【136】
京都の秋 2007
−高尾・清滝・大覚寺・上賀茂神社・貴船−
2007.11.17
「高尾の紅葉が見ごろを迎えています」とテレビのニュースが伝えてい
ます。
天気よし…、午前4時30分出発。
京都の紅葉は、町中では色づき始めたところで、全体的には30%といったところでしょうか。
ただ、洛西の三尾と名高い栂尾・槇尾・高尾では、見ごろのあでやかな秋に出会うことができました。
神護寺参詣道の茶店にて
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→
4時30分、出発。これならば渋滞にかからずに、7時までに市内を抜けることが出来るだろうとの計画だったのですが、順調すぎて、午前6時50分、栂尾高山寺駐車場へ到着しました。
すでに4〜5台の車か待機中…。高台寺の開門は午前8時30分からと描かれていました。
← 駐車場前のモミジはすでに色づいていました。
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ただ、山間の地なので朝日が届くのが遅く、日陰の写真で
色が薄くなってしまいました。
開門まで1時間40分。持っていったおやつをかじり、午後の紅茶を飲み、車にいつも積んである渋滞用の本を読みながら、ゆっくりと待ちました。しばし、ウツラウツラとひと眠り…。
栂尾山高山寺
8時10分、他の車の人たちが、次々と高山寺へ向かい始めました。「あれっ、もういいのかな」と僕も裏参道を登っていくと、入山券を売る受付にはすでに男の子が座っていました。ハイシーズンの土曜日だから、開山を早くしたのでしょうね。
裏参道の階段途中から獲ったモミジ →
石段を登ったところのすぐ右手にある「
石水院
(国
宝)」。 中興開山の明恵上人が、後鳥羽上皇の別邸を
移築して学究の居宅としたものとか。 →
客殿で受付を済ませ、石水院へと渡ります。
← 渡り廊下の先に、小さな童子の像が立っていて、訪れる客を
出迎えてくれる。「
善財童子
(ぜんざいどうじ)」です。
童子は、『華厳経入法界品』に登場する、インドの長者の子。ある日、仏教に目覚め、文殊菩薩のお導きにより、様々な指導者(善智識)を訪ね歩いて仏教の修行を積ンでいきます。最後に普賢菩薩のもとで悟りを開くという、菩薩行の理想者として描かれています。
廊下で踏ん張っている前財童子 →
前財童子の話。『 …。文殊菩薩はんが、「池にひっそり咲いてる蓮の花上にも、仏さんが居やはりますのや」と言わはった。
善財は、ほんまにびっくりした。池に走っていって、蓮の花を見たけれど、花の上に仏さんなんか見つからへん。
善財は、文殊はんに、「どないしたら、私にも蓮の花の上の仏さんが見えますやろか」尋ねた。文殊はんは、「偉い人のとこ行って、どないしたらえーか、丁寧にお聞きやして、教せてもろたことを一所懸命気張って身につけ、世の中の人の為に働けるよーに成らんなん。南の方においやす、クドクウンてゆーお坊さんにお聞きなはれ。」て、教せてくれはった。
善財は、それを聞いて喜び、南の国への旅に出てくことにしたんや。… (以下省略です)』
← 石水院の縁側
紅葉の盛りには、ここへ座り込んで呆然と紅(くれない)に染まった山を見上げている人たちであふれます。
開山堂、金堂を経て、表参道へ回りました。
さまざまな写真集でも見る、
高山寺表参道の石畳です
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→
でも、まだ紅葉は50%…。
全山が真っ赤に染まると形容される、このあたり一帯の紅葉の盛りは、来週あたりなのでしょう。
表参道から下の道へ出て、西明寺へ向かいました。
槇尾山西明寺
← 西明寺へ渡る錦橋のあたりは、見
ごろの紅葉でした。
坂道を少し登ると
山門です。 →
← 境内の紅葉も、ちょうど見ごろ…
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客殿の前の大モミジも、見ごろを迎えて
いました。最盛期の頃には、もっと赤みを
増すのでしょうか。 ↓
庫裏の前を抜けて、神護寺を目指しました。
高尾山神護寺
← 神護寺下の紅葉…
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写真右下の階段から登っていきますが、その数は350段。ほとんどの人は、途中で一息入れることになります。
登り始め。まだ、緑のモミジも
数多く見かけられました。→
高尾山神護寺は、平安京の設計者である和気清麻呂の建立による、国家護持を司るお寺です。
最澄も空海も このお寺で学究修行をしていますから、平安仏教発祥のお寺であるともいえます。
← 階段途中…(250段ぐらいかな)の
高尾茶屋
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350段もある階段ですから、このあたりで誰でも休憩したくなります。
それにしても、見事な紅葉です。
ぜんざい 600円、 コーヒー 420円。 →
もちろん 食事もできます。
途中、2度の小休止と1度の大休止(コーヒー)をとりながら、350段の石段を登りきりました。
