【145】 京都の桜 2008  −平安神宮・哲学の道・二条城−   2008.04.06


 お昼前から、京都へ出かけました。明日は雨の予報…、出かけるならば今日しかないと思ったからです。


鴨川河畔の桜並木 ↓ 哲学の道 ↓ 
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【拡大】 ちょっと盛りが過ぎていました でも、まだまだ見ごろの枝も



平安神宮





 裏庭の桜です
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 紅枝垂れも美しく花をつけていました。
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疎水の屋形船
に乗りました。



  川面から見上げた、河畔の桜です
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夕刻、二条城へ向かいました。多くの種類の桜があることで有名です。    清流園 ↓

 やがて、ライトアップが始まりました。 照明灯と足元の露地灯篭に、灯が入ります。
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食事をするのに木屋町へ戻る前に、祇園白川を歩きました。
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 今夜の夕食は、三条木屋町の「豆水楼」。旬の食材とおぼろ豆腐の一汁七菜…、作りが細かい京料理ですが、僕には食べきれないほどでした。
 桜の季節が終わると、新緑の季節を経て、やがて京都は灼熱の夏を迎えます。でも、そこは京都…
ここ豆水楼でも川床を出して、川面を渡る風に吹かれてのひとときを用意してくれます。




【144】 明治村(愛知県犬山市) −桜の中にたたずむ明治−   2008.04.03
 
 
 お昼になろうかというころ、五条川をあとにして、「明治村」へ向かいました。桜の中に鎮座する、「明治の風情」に浸りたいと思ったのです。


        右手に小牧山を望みながら、
         155→41号線と走りました 【拡大】



 かつては織田信長の居城であった小牧城(現在、山上にそびえる城は1967年に建てられたもの)がありました。1584(天正12)年の小牧・長久手の戦いでは、家康がこの山にいち早く布陣し、犬山城に着陣した秀吉軍と対峙しました。


午後2時、明治村へ到着。
 入園料は2200円(乗り物乗り放題券を含む)


← 正門(旧第八高等学校正門)前にて
  






     正門を入ったところの枝垂れ桜 →


 まずは、このボンネットバスに乗って、裏門(北門)まで行きました。
 そこから、園内を見物しながら、ぼつぼつと歩いて、正門まで戻ってくるという作戦です。




ボンネットバスの車窓からの風景 ↓↓↓


 桜に包まれた「六郷川鉄橋
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金沢監獄正門のアーチから、村内の北奥をのぞく。  「旧帝国ホテル玄関
 ここでバスを降りました。
 
 
←村内最北端の「旧帝国ホテル玄関【拡大】

 関東大震災にもびくともしなかったという、日本建築技術の確かさを誇る、シンボル的な建物です。

 このホテルの2階でコーヒーを飲みました。明治の元勲や文豪たちも、この喫茶室でコーヒーの香りを楽しんだことかと思うと、明治が身近に感じられる空間で、僕の最もお気に入りのスペースです。

 
 


 コーヒーで一息入れてから、村内遊園に出発です。


     帝国ホテル左手の高台にそびえる「川崎銀行本店」 →
                 3階が展望台になっている。


         手前にあるのは、「皇居正門前石橋の電飾燈
             二重橋の写真に写っている電燈です。
 
 

← 川崎銀行本店3階からの展望 【拡大】


 明治村の東側に広がる入鹿池や、村内の様子が一望されます。




 
 
      春色に染まる明治村【拡大】 →


 右は、金沢監獄監房。あまり、のどかな風景でもないかな(笑)。






 
 
← 芝居小屋「呉服座


 僕はこれまで「ごふくざ」だと思っていましたが、今日、「くれはざ」と読むのだということを知りました。




 右隣に、明治期の銭湯跡、足浴「半田東湯」がありました。直径2mほどの湯桶を囲んで、8人ほどの席が設けてありました。ちょっと熱いめの湯が、歩き疲れた足に心地よかったです。100円!


  呉服座の中をのぞくと、おッ「歌舞伎十八番 勧進帳
  安宅関」が上演中…と思いきや、パネルでした。 →





 
 工部省品川硝子製作所跡のレンガ館が、カフェになっていました。


 僕は、前のテラス席でアイスティを飲み、アイスクリームを食べました。




      明治村簡易郵便局
      (旧宇治山田郵便局)
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 ここから、10年後の自分に手紙を出すことが出来ます。今日投函すると、10年後に配達してくれるわけ…。
 生きてるかどうか分らないから、出さなかった。







← 尾西鉄道蒸気機関車1号




           ブラジル移民住宅 ↓









 











← 【拡大】桜の木に包まれてたたずむ
       「シアトル日系福音教会」 ↓




 
 









 








