【140】
料亭「平次」のクリスマス・ディナー
 「聖夜の宴」   2007.12.24


 津市の料亭「平次」で、お琴の演奏を鑑賞しながら、料理長が腕によりをかけた料理をいただくという、クリスマス・ディナーが催された。
 「平次」の若女将かおりちゃんは、宮城宗家の直門で師範であり、これまで教師試験主席合格、宮城会コンクール1位、NHK邦楽オーディション合格、三重県文化奨励賞受賞、国内リサイタルはもちろんアメリカ・カナダなどの海外公演も11回を数えるという、錚々たる経歴を持っている。
 今夜は、長尾早苗さん、鈴村容子さんという同門のお琴のお手伝いに、新日本フィルのヴィオラ奏者である吉鶴洋一氏の参加を得て、お琴とヴィオラのコラボレーションを楽しませてくれるという趣向だ。


 午後6時過ぎ、クリスマス・イルミネーションに飾られた玄関をくぐって、会場の大広間に入ると、思いがけず懐かしいお顔に出会った。若い頃、公私にわたり何かとご指導下さった大先輩で、先日、奥様のご逝去の喪中はがきをいただき、ご様子を案じていたところであった。80歳になられたと聞いてまたまた驚いたのだが、とてもそんなお年には見えないお元気そうなご様子で、ゴルフも月に3回ほどをこなしているとおっしゃっていた。今夜は息子さんのお嫁さんを誘って、このディナーショーに来たと、にこやかに話してみえるご様子も矍鑠(かくしゃく)たるご様子であった。
  
 6時40分、ちょっと遅れて料理が運ばれてきた。食前酒に続いて、前菜の盛り付けである。


 
前菜 … 車海老ゆかり揚、小袖寿司、サーモン黄味茶巾、
      烏賊真砂和え、サザエつぼ焼き、
      生ハムとキウイフルーツ、むかご真薯     →

 
 吸物 … 汲み上げ湯葉吉野椀、  松葉蟹、柚子、三つ葉

 造り … 鯛、鮪、  妻物一式



 顔見知りの芸子さんが給仕に入っていたので、ここで僕は「板場で山葵を盗んできてくれる?」とお願い…、本山葵がとても美味しかったのだ。山に盛って持ってきてくれたので、お造りにはたっぷりと添えたのはもちろんだが、まだ残っていて、その後に出てきたブリの照り焼きにも添えて食べさせてもらった。


 焼物 … 鰤照焼、  千枚蕪、いくら
 煮物 … 鴨冶部煮(山葵)、  慈姑真薯、ブロッコリ、星人参、



 ここで、演奏の第1部が始まった、

← 先ず1曲目はお琴の連弾、
  「OKOTO」(沢井比可流作曲)

 
 









 2曲目はヴィオラも加わって、
  「千の風になって・亜麻色の髪の乙女・
   与作」とポピュラーな曲を…。  →



 演奏中断、ご飯とデザートが出た。


   留  … 炊き込み御飯、清まし汁


← 水菓子 … かぼちゃプリン


 後半の部が始まった。だんだんと料理が遅れてきて、「どうぞ召し上がりながらお聞きください」と言ってもらって、ご飯をいただきながらの、ちょっと行儀の悪い鑑賞になってしまった。
 
 
    衣装も洋装に替わって、
      3曲目は「道化師」(沢井忠夫作曲)→

     テンポの速い曲で、食事中の曲というには、
    少し刺激が強すぎたようだ。


 
4曲目「カノン」(バツヘルベル作曲)
   パッヘルベルはパロック時代(バッハ、ヘンデル
  らが活躍したころ)の有名なオルガン奏者。カノン
  は、ポリフォニーという、同時に複数のメロディ が演奏されて、瞬間瞬間に新しいハーモニーが
  生まれる音楽となっている(輪唱と同じ)。
   快い調べで、デザートのかぼちゃプリンを美味しく食べることができた。


← 5曲目「哀歌」(宮崎克彦作曲)
 かおりちゃんと吉鶴氏、2人の競演のような曲だった。それぞれに聞かせどころもあって、演奏の妙を楽しむことのできる曲であった。


 アンコールに全員での「北国の春」を演奏して、お開きとなった。 9時45分。


 大門のスナックへ1軒立ち寄って、12時に帰宅。




【139】
湖東の名刹 モミジの永源寺
                2007.11.26


 お昼過ぎから、永源寺のモミジを見に出かけました。昨夜、京都から帰ったのが遅かったので、今朝はゆっくり…。お昼過ぎに家を出発、途中でコーヒータイムを取ったりして、永源寺に着いたのは午後3時前になっていました。