←
山門
前の 覆いかぶさるようなモミジです。
山門を入ったところの境内 →
←
金堂
にいたる階段
「まだ登れと言うンかい!」
境内最西端、
地蔵堂
前のモミジ林 →
ようやく空高く上がった陽光を浴びて、輝いていました。
← 地蔵堂前の庭から眺めた清滝川…、このあたりは「
錦
雲峡
」と呼ばれるモミジの名所です。
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この千尋の渓谷へ向けて、素焼きの陶器を投げる「かわらけ投げ」の場があります。
2皿100円。 遠くへ飛べば願いがかなうとか言われていますが、僕は300円6皿も買ったのに、1枚も遠くへは飛ばず、すぐ下へヘナヘナと落ちるばかり。
こりゃぁ、当分 願いはかなわないなぁ。
11時過ぎ、登ってきた石段を下ります。 →
石段の途中にあった「硯石亭」に入りました。
【拡大】
↓
上下前後左右…紅葉のオープンテラスで、朝昼兼用食
「湯どうふ御前」を食べました。
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→
紅葉に囲まれてつつく湯豆腐も、また格別です。
← 名物は「もみじ餅」
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道明寺餅の上に自家製のあんをのせて作った一口サイズのお菓子です。 630円。
高尾〜清滝 東海自然道
神護寺下の「東海自然道」入り口 →
ここから、約3.5Kmの清滝川に沿ったトレイル
コースが始まります
。
← 清滝川の流れは澄み切った清らかさで、色づいたモミジの影を写していました。
道は、時に河原を歩き、時には山を登る、
結構ワイルドなコースです。 →
日頃の不摂生のたたりか、子供連れの家族、お年寄りのペア、おじさんおばさんの一団…など、何組の人たちに抜かれたことか(苦笑)。
← ところどころに 鮮やかな紅葉が見られました。
錦 雲 峡
途中の紅葉の名所「錦雲峡」→
ハイキングの人たちが、お弁当を広げていました。
← 木漏れ日の下で 憩いを取る人たち…。
そして道はまた 岩山の続く山道に… →
← 小さな滝(?)がありました。
清 滝
歩くこと1時間30分、清滝に出ました。→
市内から遠くはなれた 京都の隠れ里は、あでやかな錦に包まれていました。
← 赤い橋は、愛宕山登山道の入り口「渡猿橋」です
河原へ降りてみると、両岸の紅葉は
覆いかぶさるような迫力でした。 →
高尾から、「ええい、歩いてみよう」と思いつきで清滝まで歩いてきたけれど、車を置いてきているから、高尾へ戻らなくてはなりません。
「タクシーは…?」と探したけれど、1台もいない。しばらく歩くと、京都バスの始発停留所があって、バスが止まっています。
「高尾へ行くには、どこで乗り継げばいいの」と聞くと、「高尾は嵐山を越えて市内へ戻り、今出川あたりで高尾行きに乗ることですなぁ」と言う。
バスを待っている人たちが、口々に「高尾やったら、川沿いに歩いていったらええよ」「4Kmぐらいやから、バスを乗り継いどるよりも早いよ」と教えてくれます。
「僕はその道を歩いてきたンです。もう歩いて帰るのはゴメンだ」と説明すると、「清滝へ空で来るタクシーは1台も居りまへんで…。」「嵐山までバスで出て、そこからタクシー
を拾いはったらよろしいがな」と知恵を出してくれました。
バスに揺られて嵐山に向かったところ、途中で「大覚寺前」のコールを聞いて下車…。どこまでも、行き当たりばったりです(苦笑)。
バス停から大覚寺まで歩いた畑中の道に、
柿木がたくさんの実をつけていました。→
大覚寺
← この写真は JRの「そうだ京都行こう」のポスター、
大沢池から見た大覚寺が、真っ赤な紅葉の中に写されて
います。
僕が対岸から撮った写真 →
もちろん、JRに対抗するつもりはありません。
← 嵯峨御所と呼ばれた頃をしのばせる女官の人形が展示されていました。
旧嵯峨御所大覚寺門跡は、平安時代初期に在位した嵯峨天皇の離宮を、空海が宮内に五大明王を安置する堂を建てたのが起源とされます。
鎌倉時代になると、亀山法皇や後宇多法皇が入寺し、ここで院政を行ったため「嵯峨御所」とも呼ばれました。
皇室ゆかりの寺院であり、代々法親王が住職となった門跡寺院であるため、現在でも御所風の雰囲気が感じられます。
← 鯉にえさをやっている人たちがいました。
そのえさを狙って、水鳥たちが集まっています。
春には桜の花が心経宝塔を包んで
あでやかな錦絵を描きます。 →
門前でタクシーを拾って、高山寺駐車場へ戻りました。車に乗り換えて、「嵐山・高尾パークウエイ」を走って、再度、嵐山へ抜けました。
高尾−嵐山パークウエイ
← パークウエイの大駐車場からは、眼の下に神護寺が望まれます。
←
保津峡展望台
。
逆光に 保津川が銀色に光っていました。川の横を、トロッコ列車が走っているのが見えます。
天皇・皇后両陛下や外国元首も、車を降りて展望されたという絶景のビューポイントです。
インターネットで「天竜寺ライトアップ」の情報を得ていたのですが、僕は「大徳寺」と勘違いしてしまって、天竜寺の前を走りぬけ、北大路を目指しました。門前で、勘違いにに気づきました。