←「灯台駅」に停車中の「京都市電


 そのむこうに、入鹿池に突き出た「品川灯台【重文】」が見えます。






    満開の桜並木が連なる入鹿池湖畔 【拡大】

 
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← 日本細菌学の父「北里柴三郎」の医
学館「北里研究所
  
 
明治村のメインストリート「レンガ通り
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 レンガ通りの両脇には、「ハイカラ写真館(旧安田銀行会津支店)」や「お休み処(京都中井酒造)」などが並んでいます。


 通りの途中に『明治の味 カレーパン』が売っていました。結構美味しかったのですが、1個260円は、明治の世も物価高だったンですね(笑)。
 
 レンガ通りの突き当りに、「明治村役場(旧東山梨郡役所【重文】)があります。【拡大】


 現在の村長は、ご存知『小沢昭一の小沢昭一的ココロ』。




 日も西に傾いてきて、閉園時間が迫ってきました。あとは、三重県庁舎、森鴎外・夏目漱石住宅、聖ヨハネ教会などがある明治村1丁目…。先を急ぐとしましょう。
 

 
           西郷従道邸のディナー    →
             いいもの食べてたんだ(笑)。


 
桜の上に浮かぶ、尖塔! 【拡大】





 
 
   




 
 
 満開の桜と色鮮やかな花をつけたムラサキツツジに守られるように、「聖ヨハネ教会」が優美な姿をあらわしました。



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     聖ヨハネ教会への上り坂から望む入鹿池 【拡大】 ↓



 
二重橋電飾燈


 









 





 「旧三重県庁舎」           
 10人ほどの職員が窓や床を磨いていました。


 「僕、三重県から来たンですよ。子どものころ、この県庁舎の廊下を走って叱られていました」と話したら、「きれいに磨き上げておきますので…」と爽やかな笑顔が返ってきました。
 
 

 と…いうことで、大急ぎでしたが、もとの正門前へ戻ってきました。【拡大】
 やはり明治村は、朝から来てモーニングコーヒー、お昼は大井牛肉店の牛鍋を、3時は京都七条お休み処で善哉などをいただきながら、一日かけてゆっくりと回らないといけませんね。


 西日に映える枝垂桜とボンネットバスに別れを告げて、明治村を後にしました。


 
 
 午後5時過ぎ、遅くなってしまいましたが、「国宝 犬山城」へと向かいました。


  犬山市内で…、
   道路両側の桜が見事でした。【拡大】 →

 
 







 午後6時近くになっていて、城内へは入れず、石垣によじ登ってパチリ(笑)。

 
 





  犬山城内「三光稲荷神社(多分?)」の桜 →
                    【拡大】


 名古屋城へ







 名古屋市内に引き返して食事を取る前に、名古屋城の夜桜を見てきました。
                      【拡大】
 

 










 西の丸広場の桜並木 【拡大】 ↓
 枝垂れが、見事に枝を広げていました。

 





 
 入城したのが午後8時を過ぎていたので、天守閣へは上らずに、西の丸・御染井丸の桜を見て歩きました。


 9時前、お城をあとにして栄へ向かい、少し遅くなりましたが食事にすることにしました。




【143】 桜…五条川(愛知県岩倉市) −川面を覆いつくす桜並木−  2008.04.03

 
 午前7時30分 出発。途中でモーニングサービスの朝食を取って、9時30分、岩倉市五条川畔へ着きました。桜見物にしては、まだ時間が早いからか、案内板の通りに進んでたどり着いた駐車場は3割ほどの車でした。
 目指す五条川畔は満開の桜…。青空のもと、今を盛りと咲く花々で、川面が覆い尽くされていました。


     駐車場から歩くこと5分、この「豊国橋」から、
     桜見物の始まりです。           →





豊国橋の上から、上流(北
方面)を撮ったものです。 ↓
 
【拡大】 【拡大】


五条川の西岸(左側)を上流へ向かって歩きました。


朝日を浴びて、白やピンクの花が輝いています。【拡大】
 川岸は舗装されていて、とても歩き易かったです。


← 豊国橋から約2.5Km、桜並木はまだまだ続いていましたが、名神高速道路の下をくぐってしばらくのところにかかる「井上橋」から引き返すことにしました。 
今度は川の東岸を歩きます。
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河岸には屋台が並んでにぎわっていました。 この芋の大きいこと! ↑ いこいの広場に設けられたテントで、地元のおばさんたちが出展していた「山菜うどん」(500円)を食べました。



← 堤防の下を歩く、遊歩道が
 整備されていました。桜の並
 木の下を、花吹雪を浴びなが
 ら歩きます。

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 出発からゆっくりと歩き、途中で休憩したりしながら、約2時間…、豊国橋まで戻ってきました。【拡大】


 さらに下流へ、少し歩きました。満開の桜並木はまだまだ続いていますが、お昼近くになり、次の目的地「明治村」へ向かうことにしました。






【142】 結城神社の梅園  −まだ1〜2分咲き−        2008.02.16


 午前7時、僕にしては飛びっきり早くに飛び起きた。各地から梅の花の便りが届く昨今、ちょっと気になって、食事のあと、8時30分、我が家から車で10分ほどにある「結城神社」の梅園を見に行った。
 駐車場へ車を停めて本殿へ向かうと、まだ9時前、4〜5人の職員がサライや竹箒で境内を掃き清めていた。本殿前はすでに掃き清められ、玄関戸が開けられて拝殿を見渡すことが出来た。賽銭、二礼二拍手一礼!

