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竜王ICから、名神に 乗りました。 |
五条橋の西詰め、牛若丸と 弁慶が迎えてくれます。 |
二条城 |
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二の丸御殿の舎内は写真撮影禁止でした。 内部の様子は、http://www.city.kyoto.jp/ bunshi/nijojo/ninomaru.html でご覧になることができます。 |
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二の丸御殿(国宝)玄関 【拡大】 |
二の丸庭園が 特別公開されていました。 |
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池は石組みが凄い | 本丸庭園 | 本丸を取り囲む内堀 |
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本丸の南西隅にある、天守閣 跡に登ってみました。 |
天守閣跡から、 北東方向を…。【拡大】 本丸御殿と、その向こうには 比叡山がそびえています。 |
東。内堀、桃山門の方向です。 |
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北西方向の雑木林です。 | 北。内堀を西へ渡る橋が 見えています。 |
城内の北隅にある 「清流園」です。【拡大】 |
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「清流園」は、もと、角倉了以の屋敷にあった、茶室など建物の一部と800個の庭石を譲り受け、移築したのだとか。 北東隅にある「緑の園」と 呼ばれる一角 【拡大】→ |
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「清流園」の茶室からの眺め | 春には桜がきれいです | |
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叡山電鉄「出町柳」駅の近くに車を預けて、午後4時30分発の電車に乗りました。 「貴船口」までは27分。…市原…二ノ瀬…貴船口と続く最終盤の駅、市原…二ノ瀬の間 250mに紅葉のトンネルがあり、ライトアップされているということです。 発車してほどなく、日はとっぷりと暮れて、車窓に町の明かりがまたたき、通り過ぎていきます。 |
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叡山電鉄「出町柳」駅 | ||
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出町柳を出てから20分。市原駅を過ぎて間もなく、ライトアップされた紅葉のトンネルにさしかかりました。 電車の車内灯が消され、車窓に紅葉が浮かび上がります。 徐行してくれるのですが、走る電車の中から撮る夜景の写真は、こんなものです(苦笑)。 → |
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車内は満員…。【拡大】 | ||
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貴船口駅から 料理旅館街までは、ひっきりなしにシャトルバスが運行していて、4分160円で運んでくれます。 3連休最後の日曜日の今日は、混雑も少し引いたかという状況で、待つほどもなくバスに乗ることが出来ました。 旅館街の少し手前にある 観光協会の臨時駐車場でバスを降り、貴船神社を目指して歩きました。 行く道の足元を 露地灯篭がほのかな灯りで照らしています。 |
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寂とした闇の中に、貴船川に かかる紅葉がライトアップされ て、浮かんでいます。【拡大】 |
貴船の旅館や飲食店も、精一杯の灯りをともして、もみじ灯篭最終の夜を飾っていました。 | |
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ほどなく 貴船神社本殿の鳥居が見えてきました。【拡大】 |
貴船神社へ登る階段の両脇を 照らす行灯…。 |
貴船神社 本殿。 |
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貴船神社は、水を司る貴船の祭 神ですから、ここのおみくじは水 占いといって おみくじを水に浮 かべて現れた文字を読むのです。 |
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本殿下の舞台では、尺八の演奏が披露されていました。【拡大】 | ||
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川の上に飾られている大生花 | そろそろ山を下ります。 | |
お茶をいただいた「ひろ文」の仲居さんが、「貴船は冬場も営業しています。ボタン鍋などで おもてなししますえ」と案内してくれました。 先ほどバスを降りた臨時停留所まで歩き、バスに乗りました。3連休の最終日だからそれほどの混雑もなかったのでしょうか、ほとんど待つこともなく、停まっているバスに乗り込んで、貴船駅へ…。 京都の北山を迂回する 国道477号線をショートカットして、貴船口から芹生峠を越えて北へ抜ける道路が、貴船旅館街を通る道です。その道の上に 叡山電鉄「貴船口」駅があります。 |
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道の上の駅に、ちょうど電車が入ってきました。【拡大】 | ホームを取り巻く 紅葉の林…。 | 帰りの電車の中からパチリ。 一番前の席に陣取ったのですが |
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ライトアップされた紅葉の上に、まん丸の月が出ていました。 → |
今日の夜ごはんは、宮川町の「こま吉」へ。牡蠣鍋を作ってもらいました。 | |
やっと 仁王門が見えてきました →
この門をくぐると本堂が鎮座していますが、この一帯の紅葉はまだまだです。
← 本堂と千年菩提樹
鎌倉時代には「天台別院」と称され、中枢部の300坊に加えて総計1000坊、1300余人を擁する大寺院となりましたが、室町・戦国時代には度重なる兵火をこうむり、特に天正元年4月11日に信長の焼討を受けて壊滅的な打撃を受けました。ルイス・フロイスはこの寺の繁栄を『地上の天国:Facusangi一千坊』と呼び、その消失を惜しんでいます。
江戸初期になって、井伊家、春日局、甲良豊後守等の寄進を得て現在の本堂・仁王門・山門等が再建されました。往時の姿は、「石垣参道」、棚田のような「一千坊跡群」、本堂横の「千年菩提樹」などから偲ぶことが出来ます。
参道を、本坊へ戻ります →
← 本坊裏の庭園は
紅葉真っ盛りでし
た。
この庭は東の山を借景に山腹を利用し、大きな池と変化に富む巨岩を配した、豪華な池泉廻遊式ならびに観賞式の庭園です。
本坊裏手の池を、飛び石伝いに巡ります→
← おっと 池に落ちないようにね。【拡大】
僧坊の縁側から見た築山 【拡大】→
← 東の裏山に続く築山も見事です。【拡大】
聖徳太子の願文に「一宿を経るの輩は必ず一浄土に生る」とありますが、これにちなんでこの庭も東の山には弥陀観音勢至の三尊をはじめ各菩薩に見たてて石を配しております。
これらの巨石は旧本坊庭園とさらに百済寺山内の谷川から集められたものを組み合せて作庭されました。【パンフより】
裏山へ登っていく途中、
紅葉の間から本坊をパチリ 【拡大】→
← 東山の高台からは、遠く琵琶湖も望まれ、この庭園は、別名「天下遠望の名園」と称されています。【拡大】
西方の借景は琵琶湖をかすめて、55km先の比叡山で、広大なパノラマ展望を望むことができます。さらに西方、880km先には、往時の「百済国」がありました。百済からの渡来人は、母国を偲んで、この「遠望台」に立ったことでしょう。
境内の紅葉は、ますます鮮やかでした 【拡大】→
帰途、夕日が比叡の山に沈んでいきました。やがて、近江盆地に夜の帳りが垂れ込めます。
はるか西の空に望郷の思いを馳せた、百済人の気持ちがちょっと解ったような気がしました。