でも、もう引き返す気にもならず、近くの上賀茂神社も紅葉見ごろの表示だったのを思い出し、行ってみました。
←
上賀茂神社
桓武天皇の御代に都が京都に遷されて以来、皇城鎮護の神、鬼門の守り神、総地主の神として崇められてきました。
雷(いかづち)の御神威により、厄を祓いあらゆる災難を除き給う厄除(やくよけ)守護神として広く信仰されています。
渉渓園(しょうけいえん)に流れる小川に杯を流し、小川のほとりで待つ歌人のもとに流れてくるまでに和歌を詠むという、王朝絵巻「賀茂曲水宴(かもきょくすいのえん)」が催されるのが、この小川です。 →
コーヒーを飲みながら時計を見ると、午後5時30分。まだ夕食には少し早いし、この横の道を北へ走れば貴船・鞍馬に至ります。
貴船のもみじ灯篭を訪ねることにして、上賀茂神社横の鞍馬路を北へ走りました。
貴 船 もみじ灯篭
貴船口駅から旅館街までの2Kmほどの夜道を、歩いている人がたくさんいました。
観光協会駐車場へ車を停めて、ライトアップされた貴船の里を歩きました。
← 店や旅館は赤々と灯を点し、貴船神社への参詣道には訪れた人の足元を照らす露地灯篭が並べられていました。
貴船神社への上り口 →
ここから100段ほどの階段を登ります。
鳥居の横の縁台に腰掛けて、おでんをつついている人が
いますね。
← 神社の階段の途中から、貴船川をパチリ…。
川の中に、モニュメントが飾られているのが見えるでしょうか。
貴船神社本殿、参拝する人が絶えません →
貴船神社は水の神様…。水占いといって、水に浸して文字を浮かべるおみくじを引いていた人が多かったのは、若いカップルがほとんどだったからでしょうか。
旅館街を抜けて、さらに上流の貴船神社奥の院を目指しました。
あたりには街灯も途絶えて、灯篭の灯りだけが足元を照らし出しています。行き交う人の顔も定かでない
暗さです。
奥の院の境内では、琴・三味線の演奏が行われていました→
午後8時、 僕が車を停めた観光協会経営の駐車場から、貴船口駅行きのバスが出ていて、帰りの人たちが並んでいました。
そろそろ店じまいを始めるところもあったけれど、まだ上ってくる人たちも多い中を、僕も帰途に就きました。市内へ戻って食事にします。
先斗町 しば田
。 電話を入れて、「8時30分を過ぎる。温かいものを…」と伝えると、鯛しゃぶを用意してくれていました。
午後10時半、間もなく師走を迎えようとしているのに、どこか
暖かい京都をあとにして、帰途に就きました。
【135】
ゆく秋…
新穂高ロープウエイ・
上高地
2007.11.08-09
10月は何かと忙しく、気になるアルプスの紅葉も、一度も出かけられなかった。やっと一段落した今日、天気予報が全国的に晴れだと言うのを聞いて、紅葉には少し遅いけれど、飛騨と信州の山の秋を訪ねてみた。
東海北陸道を北上します。9時55分 郡上八幡を
過ぎました。 このあたりの紅葉は、50%といった
ところでしょうか。 →
← 「白鳥IC」を過ぎたころには、紅葉もたけなわと
なってきました。
10時30分、「ひるがの高原SA」へ到着 →
← 秋、真っ盛り
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視界いっぱいの紅葉が広がっていました。
正面は大日岳(1907m)、山肌にぐるりと錦の衣をまとっています。
360度、見渡す限りの秋…。
デジカメで撮った写真を無理やりつないでみました。
←「飛騨清見IC」で自動車道を降て158号線へ。
現在、中部北陸道はここまでです。
富山側からは「白川郷IC」まで延びてきているから、未開通部分はあと30Kmほど…。すでに天生峠の下を通るトンネルは開通しているから、来年の7月には完成の予定だ。
しばらく高山方面へ走ったあと、
158号線から分かれて「卯の花街道」へ入り、
古川を目指しました。 →
← 古川町内は秋たけなわ…。
【拡大】
41号線へ出てしばらく走り、11時35分、ドライブイン「数河」で、少し早い昼食をとった。
← この界隈の紅葉も真っ盛りです。
41号線から、神岡で「湯の花街道」(国道471号線)へ入り、南下…。小柴博士のノーベル賞受賞もあって、地下観測所スーパーカミオカンデを擁する神岡は
宇宙素粒子観測の最先端を行く町としても知られている。
栃尾で左折すると、ほどなく新穂高温泉郷…。さらに10分ほど走ると、目の前に北アルプスの荒々しい峰々が見えてきた。
蒲田川の渓谷の向こうに、笠が岳、折戸岳など
北アルプスの壁がそびえています。 →
さらに途中で右折して、山道を登り、鍋平高原へ…。第2ローブウエイ乗り場の「しらかば平駅」は、この鍋平にある。
← 「鍋平駐車場」へ車を停めて、ロープウェイの
駅(「しらかば平駅」)をパチリ。
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背後の山は、笠が岳(2898m)、抜戸岳(2813m)
双六岳(2860m)などの連峰。
新穂高ロープウェイは 第1ロープウェイが「新穂高温泉駅」…4分…「鍋平高原駅」。=徒歩2分=で、第2ロープウェイの「しらかば平駅」…7分…「西穂高口駅」という、乗り継ぎ式になった。