 近江盆地の東端…、湖東平野が鈴鹿山地に競りあがっていくところ…、愛知川沿いに八風街道(国道421号線)を東に走ると、山地にかかる左手に、紅葉どころとして知られる永源寺があります。


                 
永源寺への上り口 →
 





← 山門へ登る石段下の、みやげ物店が並んでいる
 大喝橋の手前です。

  
このあたりも、すでに紅葉が見事です。








 
 


← 総門を入ったところ。受付があります。【拡大】



 
 

 






 
山門前。今日も たくさんの人出です【拡大】
 













← 山門です。たくさんの人で 
 ごった返していました。

 





      
山門を入ると、華やかな紅葉が出迎えてくれました →


 




← 左手は本堂。葦(よし)
 葺きの大屋根が美しい。
 右手は鐘楼です。



 上からたれてきているモミジはまだ緑ですが、このモミジ葉が黄色く色づくと、永源寺の秋が終わります。
 
 

    
前庭にまわると、
     裏山の紅葉が見事でした。→


 

 
 
 







 
 


← 本堂の襖絵です。なまずに乗った仙人といったところでしょうかね。 絵のいわれが解りません(苦笑)。
 

   秋田犬も紅葉狩りです。
    ホントに大きな犬でした ↓













 
 

 


     輝くような紅葉です 【拡大】

 






 
 






← 経堂前の赤モミジ

 
 





   
「標月亭」で、抹茶をいただきました。 →


 部屋からは、前に築山、右手に愛知川の清流が見下ろせます。


  




←「標月亭」を出たところの赤モミジ


 その横に、裏山へ抜ける道が続いています。



 
 


 
 
       
引き返して、中庭の紅葉です。→

 













← 鐘楼横の石段を降りると、
 みやげ物店が並んでいます


 
 


                  帰路、山門の手前…。→
 

   
参道から、愛知川の流れをパチリ【拡大】












 
 

 
 

 このあたりの愛知川は、鈴鹿山系の流れを集めて轟々たる流れだったのですが、あるとき住職が、修行する永源寺の僧たちの思索の邪魔になると説くと、それからは音を立てない静かな流れになったといいます。

 今は別名、「音無川」とも呼ばれているとか。



 





← 愛知川を渡る旦度橋から、上流を…【拡大】


 左手一帯の紅葉に燃える山が、永源寺の寺域です。







 永源寺参拝のあとは近江八幡へ向かい、近江牛の「毛利志満」で夕食を取りました。
 「毛利志満」は、20年来の付き合いですが、今は観光バスが着く有名店になりました。


← 今夜は、この店の名物料理「石焼き」です。
  
 


  「牛トロにぎり」も
  パクついて、大満足
  でした。    →





 食事のあとは、さざなみ街道を走って大津へ…。琵琶湖畔のファミレス店でアフォガード(アイスクリームに熱いエスプレッソをかけたイタリアの飲み物)を味わってきました。




【138】
2007 京都の秋  − 
二条城貴船 −   2007.11.25


 1週間前の17日の夜に行った 貴船のもみじ灯篭が、夜の散策で、たいした写真が撮れていなかった。それで今日は、三脚を持って出直しました。
 「貴船もみじ灯篭」は、今夜が最終日…。それに、叡山電鉄鞍馬線の「紅葉のトンネルくぐり」も見ておきたいと思い、昼前から出かけました。

 京都着2時、夕刻まで約2時間30分…。先日、逆説の日本史12「天下泰平と家康の謎」を読んだとき、天下を取った家康が、豊臣秀頼を呼んで対面したとあった「二条城」へ寄ってみました。


竜王ICから、名神に
乗りました。

  五条橋の西詰め、牛若丸と
  弁慶が迎えてくれます。

二条城


 二の丸御殿の舎内は写真撮影禁止でした。

 内部の様子は、http://www.city.kyoto.jp/
bunshi/nijojo/ninomaru.html
 でご覧になることができます。
二の丸御殿(国宝)玄関
【拡大】
二の丸庭園が
特別公開されていました。

池は石組みが凄い 本丸庭園 本丸を取り囲む内堀

 本丸の南西隅にある、天守閣
 跡に登ってみました
 天守閣跡から、
 北東方向を…。【拡大】
 本丸御殿と、その向こうには
 比叡山がそびえています。
東。内堀、桃山門の方向です。

