【116】 
京都の桜 2007  桜便り 第2弾              2007.04.03
   − 醍醐寺 毘沙門堂 山科疎水 蹴上インクライン 南禅寺 京都府立植物園 −


 先週、京都の友人から、『醍醐寺宝蔵院の枝垂れ桜が満開』とのメールが届いた。気になりつつも、年度末の仕事に追われて身動きできず、やっと一段落した今日、午前5時起床…。遊びに行く日の章くんの朝は早い。



 8時30分、境内の駐車場へ。ここ6〜7年、桜の季節に醍醐寺へ来ているが、この駐車場に車を入れることが出来たのは、久しくなかった。朝早くに来た甲斐があったということだろうか。




   
参道の染井吉野は満開…。駐車場から、
    桜のアーケードをくぐって三宝院へと向かいます。→

    
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醍醐寺三宝院の枝垂桜


← 三宝院前庭の枝垂れ桜、
 相変わらずあでやかだ。
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宝蔵院の染井吉野









 宝蔵院の桜たちは、ちょっと盛りを過ぎていました。
 大きな枝振りで、豪快に花を咲かせる染井吉野の大木を、今年はうしろからパチリ…。
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← 奥庭の枝垂れ桜は、足元一面に花びらを落としていました。【拡大】


 この枝垂れ桜は盛りを過ぎていても、その優美なたたずまいは変わらず、1本の桜木としては、今まで見てきた桜の木の中でやはり一番の姿であると思う。
  






  特別出演(笑)。2003年に訪れたときの写真。
  霊宝館の脇から、アングルを下げてパチリ!【拡大】



 満開時には、かくもあでやかな姿を見せる。この枝垂れが満開のとき、寺内のほかの桜は、まだ5〜7分といったところだ。

  

       出番を待つ、ボタン桜の先輪とつぼみ【拡大】 →



 同じ桜を何年も見ていても、毎年、桜たちは異なる彩りを見せる。見るものの、その年そのときの生き方や置かれた環境・立場、気持ちなどによって…。『年々歳々 花相似たり、歳々年々 人同じからず』…。




 JR山科の駅を北へ越えて、車が1台やっと通れるほどの道をしばらく行くと
、5分ほどで天台宗五箇室門跡のひとつ「毘沙門堂」に辿り着く。

 略歴をたどると、護法山出雲寺と号し、703(大宝3)年、文武天皇の勅願で僧行基によって出雲路(上京区・御所の北側)に開山。江戸期の1611(慶長16)年、天台宗の高僧天海によって復興。1665(寛文5)年、高弟公海によって、現在の地に再建され、後西天皇の皇子公弁法親王が入寺して、門跡寺院となった。


← 1300年の歴史を秘めた古刹は、桜の花にあふれていた。【拡大】

  



  


← 前庭にある
 樹齢150年の枝
 垂れ桜
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   咲き誇る桜の木の下で、着物雑誌の撮影をしていた。
   モデルの女の子の 顔の小さいこと…、手の指の長いこと…。

  







 久しぶりに美人を見て(笑)、なんか得をしたような思い…。
 『こいつぁ 春から、縁起が良いわぃ!』



 後西天皇の旧殿を賜った宸殿内には、狩野益信の筆による、どの角度から見ても鑑賞者が中心位置に来るという逆遠近法を用いた襖絵が描かれている。見る人の位置によって、絵が動くことで知られている。
 東海道脇にあって、家康の腹心であった展開が再考した寺ということもあってか、諸大名の休憩処にもあてられていた。動く襖絵に、諸大名も旅のこころを慰められたことだろう。


 
↑ ほらね、顔は小さくて、手の指が長いでしょう。【拡大】




  毘沙門堂仁王門前の急な石段を降りて参道を下ると、川幅はさほど大きくはないけれども、両岸をコンクリートで固め、緑の水を満々と湛えた川をまたぐ。琵琶湖の水をくみ上げ、京都盆地へ流し続けて来た、琵琶湖疏水の山科部分である。




← 疎水に沿って、1Kmほど堤防を歩いてみた。年を経て大木となった桜の並木が川面に垂れている。【拡大】




 堤防沿いに植えられた桜並木は、明治18年から5年をかけて建設された疎水の歴史を物語るかのように大きく成長し、毎年見事な花を咲かせている。

  






 植えられた菜の花の黄色との対比がきれいでした。
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 九条山のふもとを抜けて、蹴上から京都の市内へと入った。ウエスティン都ホテル京都の前を右にとって、南禅寺の駐車場に車を止める。
 南禅寺の方向とは逆に向かい、蹴上インクラインを歩いてみるつもりだ。



← 琵琶湖疎水の京都側出水口。正面の建物は、
 岡崎船溜まりに建つ琵琶湖疏水記念館
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琵琶湖から汲み上げられ、疎水を流れてきた水は 、ここで京都市内へ落ちる。