第2ロープウェイは、2階建て120名乗りの
ゴンドラです。 →
ロープウェイのしらかば平駅始発は8時45分、西穂高口駅終発が16時45分(お盆や夏・紅葉期の日祭日は特別時間)。毎時15分・45分発の30分刻み運行である。料金は、大人往復が2700円。
何はともあれ、13時15分の上りに乗って、上を目指すことにしよう。
← ゴンドラに揺られて上がっていくと、
左手に槍ヶ岳(3180m)、大喰岳(3101m)、
中岳(3084m)、南岳(3033m)など、
3000mを越える北アルプスの主峰が肩を
並べています。
【拡大】
やがて、西穂高岳(2909m)が目の前に
迫ってきました。
【拡大】
→
北アルプスの最高峰「奥穂高岳(3190m)」は西穂高の向こう側にあり、その陰に隠れてこのロープウェイからは見えない。
ロープウェイは、7分で「西穂高口駅」へ到着。
←駅舎屋上の展望台
正面の山は、北北西方向の笠が岳。どこから見ても、円錐形の笠の形に見える山であるとか。
展望台から、360度 ぐるりと見回してみよう。
【パノラマ】
北
。
【拡大】
笠が岳、双六岳、→
西
。
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飛騨の山々の向こうに
遠く白山連峰が望まれ
ます。↓
東
↑
西穂高岳
←
南
西穂山荘
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西穂高岳の南南西の尾根にある「西穂山荘」が右のほうに見えている。
展望台にポストがあった。「西穂高駅」の
スタンプを押して、このポストへ投函すると
2156mからの便りが届きます。 →
地図で見ると、ここ「西穂高口駅」から
「西穂山荘」までは、山道を1.5Kmほどの距
離である。さらに山荘から、上高地へ降り
るのに約3Kmだ。
来年の夏には、歩いて穂高を越え、上高地まで降りてみることにしよう…。できれば西穂山荘から尾根伝いに西穂高〜間ノ岳〜天狗岩〜ジャンダルム〜
奥穂高へと縦走し、奥明神沢から重太郎新道を通って河童橋へ降りてこようか。それとも、涸沢カールを回って…。ン、それでは1泊しなければならないかなぁ…
なんて、無謀(?)なことを考えたりしているのだが…。
まずは、足腰を鍛えなくてはいけない。これから1年間、毎日1時間のジョギングがこなせれば…の話ということか(苦笑)。
← 穂高連峰の上に広がる秋空…。
【拡大】
15時15分。そろそろ、下ることにしよう。
ロープウェイの待合室には、もう ストーブが
燃えていました。 →
← 下りのロープウェイの窓から、新穂高温泉郷を見下ろしたところ。
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逆光に、蒲田川の水面が光り、飛騨の山々がかすんでいます
。
「しらかば平駅」の構内には、評判のパン屋さんが
店を開いていて、構内に香ばしい焼き立てパンのかお
りを漂わせていた。 →
←「しらかば平駅」から、焼岳が見えていました。
左側にポコンと突き出た焼岳の頂上から、白い噴煙が上がっているのが見えますか(
【拡大】
してみてください。)
ほとんどのK木が 葉を落としているなかで
ひときわ色鮮やかなカエデがありました。
秋の名残り…といったところでしょうか。→
16時30分、平湯温泉へ入って宿をとった。
山間の秋は夕暮れが早い。宿の部屋から、暮れていく笠が岳の姿が真正面に見えていた。
このあたり一帯の奥穂高温泉郷は、日本で一番 露天風呂が多いところだという。
カメラは ここまで →
宿で、「湯めぐり切符」という、近所の露天風呂を巡る周遊券を貰った。浴衣・下駄履きで巡るには、夜はちょっと寒過ぎたのは残念…(苦笑)。
第2日目。
朝はゆっくり…。10時過ぎに宿を出て、上高地へ向かった。飛騨・信州の秋を送るには、やはり上高地だろう。
沢渡駐車場でタクシーに乗り換えて、大正池まで…。いつも、車で行ける一番奥まで行くので、ここから歩くのは久しぶりだ。
葉を落とした白樺林の間を、
ゆっくりと歩いてみました。 →
← 大正池のたたずまいをしみじみと
見たのも久しぶりでした。
池の向こうに、秋の名残が広がって
いました。
【拡大】
上高地帝国ホテルも、
今年の営業を終了していました。 →
上高地は、11月15日に釜トンネルが閉鎖されて、
来年4月までの眠りに就くとのことであった。
帝国ホテルの横を抜けて、田代橋を対岸へ渡り、
人影まばらな林間の道を行くと、20分ほど…ゆっ
くり歩いても30分ほどで河童橋に着く
。
ハイシーズンには人並みでごった返す河童橋も、今は人影も少なく、静かなたたずまいでした。→
← 梓川の左岸を歩いて、明神池へ向かいました。
ゆっくりと歩いて、30〜40分です。
梓川の対岸に
そびえる
六百山
(2450m)→
明神池の木々もすっかり葉を落として、
ゆく秋を惜しみながら、やがて来る静寂の
冬に備えているようであった
。
【拡大】
← 野鳥が水辺で、一心に何かをついばんでいました。
近寄っていっても、全く動じる気配はありません。
カメラを構えた足元で、水中にくちばしを入れてい
ます。 それを、真上からパチリ…!