     百花に先駆けて咲く梅の花のうちでも、
      「蝋梅」は花が早い。枝いっぱいに花をつけていた →

  
 参拝(見物)客が7〜8人、「まだ、ちょっと早いか。見ごろまでは2週間ほどかかるね」などと言いながら、境内を回っている。確かに、園内400本といわれる梅の木のほとんどは、まだチラホラと花をつけているだけ。ほとんどのつぼみは固い。
 すでに梅園は開園しているが、『咲き初めです。ご了承ください』との張り紙があった。入園料500円は、まだ払えない。


← 僕のお気に入りである、本殿右前の「鹿児島紅」も
早咲きなのだが、まだ2分の開花
  
よく咲いている一枝を選んでパチリ
  
 結城神社は、南北朝時代の南朝功臣のひとり結城宗弘を祭神としている。
 「太平記」によれば、吉野に逃れた後醍醐天皇の命を受け、1338(延元3)年、宗弘は義良(よしなが)親王や北畠親房らとともに、南朝勢力の結集を図ろうと、伊勢大湊を出帆して東国へ赴くが暴風に遭い、船は安濃津に漂着して、宗弘はこの地で病没した。
 宗弘を悼んで塚が造られ、「結城塚」とか「明神塚」とか呼ばれていたが、江戸時代になって津藩の儒者たちが忠臣宗弘の顕彰運動を行い、1824(文政7)年に神社として祀った。
 1682(明治15)年、別格官幣社に列せられたが、戦災で社殿は全焼、1956(昭和31)年に再建された。

 
 



← 全体の咲き具合は、この通りで、1〜2分咲き







 鯉も悠々と泳いでいる。
 ご神鶏は、数年前の鳥インフルエンザ騒動以来、居なくなってしまった。






   家へ帰ってから、先年に行ったときの写真を引っ張り出して見たら、日付は3月9日となっ
  ていた。まだ、3週間先か。             
2004年3月初めの梅園 ↓






 午前9時、ドンドンドンと太鼓が鳴ったので、何事かと本殿をのぞきに行ったところ、1組の若い男女がお祓いを受けていました。

今朝の結城神社 ↓











 
  9時30分、家に帰ってきて、また寝ました。






【141】 若草山 山焼き −古都の冬を彩る炎の祭礼−    2008.01.13
 
山のあちこちから点火された火は、
山肌を広がってひとつになった

 
 車を天理駅近くに置いて、近鉄で奈良駅へ着いたのが、午後5時22分…。昨日が雨だったので、来ようかどうか迷っていて、出発が遅かったのだ。
 興福寺を抜け、奈良ホテル北側の荒池のほとりにたどり着いた頃、行く手に花火が上がった。
 午後6時、点火。山のあちこちから火の手が上がる。
 点々と灯された火は、やがて山肌を燃え広がり、大きな炎となって夜空を焦がす。
   やがて炎は大きく燃え上がった。



 見物する場所としては、若草山のふもとまで行くと、点火の様子などを見ることができるけれど、山が燃え上がる全体の光景を見ることができないと聞いた。それで点火時、荒池のほとりへ向かってみたのだ。
 マニアは、薬師寺の塔越しに山焼きを見る西ノ京や、奈良市の夜景越しに大きな風景が広がる平城宮跡などが有名だが、いずれも下見が必要だろう。
 
 

 燃え上がる火を見上げながら、奈良公園内の飛火野へと歩いた。この辺りは、街路灯もなくて暗いが、その暗さがいいのか多くのカメラマンなどで混雑している。
 さすがに寒いが、カイロを貼り付け、耳を覆う毛糸の帽子をかぶって、寒さ対策は万全だ。


 「若草山 山焼き」パンフレットの写真 →
   しかし、炎が燃え立つ中で花火が打ち
  上げられることはないから、
  この写真は合成だね。



 漆黒の夜空に、炎に包まれる全山の姿が浮き上がる光景は、荘厳にして華麗だけれど、昨日が雨だったせいか、今年の燃え方はいまいち迫力がないカンジだったなぁ。燃え残ったところは、後日、晴れの日にまた焼きなおすのだろうか。
 8時半過ぎ、奈良町の「味恵方」に上がって、遅い夕食を取った。この店は、猿沢池南西(南市町)の割烹「恵方」が椅子席で会席料理をと繁華街に出した店で、暖簾をくぐると壁いっぱいに飾られた古伊万里の陶器が出迎えてくれる。
 今夜は遅かったので「恵方御膳」を造ってもらった。会席、鍋料理などを味わうには、もう少し早い時間に上がることだろう。


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