 明治14年2月,都が東京へ移されて衰退の一途をたどる京都府の知事に任命された北垣国道は,琵琶湖の水を京都へ引く疏水を開削することにより,動力(水車),灌がい,防火などに利用するとともに,琵琶湖と宇治川を結ぶ水運を開き,京都の産業を振興しようとした。
 明治18年1月29日、政府の起工特許を受け,同年6月に着工,明治23年3月に大津から鴨川合流点まで完成し,そこから伏見までは明治25年11月に着工し,明治27年9月に完成した。
 琵琶湖から汲み上げられた水は、数多くのトンネルをくぐって蹴上まで導かれ、ここから岡崎の疎水溜りへ高低差33メートルを下り落ちる。
 水運にも利用された疎水では、蹴上と岡崎の両船溜り間をインクライン(傾斜鉄道)で結び、台車の上に舟を乗せて運んだのである。
 今、水運は鉄道や自動車便にその座を譲り、役目を終えている。廃線となった線路の横には、歴史を物語る大きな桜の並木が続いていて、この季節、人々は線路上を歩いて桜見物を楽しむ。 【拡大】

 

← この台車の上に舟を乗せて運んだ【拡大】


 インクラインの全長は582メートル、明治20年5月着工、明治23年1月竣工、上下を10〜15分で結んでいたということである。

  





  
蹴上インクライン(傾斜鉄道)横にある水力発電。
  疎水の水を送水管に流して発電する、日本で最初の
  水力発電所である。         【拡大】



 この電力は京都の産業を支え、家庭の電燈を点しただけでなく、日本初の市電を走らせる電力にもなった。

 




← インクライン 中ほど 【拡大】

















   
  途中、右手には、桜の間から「ウエスティン都ホ
  テル」が見え隠れする。     【拡大】 →





    インクラインの最上部(蹴上船溜り)から
    振り返った景色        【拡大】 →




←疎水公園に建つ
 田邊朔郎の象
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 当時の京都市年間予算の十数倍という膨大な費用を投入した琵琶湖疏水建設事業は、主任技師として工部大学(現在の東京大学工学部)を卒業したばかりの青年技師田邊朔郎(満21才)を選任して始められた。
 疎水建設を決断した北垣国道京都府知事は、琵琶湖疎水工事計画を題材とした卒業論文を仕上げている田邊の存在を知る。朔朗の情熱に満ちた話しぶりに、北垣知事は21歳の青年技師に事業を任せることを即座に決断したという。
 


  水力発電の送水管を上からパチリ 【拡大】 →


 この発電所は110周年を迎える現在でも稼動していて、関西電力蹴上発電所として京都の家庭に電力を送っている。


 蹴上の分水場から、疎水の分線に導かれるまま、南禅寺へと降りていった。
  

← 南禅寺の境内、水路閣と呼ばれるレンガ造りのアーチ水道橋があり、この上を疎水が流れている【拡大】


 蹴上から加茂川に流れる本線に対して、ここを流れていくのは、哲学の道、北白川に至る分線。
 いずれも、京都の上水道、防火用水、水のある風景を演出するなど、150万市民の生活に大きな役割を果たしている。



  


← 法堂(はっとう)の屋根 【拡大】

  














   
           
法堂横の桜 【拡大】 →






 午後2時30分、園内の桜は満開…との情報を得て、京都府立植物園へ向かった。章くん、学生時代以来、40年ぶりの訪問である。


 入園料大人200円。若いカップルやたくさんの家族連れでにぎわっていた。
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 さすがは植物園、桜だけでなく いろいろな花を楽しむことができる。
 これは、ベコニアの植え込み 【拡大】




















← 植物園が推薦する 本日のおススメ 水色の花。
  名前は… 忘れた!         【拡大】





 府立植物園のホームページを覗いてみると、「ソメイヨシノただいま満開です!(4月4日(水曜)現在)」とあり、さらに、
   ソメイヨシノ☆…満開     シダレザクラ(一重)☆…5分〜満開
   ヤエベニシダレ☆…満開    ヨシノシダレ☆・・・つぼみ ※当園初お目見えのサクラ。
   エドヒガン…満開       ヤマザクラ…満開〜散り始め    オオシマザクラ…満開
   タイザンフクン…つぼみ    ウコン…つぼみ       イチハラトラノオ☆…つぼみ
   シダレザクラ(大枝垂)…満開     カンザン…つぼみ   カントウアリアケ…つぼみ
   タイハク…つぼみ    キクザクラ☆…つぼみ   バイゴジジュズカケザクラ☆…つぼみ
   ギオウジギジョザクラ☆…つぼみ    ギョイコウ…つぼみ   タオヤメ☆…つぼみ
  とあったのは、さすが植物園…。
   

 それにしても、桜って たくさん種類があるんだァ。        
【拡大】


  雪柳の白、チューリップの赤など
 との織り合わせ 【拡大】













  