明神池から見た奥穂高岳 →
今日は、雲が出たりしていて、なかなか姿を現わさ
なかったのだが、やっとご挨拶することができた。
← 帰路、河童橋から徳沢方向を。
【拡大】
このたたずまいも、あと数日で
今年の日程を終えます。
お昼ご飯を食べようと入った上高地アルペンホテルで聞いた話…、「冬場は釜トンネル前のバス停で降りて、トンネル内を歩いて登るのです。30分ほどで、銀世界の上高地ですよ」と話してくれた。
帰りは高山市を抜け、
紅葉たけなわの「せせらぎ街道」を走って
帰ってきました。
【拡大】
→
【134】
錦秋の御在所 『神さまのぬり絵』
2007.10.31
天気予報を伝えるテレビ画面に、晴れマークが並んでいる。明日からまた天気は下り坂…、「今日しかないか」と出かけてみた。
御在所岳は、三重県と滋賀県の県境にそびえる鈴鹿山脈の最高峰(1212m)。巨岩・奇岩が露出する花崗岩の絶壁に、アカヤシオ・シロヤシオ・ベニドウダンなどが張り付き、赤・黄・緑・オレンジ・紫といろなす山肌の色調は、まさに「神さまのぬり絵」(キャンペーンポスター)と形容される美しさであった。
国道306号線を左に折れて湯の山街道(477号線)に入ると、間もなく正面に御在所岳が現れる。少し出遅れていて、時刻は間もなく正午…。ロープウェイに乗る頃には、お昼を過ぎるだろう。御在所は東南向きの斜面だから、午後になると逆光が多いので、ちょっと心配だ。
ふもとから見上げた御在所岳。
里の紅葉はまだまだで、緑が濃い。→
← ロープウェイ乗り場
「湯の山温泉駅」
右側の建物が2階建てに
なっている立体駐車場。
料金は800円。
ロープウェイの料金は、往復大人2100円。子ども1050円。前で切符を買っていたお母さん、「帰りは、歩いて降りるよ」と、子どもたちを脅していた(笑)。
登り始めるとすぐ 足元に 湯の山温泉郷が広がる。
このあたりも、まだまだ緑一色だ。→
↓ 上るにつれて、鈴鹿の山々が姿を現した。
【拡大】
御在所ロープウェイは、湯の山温泉駅と山上公園駅間約2.1kmを、12分で結ぶ。両駅の標高差は約780m。運行システムはゴンドラ38台(最大)を約1分間隔で運行する、複線自動循環式である。
← 中腹。
花崗岩の岩肌が、木々の間から白い姿を見せている。このあたりから、少し色づきはじめた。
ときどき 岩肌を飛び移っていくニホンカモシカの姿を見ることがでる。
足元の風景は、赤・黄・オレンジ・緑などの
ちぎり絵の世界が広がります。→
【拡大】
← 七合目あたりから上は、紅葉真っ盛り…。
「山上公園駅」へ着いた。
駅舎の窓の前に広がる、御在所岳山頂。左手の小高い山に「御嶽大権現」が鎮座ましましている。観光用リフトが走っていて、5〜6分で運んでくれる。 →
← 駅舎を出ると、右上に雨量レーダーのドームがそびえていた。
空は真っ青…。ドームの上に 薄い秋の雲が浮かんでいた。
← 山肌を真っ赤に染める紅葉…。その向こうに、伊勢平野、伊勢湾が広がる。
山上の紅葉は120%…。 歩経路の両側の紅葉も、
ちょっと盛りを過ぎたカンジであった。 →
← 富士見台。山麓の東側に突き出た岩の上に
設けられた展望台だ。
丸い岩の上にコンクリート製の柵を打ち込んで囲ってあるだけで、「寄りかかってポキッといったら、どーするんだ」と考えると足がすくむ。
「足もと注意」と書いた看板がかかっていた。
その富士見台展望台へ這い上がって
撮ったのが この写真…
【拡大】
→
絶壁の紅葉とその横を行くゴンドラ。
高所恐怖症の僕には 命を賭けたショットだ(笑)。
← 南側には、鎌ヶ岳がそびえている。
【拡大】
僕は 高校時代に 山岳部の連中と この頂上に登ったことがある。
「鈴鹿の山ぐらい…」となめていた僕は、日頃はいていた革靴で参加したのだが、上り始めてすぐの長い石段でバテてしまい、石段をあがったところの茶店の縁台でしばらく寝ッ転がらせてもらった覚えがある。