北西方向の雑木林です。 北。内堀を西へ渡る橋が
見えています。
城内の北隅にある
「清流園」です。
【拡大】

 「清流園」は、もと、角倉了以の屋敷にあった、茶室など建物の一部と800個の庭石を譲り受け、移築したのだとか。



 
 北東隅にある「緑の園」と
   呼ばれる一角 【拡大】

「清流園」の茶室からの眺め 春には桜がきれいです

 叡山電鉄「出町柳」駅の近くに車を預けて、午後4時30分発の電車に乗りました。
 「貴船口」までは27分。…市原…二ノ瀬…貴船口と続く最終盤の駅、市原…二ノ瀬の間 250mに紅葉のトンネルがあり、ライトアップされているということです。

 発車してほどなく、日はとっぷりと暮れて、車窓に町の明かりがまたたき、通り過ぎていきます。
叡山電鉄「出町柳」駅

 出町柳を出てから20分。市原駅を過ぎて間もなく、ライトアップされた紅葉のトンネルにさしかかりました。
 電車の車内灯が消され、車窓に紅葉が浮かび上がります。


 徐行してくれるのですが、走る電車の中から撮る夜景の写真は、こんなものです(苦笑)。   →
車内は満員…。【拡大】

 貴船口駅から 料理旅館街までは、ひっきりなしにシャトルバスが運行していて、4分160円で運んでくれます。
 3連休最後の日曜日の今日は、混雑も少し引いたかという状況で、待つほどもなくバスに乗ることが出来ました。
 旅館街の少し手前にある 観光協会の臨時駐車場でバスを降り、貴船神社を目指して歩きました。

 行く道の足元を 露地灯篭がほのかな灯りで照らしています。
 

  寂とした闇の中に、貴船川に
 かかる紅葉がライトアップされ
 て、浮かんでいます。【拡大】
 貴船の旅館や飲食店も、精一杯の灯りをともして、もみじ灯篭最終の夜を飾っていました。

 ほどなく 貴船神社本殿の鳥居が見えてきました。【拡大】
  貴船神社へ登る階段の両脇を
 照らす行灯…。
貴船神社 本殿。

 貴船神社は、水を司る貴船の祭
神ですから、ここのおみくじは水
占いといって おみくじを水に浮
かべて現れた文字を読むのです。


本殿下の舞台では、尺八の演奏が披露されていました【拡大】
川の上に飾られている大生花 そろそろ山を下ります。

 お茶をいただいた「ひろ文」の仲居さんが、「貴船は冬場も営業しています。ボタン鍋などで おもてなししますえ」と案内してくれました。

 先ほどバスを降りた臨時停留所まで歩き、バスに乗りました。3連休の最終日だからそれほどの混雑もなかったのでしょうか、ほとんど待つこともなく、停まっているバスに乗り込んで、貴船駅へ…。

 京都の北山を迂回する 国道477号線をショートカットして、貴船口から芹生峠を越えて北へ抜ける道路が、貴船旅館街を通る道です。その道の上に 叡山電鉄「貴船口」駅があります。

 道の上の駅に、ちょうど電車が入ってきました。【拡大】 ホームを取り巻く 紅葉の林…。 帰りの電車の中からパチリ。
一番前の席に陣取ったのですが



ライトアップされた紅葉の上に、まん丸の月が出ていました。
 →
 今日の夜ごはんは、宮川町の「こま吉」へ。牡蠣鍋を作ってもらいました。





【137】 
近江の古刹 湖東三山  −西明寺・金剛臨時・百済寺−  2007.11.23


 滋賀の紅葉どころはたくさんありますが、今日は湖東三山と呼ばれている、西明寺(さいみょうじ)・金剛輪寺(こんごうりんじ)・百済寺(ひゃくさいじ)を訪ねてみました。


   
西明寺の紅葉               【拡大】
    湖東平野の紅葉は、ちょうど見ごろを迎えていました。




 滋賀県は、古来から交通の要衝で、天智天皇の近江朝が開かれていたように、奈良時代よりも以前から政治や文化の中心地として栄えたところです。東西交流や伊勢参拝の交通路としても開けましたが、平安時代には佐々氏が有力となり、源頼朝の挙兵を助けたりします。戦国時代になると織田信長が姉川の戦いに浅井長政を破り、天下布武を唱えて湖東に安土城を築きました。
 江戸期には、彦根の井伊藩を初め徳川譜代の大名が配されたことからも、近江を需要視していた幕府の政策がうかがわれますが、経済的発展も目を見張るものがあり、特に近江八幡を中心として近江商人と言われる大商人を多く輩出しています。
 歴史と文化に彩られた滋賀県には、見どころがいっぱいです。


