋」            (9.8)


 9月7日から、いつもの仲間とスコットランドへ出かけることになっていた。ところが、お盆過ぎに母が心筋梗塞で入院し、医師に「連絡のつくところに居てください」と言われて、断念のやむなきに至った。で、昨日から、京都に来ている。
 市内から高野川を遡ること12q、大原の里の東の山麓に代々皇族のかすかに色づく三千院の紅葉男子が法灯を受け継ぐ門跡寺院「大原政所」を「三千院」と改めたのは明治四年のことである。その三千院のご本尊薬師如来さまが、開闢以来はじめて一般に公開されると聞いて、何はともあれご尊顔を拝し奉らねばと飛んできた。
 1200年の時を経て黄金に輝き、かすかに微笑まれる立ち姿は、あやしく優美であった。御仏は男体でも女体でもないと聞いた覚えがあるが、観世音菩薩の母なるやさしさに対して、口ひげをたくわえられた薬師如来は父の慈愛を湛えておられる。何よりも1200年の長きに亘って、宸殿(しんでん)の扉の奥に佇んでおられたことだけでも神秘的であった。
 鴨川の川床
 午後8時30分、先斗町の「富美屋」へ出かけた。京都の友人は、「夏の盛りの床席は、夜も全然涼しくなくて、暑いだけだった」と言う。でも今夜は涼しくて、半袖のスポーツシャツでは少し寒いぐらい。9席の床は満席。昼過ぎに予約の電話を入れたのだけれど、川縁の席を確保してくれてあって、つい来年の8月16日(大文字焼き−五山の送り火)の予約も頼んできた。富美屋 小エビの揚げ物
 『夏は河原の夕涼み 白い襟あし ぼんぼりに かくす涙の口紅も 燃えて身をやく大文字 祇園恋しや だらりの帯よ (祇園小唄 2番)』
 先斗町の舞妓さんは5人になってしまったと言っていた。宮川町などから応援にきてもらっていると…。気がつくと午後10時をまわっている。いつの間にか周囲に客の姿はなく、また最終の客になってしまった。




【20】炎のかまど、煮炊きのかまど、蒸しのかまど 「竈(へっつい)」 (9.1)


 「竈」と書いて、「へっつい」と読む。いわゆる「かまど」のことである。名古屋の本町通り、朝の5時までやっている。半月ほど前に店の前を通りかかったとき、「寄っていってくださいよ」と声を掛けられたのを思い出して、夜中の12時半ごろから、出かけてみた。
 店へ入ると、カウンターの中央に大きなかまどが据えられている。ちょうどその前の席しか空いてなくて、顔が熱かった。
 炎のかまど、煮炊きのかまど、蒸しのかまど…など、かまど料理を売り物にしているのだが、例えば炎のかまどのメニューは、スゥイートじゃがポテト・シーフードナンピサ゜・里芋の田楽・長芋ともちのとろろグラタン…など、あぶってある料理というわけだ。
 注文は、蒸しのかまどから「大籠包」、煮炊きのかまどから「牛タンと夏野菜のマスタード和え」、生もので「漬けマグロの山掛け」、小腹が空いていたので「あんかけチャーハン」を頼んだ。
 大籠包は上海籠包小館に及ぶべくもないが、牛タンと夏野菜はマスタードがツンと効いていたし、マグロは漬け汁に味わいがあった。チャーハンもアンの具合が八宝菜風で美味しかった。夜中に食べるものは、何でも美味しい。
 帰路、西空に傾くのは26日の月ぐらいか。台風一過、空気が澄んで、かすかな月明かりに浮かぶ雲も山の端も、秋の爽気を思わせて凛としたたたずまいであった。

東山スカイタワー
【19】50万ドルの夜景「東山スカイタワー」   (8.29)


 地上230mからの夜景を見ようと思い立ち、夕食を兼ねて「東山スカイタワー」へ行ってみた。久しぶりに動植物園も訪問したかったのだが、所用繁多の日々なので、夕方から東名阪を走っていった。
 実は26日にもこの東山へ行ったのだけれど、月曜日でお休み。栄のラ・ベールという圧倒的に女性客の多いレストランで居心地の悪い食事をしてきた。
50万ドルの夜景 東山スカイタワーから
←夜のスカイレストランは、栄・名古屋駅方面を望む、西向きの席がお薦め。
 広小路通りの向こうに、駅前のツインタワーが見える。


 料理は、ディナーコースよりもお手軽なアラカルトがお薦めだ。チキンカレー&ナンは風味のあるカレーに仕上がっていたし、スズキのポアレも少し味が重いけれど香りよく焼きあがっていた。フィッシャーマンスパゲティまで頼んだのは勇み足で、ほとんど残してしまった。
 東京・大阪の光の広がりに比べると迫力不足の感はあるけれど(だから50万ドル!)、夜景の輝きはひとつひとつが物語を秘めていて美しい。