しばらく寝た後は体が慣れたのか、山岳部と一緒のペースでスイスイと登頂…。伊勢平野を睥睨することができた。
でも、鎌ヶ岳の頂上はとがっていて、後から来る人で混み合って、ゆっくり座ってもいられない。革靴では ずり落ちてしまいそうだった(苦笑)。
色づいた木々の間から、「御嶽大権現」の
お社が見えている。
【拡大】
→
← 山頂の上空を ゆったりと
パラグライダーが舞っていた。
← 「山装う」とは、このようないでたちを
言うのでしょうか。
カマキリ君から見た、ロープウェイ山上駅 ↑
山上公園広場で、カマキリがバイオリンを
弾いていました。↓
このカマキリくん、単なるモニュメントかと思っていたのだが、写真を見ると「日時計」になっていたようである。
レストラン「アゼリア」で軽食…。セルフサービスなのはいいとしても、それなのにコーラ1杯
370円は、高いんじゃないかい(笑)。
でも、下界の喫茶店で飲んでも350円は取られるね。ならば、こんなものか…、ビンから飲む
わけじゃないんだから(笑)。
リフトに乗って、山頂を目指す。
往復600円 ↓
逆光にかすむ槍ヶ岳
【拡大】
↑
5分ほどで、山頂公園へ到着。
山頂に据えられた「(一等)三角点 1212m」→
↑ 山頂から南を見ると「御嶽大権現」のお社が見え、その向こうに鈴鹿山系の山なみが
連なっている。
【拡大】
木々や熊笹の葉が、逆光に照り映えて輝いていた。中央から右手前に続く白いところは
逆光を浴びて白く光る熊笹だ。
三角点から西方200mほどのところに、ここより3mほど高いかと思われる小山があった。「山頂展望」とあったので、登ってみた。
三角点から3m登るということは、御在所の標高は1215mということになるのかな(笑)。
この展望台からは、360度のパノラマが広がる。
北。
紅葉に染まる釈迦が岳→
その向こうには、
伊吹山から中央アルプスが
望まれる。
←
西。
雨乞岳の右肩越しに
琵琶湖が見えるとか。
東。
紅葉の中に、三角点、リフトの頂上駅…、その向こうには伊勢平野から伊勢湾が広がっている。→
←
南
にそびえる鎌が岳は、やはり存在感がある。
【拡大】
展望台の西端の岩に、5歳と7歳ぐらいの女の子が座って、「わぁきれい〜」と歓声を上げていた。岩の向こうは断崖絶壁(…だと思う。高所恐怖症の僕は、とても先端まで確かめに行けない)。
『ツルンと滑って向こう側へ落ちたら、どーするんだ』と思うと、見ているだけで身の毛のよだつ光景だったが、やがて2人は無事こちら側へ降りてきて一安心…。世の中には、恐れを知らない一家がいるものだ。
山なみの上に、秋の空が広がっていた →
午後3時30分。そろそろ下山することにしよう。
← 山上駅から 大鉄塔を見下ろしたところ。
【拡大】
その向こうには、湯ノ山温泉街が見えている。
足元の山肌…。
これぞ「神さまのぬり絵」
【拡大】
→
← ロープウェイ、中間の鉄塔。ここを越えるとき、
ゴンドラはガタンと揺れる。
湯ノ山温泉街のホテルが、大きく迫ってき
た。このホテルも、昼間の時間帯ならば日帰
り入浴OKで、料金は800円。 →
車に戻ると、この時間、駐車場はすでにガラガラ…。帰りに「希望荘」で温泉に浸かっていこうと行ってみた。露天風呂からの紅葉が、見事なのだ。でも、この日はまだまだ青葉ばかり…。入湯料500円。
帰路は、通行料も無料なったことだからと、鈴鹿スカイラインを西へ走って、滋賀県へ抜けた。この道は、この季節、西日が照る時刻に滋賀県側から登ってくると、残照に照り映えるモミジ葉が赤や黄色に輝いてきれいである。毎年、紅葉の時期には、1回は走ってみる道である。
← 登るにつれて、木々の色が増していく。
武平峠駐車場、この一帯はまさに紅葉の見ごろ→
でも 時刻は午後4時50分。日陰になった山肌は暗くて、せっかくの紅葉も夕闇色に包まれて、写真でお届けするには暗すぎる。
← 武平トンネルを抜けると滋賀県…。近江盆地へ沈む夕日が、茜色の残光を輝かせてシルエットを浮きあがらせていた