         銀閣寺道の桜並木 【拡大】


 今年の桜は開花は早かったけれど、このところの冷え込みで、少し足踏みしているよう。
 京都の桜も、花の早い醍醐寺を除いては、7〜9分咲きといったところ。見ごろは、8・9日の土・日からの1週間といったところかな。






【114】 
 見っけ! − 2007 桜便り 第1弾 −
 
            07.03.15
 
 
 …略… 「お前、タイから冬を連れてきたのか」と言われている章くんとしては、一日も早い春の到来が待たれるところだが、今日、天理市の桜並木で少し大きな春を見つけた。(以下、本文へ)






【113】  − 2007年の年頭に際して 富士山を見てきました − 2007.01.09


 明けまして おめでとうございます。
 今年も よろしくお願いいたします。


 昨8日の月曜日が成人の日で、6日(土)・7日(日)と合わせて、年末年始にたっぷり休んだというのに、またまた3連休…。
 2007年の日本は、今日9日から正月気分も抜けていよいよ活動を始めることだろうから、僕も寝ッ転がってばかりではいけないと思って、富士山を見に出かけた。
 昨日まで、北海道の東海上に居座った猛烈な低気圧のせいで、日本のほぼ全域で強風が吹き荒れたからか、今日の空は澄み切っている。伊勢自動車道から東名阪〜湾岸道と走り、豊田JCTから東名に乗った。お正月明けで、道路も空いていて、快適なドライブである。
 お昼、焼津インターで降りて、焼津ホテル内の海鮮割烹「八丁櫓」で、まぐろの刺身と炙り丼を食べた。づけ丼やねぎとろ丼など、まぐろ丼の種類が揃っていてちょっと迷う。
 世界的にまぐろの漁獲量が制限され、近年、まぐろが食べられなくなるのではないかとささやかれている。まぐろ大好きの僕には耐えられないことだが、せめて今のうちにということで、焼津・清水でまぐろを食べることも今日の目的のひとつである。



 
 再び東名に乗り、東へ向かう。日本坂トンネルを抜け清水を過ぎて間もなく、由比ガ浜にかかると前方に
富士山の秀麗な姿が見えてきた。
 富士川SAでコーヒーを飲みながら、その姿と裾野の雄大さをひとしきり堪能したあと、富士インターで降りて、富士山の南山麓を走る「富士スカイライン」を東へたどった。
 仰ぎ見る山頂は、雪を抱いて輝いている。富士山頂の月平均気温は、夏の一時期を除いてほとんどが氷点下で、年間平均気温は−7.1℃とか。山頂は風も強くて、1年を通じて西北西ないし西風が吹き、年間平均風速は秒速12m。最大瞬間風速は、1964年10月5日に記録した91.0mで、平地での最大記録が室戸岬の84.5mであることを考えると、山頂の気候の厳しさがうかがえる。
 山麓を西へ抜け、御殿場インターからまた東名に乗って帰途に就いた。
 清水インターで東名を降り、「清水すし横丁」を目指す。この横丁は、清水エスパルス・ドリームプラザというショッピング・映画館・イベント施設・遊戯場などを持つミュージアムエリアで、その一角に10店が軒を並べる「すし横丁」がある。
 案内には「ネタ、腕、サービスに自信のある10店の寿司屋が立ち並ぶ清水すし横丁。本格江戸前寿司から期間限定出店の「全国有名寿司」、自分の店を構えたい職人のやる気を応援する「登竜門」など、個性あふれる様々な寿司屋が立ち並ぶ。港まち清水、寿司処清水で腕を競うすし店横丁」とある。
 「新春祝い膳」と銘打ってのイベントが開催されていて、各店で正月らしい華やかな盛り付けが競われていた。パンフレットから一部を紹介しよう。
新春 彩り握り ¥5,000 新春 祝い握り ¥3,780 鮪のミルフィーユ ¥800










 全国有名寿司店出店イベントに尾鷲の寿司屋「魚健」さんが出店していたが、こちらへはまた尾鷲に行ったときに寄せてもらうことにして、「勇喜寿司」に入る。とにかく今日は鮪を食べるぞ…ということで、「極上南鮪づくし(握り)と鮪盛り合わせ(造り)、にこごり、ネギトロ、かま焼き」を頼んだ。
 にこごりはちょこっとだけだが、ダシがよく効いていて濃厚な味。ネギトロはマグロの中オチをつかったもので、文句なくうまい。僕はワサビ好きなので、ついつい醤油を多く使ってしまう邪道に走りがちなのだが、今日はそれを控えて、鮪の新鮮な甘味を嗅ぐように心かけた。
 鮪づくし(握り)には、大トロ・中トロ・赤身・づけ・ネギトロ軍艦・鉄火巻き…と、まぐろ寿司が揃っている。途中にちょっと、他の味が欲しいときには、うに・あんきも・白子など食指の動くメニューも多い。
 まぐろを食べ尽くし、堪能して店を出たはずなのだが、腹のどこかに「まだ食べられるぞ」という空き間があったのは、どうしたことだったのだろう。


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