 午前8時出発。ちょっと出遅れましたね、駐車場が空いてるかどうか、心配です。


← 水口から、日野グリーンバイパスを北上します。一帯は湖東平野が広がる 江州米の産地。刈り入れを終えた田圃が、しばしの休息に入っていました。

  





           9時過ぎ、「西明寺」に到着 →


 
龍應山 西明寺 http://www.saimyouji.com/



 門前の駐車場はまだ空きがあって、駐車OK。でも、次々と観光バスが到着して、寺内はみるみる観光客であふれます。
 
← 門を入ってすぐ左、「不断桜(四季桜…10〜11月に満開と
 か)」が咲いていました。【拡大】



 紅葉に囲まれて 季節はずれに咲く桜は、花弁が1cmほどの
小さな花です。
 
 

 

 この西明寺も、他の二寺と同じく、裏山一帯に広がる広大な寺域を有しています。


   山門から本堂への参詣道は、名神高速道路の上を
   またいで、山の中へと伸びています。      →




← 参道を行くと、木漏れ日に輝く紅葉が、
 鮮やかでした。【拡大】


 
西明寺は、平安時代(承和元年、834年)に開基、織田信長の比叡山焼き討ちのとき、その戦禍をこうむりましたが、本堂・三重塔・二天門が火難を免れ、現在に至っているとか。

 
 

 
見ごろを迎えた紅葉が、
 さまざまな表情を
 見せます 【拡大】
 
  




← 階段を登っていくと、覆いかぶさるような紅葉に出会います。
 
 











      僧坊前。黄色の葉が、
         朝日を受けて、鮮やかです 【拡大】

 




← 名勝庭園
  「蓬莱庭」
  【拡大】


 さらに参道を登っていくと、階段の最上部に「二天門」
(重文、室町初期)が据えられていました。
 その手前右側に2本の杉の大木が、上でひとつになって
いて、相生の杉として祀られています。↓








 










← 二天門をくぐると、右手に三重塔(国宝、鎌倉期)
 がたたずんでいます。










   本堂(国宝、鎌倉期)の縁台から後ろを振り返ると、
   色鮮やかな紅葉を背景に、
         口漱ぎの「洗心水」が見られます。 →

 




 拝観ののち、参道を下ります。


← 参拝の人たちが、続々とやってきました。これから
 向かう寺々の混雑が恐ろしい。




 西明寺をあとにして、金剛輪寺へ向かいました。



 
 


 11時前、「金剛輪寺」に着きました。もう駐車場はいっぱいで、第3駐車場へ。徒歩10分…。





松峯山 
金剛輪寺 http://www.biwa.ne.jp/~kourei/

 





 この寺は、山門からとにかく階段と坂道で登ること…登ること…。
 途中 3〜4回は休憩しないと 素人は無理です。



← 坂道の両脇には 風車を持った 小さなお地蔵様が ずーっと並んで迎えてくれています。【拡大】








   階段を上がりきると、本堂の前に 見事な紅葉が… →


 盛りには真っ赤に色づくので、「血染めのモミジ」と呼ばれているそうです。



← 伽藍の一番奥にある三重塔は、紅葉に埋め尽くされて
 いました。【拡大】


 この金剛輪寺は、聖武天皇と行基菩薩により天平13年(741)に開山された天台のお寺で、1200年の歴史を持つとか。



   三重塔は、本堂より古いもの
  ですが、荒廃したままとなって
  いたため、昭和49年(1974)復
  元されました。      →





  逆光に、モミジの黄葉が
  照り映えています。  ↓





 
 










 
     三重塔から振り返って下を見ると、
      本堂も紅葉の中に埋もれていました →

 




← 本堂、三重塔の拝観を終えて、
 もと来た坂道を下ります。

 
 













   途中に お地蔵さんの会議室が… →


 このお地蔵さんたち、なぜ風車を持っているかと言うと、特段の意味はなくて、生花の代わりなんだとか。お掃除するのも、楽ですよね。





 山門近くの僧坊の庭園

 
 














  赤・黄・紫・緑と、さまざまに
  色づいた木々が綾なす色彩がきれいです 【拡大】

 








← それにしても この紅葉…、
 ただ 見上げるばかりです。【拡大】
 
 







 僧坊前の茶店で、山菜うどんとみたらし団子を食べました。



             山門へと下る坂道の途中… →

 