。
ただ、やはりこの道は西日の時刻に滋賀県側から登ってこなくては、紅葉の美しさは楽しめない。
途中、野洲川ダムの水がかれているのに驚いたが、下っていくと、ダムは工事中だった。ちょうど終業時刻で、帰りがけの監督さんらしい人に「水は、わざと抜いているので
すか」聞いてみると、「ええ、2月まで溜めません。それ以後は、農業用水ですから溜め始め、工事は中断…。また10月から再開するんです」という話。農業優先の予定が組まれているのだと話してくれた。
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【133】
栗名月、十三夜の月見
2007.10.24
10月23日は、旧暦9月13日…、栗(豆)名月の夜です。庭に出てみると、冷気の漂う澄み切った空に、十三夜の月が輝いていました。
十三夜だから、まだ上のほうが少し欠けていて
楕円形のお月様です。 →
9月26日の夜に「中秋の名月(十五夜)」を報告した僕としては、この「栗(豆)名月(十三夜)」も取り上げないわけにはいきません。十五夜と十三夜どちらか片方の月見しかしないのは「片月見」または「片見月」と言って、忌み嫌われているということですから…。
十五夜には、中国(仲秋節)、韓国(秋夕・タンシュク)にも月見の慣習があって、中国では家々で月餅を作って盛大に祭るし、韓国では松餅(ソンピョン)という菓子を作り、勤めも休みとなって郷里で親族と共に祝うといいます。
十三夜のお月見は日本独特の風習で、旬の栗や大豆を供えるところから、栗名月・豆名月と呼ばれています。
各地には「月待ち」という風習もあって、十六夜(いざよい)は月の出が十五夜よりやや遅くなるのを月がためらっていると見立てて呼んだ言葉であるように、十七夜以降を立待月(たてまち-)、居待月(いまち-)、寝待月(ねまち-)、更待月(ふけまち-)と名づけて、月の出を待ちながら酒食を楽しんだりしました。
日本では、月にはウサギが住んでいるというのが一般的ですが、中国では「嫦娥(じょうが)」という名の美女が住んでいると伝えられています。夫の后(げい)が 天上の神様の西王母からもらいうけた不死の薬をこっそり飲んで、体が軽くなった嫦娥は空に上りますが、月にとどまり、夫の后が来るのを待っている…とか。
薬を盗んで飲んで月に追放され 蟇(がま)に変わった…など、いろいろな説があります。
中国が24日に打ち上げを予定している月探査衛星は、「嫦娥1号」という名前…。伝説の美女「嫦娥」のお顔を、現代科学の「嫦娥1号」が写しに行くのですね(笑)。
月は、いつも地球に同じ面を向けて回っていますから、今まで人類は月の裏側を見ることが出来なかったわけですが、今は月探査衛星が裏側へ回って詳細な写真を撮ってきます。嫦娥も、窓を開けて風呂に入っている…というわけにはいきませんね(大笑)。
← 十三夜の月は、午前1時過ぎに、もう西の
空に傾いていました
。
日本の「かぐや」は月観測軌道に入りましたし(12月から観測を開始するとか)、今夜は アメリカの「ディスカバリー」も打ち上げられました。
今や地球の周辺は、たくさんの宇宙船や衛星が飛び交っていて、宇宙空間の交通整理が要りそうです。役目を終えた衛星が飛んでいたりもしますから、宇宙の掃除も必要…、整理回収することも考えなくてはなりませんね。
【132】
彼 岸 花
(三重県津市一志町石橋)
2007.10.05
昨日の朝 ジリリーンと電話…。 「久しぶりに晴れたから ゴルフ行こう。 割引券 あるから」と 同級生のワタルくんからの誘い。家から30分の「一志GC」へ行ってきました。
5年ぶりぐらいに行ったのですが、グリーンはボールマークが多くてゴトゴト…。ボールの落下でできた穴を埋めてないのです。2日ほど雨が続いたせいか、フェアウエイの芝も刈っていない。
10月はクラチャンの月なのに、こんな状態でクラチャン戦をやっているのでしょうか?