【18】魅惑の小籠湯包(シャオロンタンパオ)   (8.23)上海湯包商館


 小籠湯包は、柔らかな肉餡をたっぷりの肉汁とともに薄皮で包んで蒸しあげた点心料理である。包んだ肉餡を高熱で蒸すことにより中で肉皮凍(煮こごり)が溶けだし、得も言われぬおいしい肉汁となるという。          名古屋栄「上海湯包小館」→
 中国の清朝期に上海で生まれ、台湾で熟成されたという小籠湯包を、本場の味で食べさせてくれる小館があると聞いて出かけた。昼間ゴルフでちょっと疲れていたけれど、美味いものを食べるのにひるんではいられない。夕方の時間帯には席待ちの人が久屋通りに溢れるという、名古屋栄の「上海湯包小館小籠湯包」がその店だ。
 蒸籠(せいろ)で蒸しあげた小籠湯包が運ばれてくる。きざみショウガの入った小皿に、黒酢と醤油を混ぜ合わせて、蒸籠の中で湯気を立てている小籠湯包のひとつをつまんでひたす。ほどよく味を絡め、レンゲに乗せて口元へ。肉汁をすすり、アツアツのうちに味わう薄皮のしなやかさと肉餡の旨み。中華的蠱惑(こわく)が口の中に広がる。
 取り合わせに頼んだ「上海シュリンプ」のピリ辛さも、小籠湯包のまろやかさと対比して味を引き立たせ、絶妙のマッチングであった。
 ガラス戸の外は、夜更けの大通り。大きな声で笑い合う若者の一団、肩を寄せ合うアベック、蛇行する酔っ払い、お勤め帰りの女の子などが行き交う。午前2時15分オーダーストップ。いつの間にか店内に他の客の影は無い。




【16】コンビナートの町の絶景レストラン 「グランデ−ル」       (2002.8.11)


 このレストランを紹介するには、まず30゜ほどの傾斜の急坂を車で上り下りできるかどうかを伺わなければならない。住宅街の中の細い道を縫っていって、最後の50mはエイッと掛け声をかけてアクセルを踏まなければならない急激な上りをクリァしないと、玄関のドアに辿り着けないからである。
 この上りを紹介しただけで、このお店に行ったことがある方は、思い出していただけるかもしれない。それほど強烈な上りなのである。お店の人は、「連絡いただければ、運転のお手伝いに行きますよ」と言ってくれる。それほど強烈な上りなのである。四日市采女町で「急な坂のレストラン」と聞けば、すぐにわかる。
 その上りを這い上がって行くだけの価値は十分にある。店内に入ると、南東に広がった窓から暮れゆく四日市の町並みが一望され、前庭の右奥には音を立てて滝が流れ落ちる。
 料理は、アラカルトも豊富だが、10000円ほどのおまかせコースを頼めば間違いがない。アミューズに出されたマッシュルームの冷製クリーミースープを口にしたとたん、フレンチの世界に引きずり込まれる。前菜もメインもよい味わい。特に、分厚く切った子牛ロースのポワレは、口に含むとソースの香りがかすかにして、噛むとジュワッと味わいが広がる。
 このシリーズでは、味がいまいちのときは味に触れないことにしているのだが、美味しいときは美味しいと紹介することにしている。お酒の飲めない私にはワインの講釈ができないのが残念だが、ワインメニューに並ぶ種類も豊富だ。
 午後8時ごろ、裏山に住むタヌキの一家が遊びに来た。ご主人が前庭に料理の余りを並べると、お行儀よくそれを平らげていく。ナイフとフォークもほしそうだった。



【17】ちょっと笑える看板見つけた!  国道306号線 鈴鹿地内
日焼けサロン ワンちゃん日焼けサロン ミスター

  何の看板か わかりますか?


 四日市の絶景レストランへ行く道で、ちょっと笑える看板を見つけた。何処かで見たおじさんが微笑んでいる。ミスターじゃないか。
 Uターンして見に行った。何の看板かと思ったら、日焼けサロンの宣伝だ。こりゃぁ、モチロン肖像権の無断使用だろう。長嶋さんが、「ぁっ、いいですよ。どうぞどうぞ」と言ったとは思えない。
 裏を見たら、ワンちゃんだった。無断使用、確実だぁ!


 すぐそばに「日本だるま教本部」と書いた看板もあった。達磨さんがギョロリと睨んで看板を掲げている。この辺は、天才看板師が輩出しているのか。



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