← 山門の手前に、
   また燃えるような紅葉がありました。






 午後1時30分、金剛輪寺をあとにして、百済寺へ向かいました。両寺の間は、車でものの20分ほど。でも、百済寺の近くまで来ると、駐車場が満杯で、駐車待ちの車が道に列をなして並んでいました。
 30分以上、のろのろと進みながら駐車待ちしていましたが、道端の農庭先を臨時駐車場にしている農家があり、運良く1台が出て行くところでした。入れ替わりにそこへ停めて、20分ほど坂道を登りました。

 
 
  
百済寺(ひゃくさいじ)
  http://www.hyakusaiji.or.jp/


   本坊のうしろの山の紅葉が鮮やかでした【拡大】
 

 弥生時代から拓かれていた湖東の地には、朝鮮半島から渡来した人たちが多く住み、先進文化を伝えていました。
 
百済寺は近江の最古級寺院で、今から1400年前、606年(推古14年)に、聖徳太子が百済人のために押立山(771.8m)の中腹に、百済国の「龍雲寺」を模して創建されたものです。 
 
← 本坊横の正門をくぐり、
  本堂への石段の参道を登ります。【拡大】



 学問の師であった百済博士「慧慈」とともにこの地を訪れた聖徳太子が毎夜、瑞光(目出度い兆の不思議な光)放つ杉の巨木を見つけ、根の付いたままの下半分の幹に「十一面観世音菩薩像」を彫り始められました。これが百済寺のご本尊です。


 百済寺(ひゃくさいじ)という寺名は、この寺が渡来人たちが帰依し、遠くふるさとをしのんだ寺であることからつけられた名前です。ちなみに、百済を「くだら」と読むのは日本だけで、朝鮮半島では「ハクサイ」と呼んでいたそうです。



  

        やっと 仁王門が見えてきました →


 この門をくぐると本堂が鎮座していますが、この一帯の紅葉はまだまだです。

 




← 本堂と千年菩提樹


 鎌倉時代には「天台別院」と称され、中枢部の300坊に加えて総計1000坊、1300余人を擁する大寺院となりましたが、室町・戦国時代には度重なる兵火をこうむり、特に天正元年4月11日に信長の焼討を受けて壊滅的な打撃を受けました。ルイス・フロイスはこの寺の繁栄を『地上の天国:Facusangi一千坊』と呼び、その消失を惜しんでいます。
 
 
 江戸初期になって、井伊家、春日局、甲良豊後守等の寄進を得て現在の本堂・仁王門・山門等が再建されました。往時の姿は、「石垣参道」、棚田のような「一千坊跡群」、本堂横の「千年菩提樹」などから偲ぶことが出来ます。

                 参道を、本坊へ戻ります →



 

← 本坊裏の庭園は 
 紅葉真っ盛りでし
 た。

 
 
 
 




 この庭は東の山を借景に山腹を利用し、大きな池と変化に富む巨岩を配した、豪華な池泉廻遊式ならびに観賞式の庭園です。


    本坊裏手の池を、飛び石伝いに巡ります→






← おっと 池に落ちないようにね【拡大】












 
 
     僧坊の縁側から見た築山 【拡大】

 




← 東の裏山に続く築山も見事です。【拡大】


 聖徳太子の願文に「一宿を経るの輩は必ず一浄土に生る」とありますが、これにちなんでこの庭も東の山には弥陀観音勢至の三尊をはじめ各菩薩に見たてて石を配しております。
 これらの巨石は旧本坊庭園とさらに百済寺山内の谷川から集められたものを組み合せて作庭されました。【パンフより】


      裏山へ登っていく途中、
       紅葉の間から本坊をパチリ 【拡大】


 
 













← 東山の高台からは、遠く琵琶湖も望まれ、この庭園は、別名「天下遠望の名園」と称されています。【拡大】




 西方の借景は琵琶湖をかすめて、55km先の比叡山で、広大なパノラマ展望を望むことができます。さらに西方、880km先には、往時の「百済国」がありました。百済からの渡来人は、母国を偲んで、この「遠望台」に立ったことでしょう。




   境内の紅葉は、ますます鮮やかでした 【拡大】

 
 
 
 
 


 帰途、夕日が比叡の山に沈んでいきました。やがて、近江盆地に夜の帳りが垂れ込めます。
 はるか西の空に望郷の思いを馳せた、百済人の気持ちがちょっと解ったような気がしました。




                                  物見遊山トッブへ

飯田 章のホームページへ
物見遊山トップページへ
18
物見遊山