まぁ 僕たちもいい加減なゴルフですから、コースに文句を言う筋合いではないのですが…。
フロントからは短いコースで、41・40の81。飛ばなくなった…と嘆く僕でも、パー4のホールのセカンドは、ほとんどショートアイアンですから。
帰り道、稲刈りが終わった田んぼのあぜ道に、彼岸花が鮮やかに咲いていました。このところ家に篭りがちで(昼は外へ出ないので…と言うべきですか)、今年、はじめて見る彼岸花です。
早秋の気配が漂うころとはいうものの、まだまだ深い緑に包まれている里山の景色の中で、鮮烈に燃える彼岸花の赤色を、車に積んでいたデジカメでパチリと撮ってきました。
彼岸花のさかりは、およそ1週間…。あの、燃えるような赤い花を咲かせたあとは、程なく色あせて 散ってしまいます。
花が散ってから葉が出てくるので、花と葉は出会うことはない。それで韓国では、相思花≠ニ言われているとか。花は葉を思い、葉は花を思う、しかしお互いは決して出会うことはない…という意味が込められているのだとか。
彼岸花の別名はたくさんあって(1000例以上あるとも言われています)、「幽霊花、死人花、捨子草、厄病花、火炎花」…など あまり良い名前でないものも多いようです。子どものころ、「あの花は、取って来ちゃいけないよ」と、お母さんに言われたと話す人もいますが、縁起の悪い名まえのせいでしょうか。それとも、茎にアルカロイド(リコリン)という有毒物質を含むので、子どもたちが手にすることを禁じたのかも知れません。確かに茎を噛んでみるととても苦くて、別名「舌曲がり」とも呼んでいた記憶があります。
でも、曼珠沙華(まんじゅしゃげ)≠ニいう名まえは 「天上の花」という意味…。
おめでたい事が起こる兆しに、赤い花が天から降ってくるという仏教の経典の中にあるお話に由来しています。法要でいう散華ですね。
とても縁起の良い、素敵な名まえです。
少し詳しく言いますと、曼珠沙華とは天上に咲く四華の一つで、見る者の心を柔軟にするといいます。四華とは、法華六瑞 (法華経が説かれる時に現れる六つの瑞相) として空から降るという、四種の蓮華(れんげ)のことで、曼珠沙華はそのうち紅蓮華のことを指して言います。
ちなみに、白蓮華は曼荼羅華(まんだらげ)、大白蓮華は摩訶(まか)曼荼羅華、紅蓮華が曼珠沙華(まんじゅしゃげ)、大紅蓮華は摩訶曼珠沙華と言います。
山口百恵のヒット曲「曼珠沙華」は「まんじゅしゃか」と読ませていましたが、曼珠沙華は梵語で(manjusaka)と発音されますから、(まんじゅしゃか)のほうが原語に近いといえるようです。「manjusaka」が中国に渡って「曼珠沙華」という漢字になり、日本に伝わったときに「まんじゅしゃげ」と読まれたのだというのが僕の説ですが、さて
如何でしょうか。
花言葉は、悲しい思い出∞思うはあなた一人∞また会う日を≠フ3つ…。激しい赤色とはウラハラな、なんか可憐な花言葉ですね。
「道の辺(へ)の 壱師(いちし)の花の 灼(いちしろ)く 人皆知りぬ わが恋ふる妻」
灼(いちしろ)く
…は はっきりと、激しく≠ニいった意味。壱師(いちし)の花は、彼岸花のことだと言われています。
【万葉集 巻十一】に収められている、柿本人麻呂の作だとも、読み人知らずだとも言われていますが、全20巻4500首に及ぶ、万葉集の収録歌のうち、彼岸花を詠んだものはこの一首のみとのことです。
(道端に咲いている彼岸花の鮮やかさのように はっきりと皆さんが知ってしまいましたよ。私が恋する妻(恋人)のことを…)といった意味でしょうから、彼岸花の灼熱の赤は、深い愛情の象徴だったということですね。
【132】
中秋の名月
2007.09.26
今夜は中秋の名月…。月令は13で、満月は明後日らしいのですが、幾夜も美しい月が眺められるということです(笑)。
庭に出てみたら、昼間かとまごうばかりに木々の影が地面にくっきりと伸びて、空を見上げるとちょうど中天に煌々たる名月が輝いていました。
あまりの美しさに誘われ、港に続くフェニックス通り(日本のフェニックス生育の北限だそうです)まで、5分ほど歩き、フェニックス並木の上に輝く中秋の名月を撮りに行きました(笑)。
でも、フェニックスが大きいので、かなり遠くからでないと、月と木の全体が入りません。そうすると、フラッシュの光が届きにくく、真っ暗な画像になってしまって…(苦笑)。
フェニックスの並木をお見せすることができなくて残念です。
いずれまた、近日に…。
『 月見れば 同じ国なり 山こそば 君があたりを 隔てたりけれ 』
(こうして月を見ると、貴方と私は一つの月が照らす同じ国に住んでいるのです。山々が、
貴方の住まわれるところと私のところとを隔てているけれど。)
『 月読(つくよみ)の 光に来ませ あしひきの 山きへなりて 遠からなくに 』
(月の光をたよりに 会いに来てください。山で隔てられて 遠いというわけでもないで
しょう。)
いずれも「万葉集」にある歌ですが(相聞の歌というわけではありません。それぞれ別の巻に収められています)、月の光が明るい夜には、こんな美しい歌が口をついて出るのですね。
どうして万葉人(まんようびと)は これほどまで簡単自在に言葉を操って、えもいわれぬ表現をすることができるのでしょうか。美しい自然の中で、その恵みを謳歌する日々だったということでしょうか。
山川草木、花鳥風月に心を配ることのできる人は 豊かな日々を楽しんで生きているということなのでしょうね。
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